真言宗 園田聖天 福田寺

真言宗 園田聖天 福田寺 真言宗のお寺です。

年中行事
12月29日~1月4日    聖天浴油供
1月5日 午前10時30分より 初護摩(松三宝)
2月3日 午後8時より   星祭り
2月3日~5日        修正会  
2月5日 午前10時30分より 旧正月法会
             (修正会結願法要・牛王寳印授与)(不動護摩・風呂敷加持)
春分の日 午後2時より  春彼岸法会
5月5日 午前10時30分より 春季大祭(大般若会式・柴灯護摩)
8月16日 午前9時より   盂蘭盆施餓鬼法会(初盆)
 同  午後2時より   盂蘭盆施餓鬼法会(一般)
8月24日          地蔵盆(数珠繰り・火難除け護符授与)
秋分の日 午後2時より  秋彼岸法会
10月ごろ         団体参拝(日帰りバス旅行)
冬至  午前10時30分より 中風除・ぼけ除・癌封祈願法会
             (

大般若法要・不動護摩・風呂敷加持)
大晦日 午後11時30分より 除夜の鐘

月例行事
毎月5日 午前10時30分より 不動護摩供(粗飯用意いたします)

           ~当院奉安の仏~
大師堂
 弘法大師 愛染明王 不動明王 孔雀明王
聖天堂
 大聖歓喜天 十一面観音 三寳荒神 毘沙門天 弁財天
不動堂(本堂)
 不動明王 神変大菩薩 鎮宅霊符神 宇賀神
境内
 稲荷大明神 水掛不動 水子地蔵

お参りくださいませ

今日は8回目です。前回は唯識が説く心のメカニズムと如来蔵(tathāgata-garbha)という如来となる本性があるという話でした。仏になる本性があるならば煩悩(kleśa)は何?という問いになるかと思います。煩悩、随惑は皆なこれ客塵、法...
02/03/2026

今日は8回目です。
前回は唯識が説く心のメカニズムと如来蔵(tathāgata-garbha)という如来となる本性があるという話でした。

仏になる本性があるならば煩悩(kleśa)は何?
という問いになるかと思います。

煩悩、随惑は皆なこれ客塵、法性はこれ主

とお経には説かれております。

煩悩はこのときは貪・瞋・痴といわれている三毒のことを指します。根本的なものです。

随惑とは随煩悩ともいい、付随する枝末の煩悩のことを指します。これを細分化したものに108あると言われていることから108の煩悩と言われているわけです。

客塵(きゃくじん)とは客塵煩悩とも言い、心の外から汚すのです。
つまりお客さんとして煩悩は来るので、元々煩悩が備わっているわけではないのです。

例えば
クリスタルの曇りないグラスがあるとします。
空気に触れていますと
やがては外から曇ってしまいます。

法性とは仏性のことで
これが主(あるじ)で
曇りなきグラスであると
説いているわけです。

このように
大乗仏教は性善説に立脚した教えであるということになるでしょう。

よって聖徳太子は十七条憲法の第二条で
篤く三宝を敬え。人はなはだ悪しき者すくなし。よく教えればこれに従う。
と言われているわけです。

西洋のほうでは煩悩という言葉は使いませんが欲望は悪と単純に断じております。

しかし東洋思想のほうでは

儒教は徳というものを強調したり

道教は欲を減らすことで自然に戻る

といったようなことで

決して悪と見なしているわけではないようです。

さて
この東洋と西洋との根本的な違いに
何があるのかということになりますが、

今から50年ほど前に
ヨーロッパに禅の普及に尽力された
鈴木大拙さんが

西洋は物を分ける
東洋は物を分けない
という考えが根本にあると言われました。

仏教には輪廻という言葉あるように
循環(ループ)という考えをしています。

鍼灸の先生に教えていただいたことですが

西洋医学では病原体というものを特定し
そこに集中的に治療します。
病と身体と分けた考え方です。

東洋医学では身体全体を免疫力を上げることよって病気を治療をするということです。
身体全体を使うという考え方です。

昨今、分断という言葉がよく聞くようになりました。

東洋と西洋との考え方に
どのような違いがあるのかを
学ぶことはこれからの時代を生きていく上では知識の上でも重要ではないでしょうか?

また
トラブルに巻き込まれないためにも
彼らの宗教観を知っておかないといけない時代ではないでしょうか。

#金光明経
#分析論
#鈴木大拙
#東洋と西洋

七回目です。予告通りに仏教(唯識)が説く心についてお話させていただきます。即ちこれ大乗、これ如来性、これ如来蔵、この身に依って、初心を発得すと。如来蔵(tathāgata-garbha)とは如来となる本性を蔵していることを言います。如来蔵は...
12/02/2026

七回目です。予告通りに仏教(唯識)が説く心についてお話させていただきます。

即ちこれ大乗、これ如来性、これ如来蔵、この身に依って、初心を発得すと。

如来蔵(tathāgata-garbha)とは如来となる本性を蔵していることを言います。

如来蔵は自性清浄心とも仏心とも言い、真言宗では発菩提心と言っております。

大乗仏教が説く思想であります。

これは阿頼耶識【アラヤシキ】(ālayavijñāna)という心の記憶の蔵に煩悩に汚されずにあるとされています。

皆さんはどうでしょう。
あらゆる存在や認識といったものは眼耳鼻舌身という五根という感覚器官のみでしかないと思われてませんか。
果たしてそれだけでしょうか。

確かに感覚器官を通して何かの存在を認識をして対象のものを投影しています。

しかし目をつぶってみて
花と思えば花が浮かんでくるかと思います。
これは心で観てるわけです。
意識が働いているからです。

我々は目で見えるものだけを存在として認めてない唯物論的な考えになりがちですが、
それはわずか一部で
見えないものの世界のほうが遥かに存在しているのです。

意識の更に奥には末那識【マナシキ】(kliṣṭamanas)というものがあり、我と言うものに執着するところであります。
自己中心なところです。
自分が正しいと思い込むことです。

これは迷いの側から見たときはそうですが
悟りの側から見たとき
智慧が働いて
すべては平等で私などはないとも言えるわけです。
日光浴を例えにいうと
私のみに太陽の光が浴びせていると思えますが
太陽のほうからすればまんべんなく光を放っているわけです。

こうした依り所を変えてみることを転依(てんんね)と言います。

更に奥にいくと記憶の蔵があります。

ここには活動が種子【しゅうじ】(bīja)となって貯蔵(唯識の言葉では薰習くんじゅうと言います)されていきます。
このことを現行薰種子(げんぎょうくんしゅうじ)と言います。
逆にそのことを行動として現れてくることを種子生現行(しゅうじしょうげんぎょう)と言います。

子供ころ怒られたことを思い出すことはないでしょうか

怒られたことが種子となって記憶され、思い出すことが現行しているわけです。

皆さんはスマホ買い換えるときに
データはどうされてますか。
おそらくクラウドという目に見えないところに保存されていると思います。

データ(種子)がクラウド(阿頼耶識)に更新されていくのが薰習であり、そのデータを引き出すのが現行です。

仏教の心理学は
1500年以上の昔よりこのメカニズムを説いていたわけです。

二三年前からChatGPTやAIといったツールが増えました。
昨今テクノロジーということが騒がれており
ますます便利な時代になるのでしょうが
果たしてそれでいいのでしょうか。

今、哲学者の間でAIと心という議論や研究が頻繁になされています。

二年前でしたか
リハックというネットの番組で
京都大学の出口康夫先生が
AIと人間
というテーマでお話もされていました。

これからの時代は労働人口が減り
当然必要となってくるでしょう。

人間は便利なものを手に入れてしまうと
手放すことは出来ません。

便利を得るということは
何かを失うということです。

便利さばかりの追及は
必ず取り返しのつかないことにもなるでしょう。

物の見方を一元的に見るのではなく
もう片方から見ることも大事です。
まさに転依です。

その上で共存できるようにすることが肝要ではないでしょうか。

#金光明経
#唯識
#阿頼耶識
#自性清浄心
#発菩提心

それでは6回目ですが、前回の同じ箇所で重要なことが説かれていますので、今回はそのことのお話になります。我れ身語意を以て修するところの福智業、願わくはこの善根を以て、速やかに無上慧と成らん。三業のことは前回お話しました。この時は悪業に対して善...
10/02/2026

それでは6回目ですが、前回の同じ箇所で重要なことが説かれていますので、今回はそのことのお話になります。

我れ身語意を以て修するところの福智業、願わくはこの善根を以て、速やかに無上慧と成らん。

三業のことは前回お話しました。

この時は悪業に対して善道を修行ということでした。

しかし今回は福智です。

煩悩に対しては断ずるのではなく福智の二厳を円満することです。

こういうところは大乗仏教的であり、密教的でもあります。

福とは福徳の略で利他行(他者に利益する)のことであります。
智とは智慧の略で自利行(自からに利益する)のことであります。

前に十悪業を離れとも説かれており、矛盾しているのでは?
と思われるでしょう。

七仏通戒偈という文に

諸の悪を作すこと莫れ
衆の善を奉行せよ
自のその心を清めよ
これが仏の教えである

説かれております。

つまり
悪をなさないために十善戒を守り
善行するために今の福智二厳を円満する
ということです。

大乗仏教は自分の成仏だけを求めるのではなく
救済活動があるというところに社会的意義があります。

よく
「上求菩提、下化衆生」
といって
自からは成仏を求めては向上し、大衆には教化して仏道に導くということであります。

ではこの福智の二厳を具わるにはどのようにしたらいいでしょうか。

これは六波羅蜜の実践になります。

菩薩はこの六波羅蜜の実践して仏になるといいます。

福徳には
五つあります。
布施(dāna)波羅蜜…施しをすること
持戒(śīla)波羅蜜…戒を守る
忍辱(kṣānti)波羅蜜…困難なことを耐え忍ぶ
精進(vīrya)波羅蜜…努力をする
禅定(dhyāna)波羅蜜…瞑想によって精神統一をする

智慧は般若(prajñā)波羅蜜といい
智慧の完成のことをいいます。

このことによって
我執といった
とらわれるもの
が離れることが智慧であります。

善根とは善根功徳のことです。

よってこの功徳によって三毒という貪瞋痴に善の根が生ぜられるのであります。

七仏通戒偈のその心を清めよということ
ですが
前に唯識のことに触れましたが
次回に深掘りしようと思います。

#福田寺
#金光明経
#金光明最勝王経
#菩薩行
#七仏通戒偈
#福智

それでは5回目となりますが、前回の続きのお話をさせて頂きます。前回は三業についてでした。今回は十悪についてです。お経の続きにはこのようになっております。願くは十悪業を離れ、十善道を修行して、十地の中に安住し、常に十方の仏を見ん。と説かれてお...
30/01/2026

それでは5回目となりますが、前回の続きのお話をさせて頂きます。

前回は三業についてでした。
今回は十悪についてです。

お経の続きにはこのようになっております。

願くは十悪業を離れ、十善道を修行して、十地の中に安住し、常に十方の仏を見ん。


説かれており、具体的な方法があげられております。

「おかんき」(勤行次第)に出てくる十善戒です。
この十の戒めは仏教の根本の戒めでもあります。

不殺生は生き物を殺さないこと
不偸盗は盗みをしないこと
不邪淫は淫らな行為をしないこと

不妄語は嘘をつかないこと
不綺語はおべんちゃらを言わないこと
不悪口は悪口を言わないこと
不両舌は二枚舌で惑わさないこと

不慳貪は貪りや物惜しみをしないこと
不嗔恚は怒りや憎みことをしないこと
不邪見は邪な考えをしないこと
です。

3つに区切って
書きましたが
前回のお経に説いている
身三、語に四種、意業にまた三有りということについてそれぞれに配当したものです。

不殺生について
考えたいと思います。

生き物を殺さないことは
仏教で説かれているから
という単純なことでしょうか。

人をあやめることは
社会倫理や規律としても犯罪であり
処罰されるのは言うまでもありません。

植物に対してはどうなのか?

肉食はどうなのか?

食べることが罪なのか?
提供する側に罪があるのか?

さまざまな疑問は沸いてくるかと思います。

私たちは知らず知らずのうちに
そのことを犯しております。

また今日生かさせているということは
何かの命を頂戴して
生かさせて頂いております。

ですので
食事の前に「いただきます」と
挨拶をしているわけです。

戦後、西洋のものを受け入れることになり、それが憧れにもなりました。

テーブルマナーは社会人のたしなみであるかもしれません。

業(karma )とは行為のことです。

フォークは刺す
ナイフは切る

いうことです。

中華圏や韓国の料理店にいけばスプーンか箸が主流です。

スプーンはすくう
箸は渡すや運ぶ
ということになるでしょう。

インドやスリランカはさらに上をいき
手で食べております。

こう考えると
仏教の食事文化は慎み深いものであるかと思います。

食事1つでも
気にすれば
生命の見方も変わってくるのではないでしょうか。

また江戸時代に
今釈迦と言われた慈雲尊者は徳目を付けて
慈悲不殺生戒と称しました。

不殺生は慈悲なのであるということです。

悲心抜苦、慈心与楽
といい
人々の苦を取り除き、楽を与える
この大慈悲の心は
菩薩の心なのです。

いらぬ殺生、するのが殺生であります。

#福田寺
#歓喜天
#食事
#金光明最勝王経
#金光明経
#十善

さて金光明経についてのお話も4回目になりました。10巻ありますので何とか10回は頑張って書こうと思います。今日は金鼓懺悔品です。一番最初にも懺悔のことについてはお話しましたが具体的なことはまだでした。身に三、語に四種、意業また三あり。諸の有...
28/01/2026

さて金光明経についてのお話も4回目になりました。

10巻ありますので何とか10回は頑張って書こうと思います。

今日は金鼓懺悔品です。

一番最初にも懺悔のことについてはお話しましたが具体的なことはまだでした。

身に三、語に四種、意業また三あり。
諸の有情を繋縛す。
無始より恒に相続す。
その三種の行いによって十悪業を造作す。
と説かれております。

「おかんき」
と呼ばれている
在家勤行の次第の一番最初に懺悔文というものと全く同様のことが説かれておりますが、それより一段深堀りした内容が説かれております。

身(み)、口(くち)、意(こころ)との3つによって悪い業(おこない)をするのだと説かれています。

この3つを三業(さんごう)と言います。
また真言宗のほうでは三密と称することもあります。

真宗のお東さんのお寺さんで
金子大栄さんという方が
人間性の回復ということで
動物と人間の違いに3つあるのだとおっしゃっていました。

1つは手を持っていること
これはHandという意味のことだけではなく
手柄、遣り手という意味のことも含めます。

何かを作るとか
何かをなすということです。

1つは言語を持っていること
動物は鳴くとか吠えるとかはできますが
言語を持っていません。

言葉で意志疎通ができるということです。

1つは死ということを考えることが出来ること
人間で生まれたということは
いつかは死ななければなりません。

死と向き合うことが出来るということです。

人身受けがたし

よく言いますが

人間で生まれたきたことは大変ありがたいことであります。

限りある命を
粗末にすることなく

朝に太陽の光を浴びて健康を祈念し
昼は懸命に仕事に従事して
夕方は夕日に1日の感謝をする
1日1日の社会生活を営ませて頂くことが
菩薩行ではないでしょうか。

#金光明経
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金光明経を読んでいますと善男子、善女人という言葉が出てきます。仏教は坊さんのためだけの教えでしょうか。特に大乗仏教は在家の方々のためにあります。善男子、善女人、金光明経を聴聞し会得すれば地獄、餓鬼、傍生や阿蘇羅道に堕ちないと説いてあります。...
22/01/2026

金光明経を読んでいますと善男子、善女人という言葉が出てきます。

仏教は坊さんのためだけの教えでしょうか。

特に大乗仏教は在家の方々のためにあります。

善男子、善女人、金光明経を聴聞し会得すれば地獄、餓鬼、傍生や阿蘇羅道に堕ちない
と説いてあります。

傍生(tiryañc)は畜生のことで人間以外の虫や動物のことです。

前の三つは三悪道とも言い、苦しみの世界です。

地獄という世界は何か遠いところにあるように思ってませんでしょうか?

受験地獄、借金地獄
実は身近にあるものです。

大乗仏教は菩薩という存在が大事になってきます。

菩薩(bodhisattva)とは、教えを信じ、永遠に努力をしている者を言います。

ですので
お経の終わりにはよく

皆に大いに歓喜し信受し奉行せり

と説かれております。

よってお経に説かれていることを聞き会得するだけではなく、実際にそのことを行わなければならないのです。

お経は仏さんの智慧の宝庫です。

しかし知識を溜め込んでいても意味はありません。
この智慧を生かし
社会行動に移さなければならないのです。

この迷いから悟りへと転換することを転識得智と言います。

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先日は金光明経の護国経典についてお話しましたが、それだけでなく大乗仏教の概要について説いている一面もあります。二行目の徧計所執相、依他起相、成就相と説かれております。表現は少し違いますが、唯識が言う三性ということでもあります。唯識とはあらゆ...
18/01/2026

先日は金光明経の護国経典についてお話しましたが、それだけでなく大乗仏教の概要について説いている一面もあります。

二行目の徧計所執相、依他起相、成就相と説かれております。表現は少し違いますが、唯識が言う三性ということでもあります。

唯識とはあらゆる事物や事象は心より生じた識の変化によって現れたものという考え方で、また学派というものもあり、仏教の心理学といったところでしょうか。

三性とは唯識が提唱するものの見方であります。

遍計所執性( parikalpit-svabhāva)は実体ないものを実体を誤認する言わば我々の日常の認識であります。これを蛇に例えます。

依他起性( paratantra-svabhāva)は他に依存する存在で縁起により仮りにあると認識するものであります。これを縄に例えます。

円成実性( pariniṣpanna-svabhāva)あらゆるものの真実の本性であり、絶対的存在のことであります。これを麻と例えます。

先ほどの例えですが、道に蛇がトグロを巻いているとビックリしたとします。
しかし良く見てみると実はその正体は縄だったということです。
ですが縄も実の本性は麻なのです。

つまりは私たち人間の認識は絶対だと思っていても間違いだらけなのです。

唯識を学びて自らが遍計所執を知る。

どんなことでも
過信をせず
一度立ち止まってみることが大事ではないでしょうか。

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今日から東寺では真言宗の厳儀である後七日御修法という法会が14日まで行われます。この法会は鎮護国家、五穀豊穣をお祈りする行事であります。鎮護国家のご祈祷は悔過(けか)法会であります。古来より中国では国家に災難(天災、疫病)が起きるというのは...
08/01/2026

今日から東寺では真言宗の厳儀である後七日御修法という法会が14日まで行われます。

この法会は鎮護国家、五穀豊穣をお祈りする行事であります。

鎮護国家のご祈祷は悔過(けか)法会であります。

古来より中国では国家に災難(天災、疫病)が起きるというのは君主に罪過があることによるとされています。

しかし君主はその懺悔の仕方がわからないことから僧侶が代わって行うことになりました。

日本においては奈良時代より始められ、今日の東大寺や薬師寺の修二会が由来とされております。

この真言宗の法会は金光明経という護国経典がよりとごろとなっております。

その序品の最後に懺悔法と説かれております。

今日から14日までは吉祥天の奉掲して金光明経をお唱えさせて頂き、この一年が災難がなきように懺悔をさせて頂きたいと思います。

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今年もあとわずかとなりました。除夜の鐘から三ヶ日は大師堂にて孔雀明王像を御開帳しております。孔雀はコブラなどの毒蛇を食することから人間の煩悩である三毒(貪・嗔・痴)を取り除く功徳があるとされ、厄除けの祈願をさせていただいております。1メート...
31/12/2025

今年もあとわずかとなりました。

除夜の鐘から三ヶ日は
大師堂にて孔雀明王像を御開帳しております。

孔雀はコブラなどの毒蛇を食することから
人間の煩悩である三毒(貪・嗔・痴)を取り除く功徳があるとされ、厄除けの祈願をさせていただいております。

1メートルを超す尊像は阪神間でお祀りしているのは当院だけとなっております。

是非この機会にお参りください。

#聖天
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#尼崎
#孔雀明王

蓮が咲きました。蓮は肥料を10日に一度入れますので大変です。
29/06/2024

蓮が咲きました。

蓮は肥料を10日に一度入れますので大変です。

来週あたりが見頃です。お参りください。昼には萎むので午前中がオススメです。Feel free take a picture of the lotus.The best time is at 7 o'clck. #蓮 #ハス
07/07/2023

来週あたりが見頃です。

お参りください。

昼には萎むので午前中がオススメです。

Feel free take a picture of the lotus.

The best time is at 7 o'clck.

#蓮

#ハス



今日は真如蓮が咲きました。
03/07/2023

今日は真如蓮が咲きました。

住所

東園田町4/33
Amagasaki-shi, Hyogo
661-0953

ウェブサイト

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