東京フリー・メソジスト昭島教会

東京フリー・メソジスト昭島教会 東京都昭島市にあるキリスト教会です。 東京フリー・メソジスト昭島教会
伝統的なプロテスタントのキリスト教会です。
神様の前に静まり、御言葉を聞き、祈る教会、
温かく、家庭的な交流のある教会を目指しています。

02/06/2026

台風が迫っていますので、明日6/3(水)の祈祷会はお休みにします。皆様守られますように。

31/05/2026

2026年5月31日の礼拝のライブ配信です。 礼拝は10:30からです。動画は10分前からスタートします。

27/05/2026

2026年5月27日 今日は静まりの祈祷会です。

姿勢について
1 楽な姿勢で座ります。
2 目を閉じて、呼吸を整えます。
a 力強く目を閉じると言うよりは、軽くつむります。
b 呼吸は「吸って、吐く」を意識的に行うようにします。
c 吸う時に「神様。お語り下さい」というイメージを持ち、吐く時に「神様。お委ねします。」というイメージを持ちます。
d 2~3秒吸って、2~3秒吐く。のように、ゆっくり呼吸します。
e 他の思いがわいてきたら、それらを神様に委ねるようにします。感謝な事であればひとこと感謝し、苦い思いであれば「主よ。あわれんでください。」とひとこと言います。一言以上はその思いに左右されないように、神様に明け渡すようにしましょう。

招きのことば イザヤ44:21-22 (新改訳聖書2017)
21 ヤコブよ、これらのことを心に留めよ。
イスラエルよ、あなたはわたしのしもべ。
わたしがあなたを形造った。
あなたは、わたし自身のしもべだ。
イスラエルよ、
あなたはわたしに忘れられることがない。
22 わたしは、あなたの背きを雲のように、
あなたの罪をかすみのように消し去った。
わたしに帰れ。わたしがあなたを贖ったからだ。」

聖書朗読 イザヤ44:1-8 (新改訳聖書2017)
1 「今、聞け。わたしのしもべヤコブ、
わたしの選んだイスラエルよ。
2 あなたを造り、
あなたを母の胎内にいるときから形造り、
あなたを助ける主はこう言う。
恐れるな。わたしのしもべヤコブ、
わたしの選んだエシュルンよ。
3 わたしは潤いのない地に水を注ぎ、
乾いたところに豊かな流れを注ぎ、
わたしの霊をあなたの子孫に、
わたしの祝福をあなたの末裔に注ぐ。
4 彼らは流れのほとりの柳の木のように、
青草の間に芽生える。
5 ある者は『私は主のもの』と言い、
ある者はヤコブの名で自分を呼び、
ある者は手に『主のもの』と記して
イスラエルの名を名乗る。」
6 イスラエルの王である主、これを贖う方、
万軍の主はこう言われる。
「わたしは初めであり、
わたしは終わりである。
わたしのほかに神はいない。
7 わたしが永遠の民を起こしたときから、
だれが、わたしのように宣言して、
これを告げることができたか。
これをわたしの前で並べ立ててみよ。
彼らに未来のこと、来たるべきことを
告げさせてみよ。
8 おののくな。恐れるな。
わたしが、以前からあなたに聞かせ、
告げてきたではないか。
あなたがたはわたしの証人。
わたしのほかに神があるか。
ほかに岩はない。わたしは知らない。

黙想
1 語られた聖書箇所を心の中で繰り返したり、聖書を開いて、御言葉をもう一度読んだりします。
2 心にとまった御言葉は何ですか?
3 心に留まった御言葉について思い巡らしをしてみましょう。
4 思い巡らしたことを、短く文章にまとめてみましょう。1~2行で。

お祈り
1 心に留まった御言葉と、思い巡らしたことについて、短くお祈りをします。なるべく御言葉から離れないようにお祈りしましょう。
2 お祈りの言葉も短く1~2行でまとめて書きましょう。

主の祈り (出典:新聖歌)
天にまします我らの父よ。ねがわくは御名をあがめさせたまえ。御国を来たらせたまえ。御心の天になるごとく、地にもなさせたまえ。我らの日用の糧を今日も与えたまえ。我らに罪をおかす者を我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ。我らを試みに合わせず、悪より救い出したまえ。国と力と栄えとは限りなく汝のものなればなり。アーメン

24/05/2026

2026年5月24日の礼拝のライブ配信です。 礼拝は10:30からです。動画は10分前からスタートします。

20/05/2026

5月20日祈祷会の様子です。担当は井上です。
各ご家庭で祈祷会をお持ちの際に用いて頂ければ感謝です。

賛美 新聖歌359 罪深きこの身を
(参考動画)
https://youtu.be/xE7CAWEg2qQ?si=PXlhvn46RZ_xOmft
動画をアップしてくださっている方に感謝します。

お祈り
・週の前半守られたことの感謝。
・祈祷会を持てる感謝と、お祈りを導いて頂けますように。
・同じように家庭で祈祷会を守っておられる皆様のために。

賛美 新聖歌316 御言葉なる
(参考動画)
https://youtu.be/d-dScSsuHbQ?si=3mz4pRMqgicDIn_X
動画をアップして下さっている方に感謝します。

彼は私を本殿へ連れて行った。その壁柱を測ると、その幅は両側とも六キュビトであった。これが壁柱の幅であった。
エゼキエル41:1(新改訳2017)

 聖書通読は旧約聖書エゼキエル書に入っています。エゼキエル書40章から新しい神殿の幻が語られています。この時、バビロン捕囚は完了して、全てのユダヤ人たちはバビロンに連れていかれました。ユダヤの民は、エルサレムの町と神殿が破壊されるところを目撃しました。神様が住んでおられるとされる場所は破壊されてしまったのです。そしてユダヤ人たちは全く知らない異教の地へ連れていかれました。ユダヤ人たちは絶望していました。
しかしこれらはすべて神様の計画の内にありました。神様はすべてのユダヤ人をバビロンに連れていく事を決めていました。エゼキエル10章では神様の栄光がケルビムと一緒にエルサレムから離れていく幻が語られていました。そして神様はバビロンにいるユダヤの民と一緒にいることが語られました。バビロンの地で希望を失って生活していた民に、神様はエゼキエルを通して希望を語られたのです。
そして神様はエゼキエル40章以降で、ユダヤの民にさらなる希望を与えています。それが新しい神殿の幻です。神様は御使いを遣わしてエゼキエルを新しい神殿の幻に連れて行きました。かつてエルサレムの町のあったところに、新しい神殿が再建されています。それは以前の神殿よりもさらに規模の大きな神殿でした。エゼキエル41章以降でその細部の寸法が量られ、記録されています。規模は大きくなっていますが、形は今までの神殿と同じような形です。エゼキエル41:1-4には神殿の中心である、聖所と至聖所の形が記されています。その形は以前の神殿と似ていました。東向きに造られた建物、長方形の形の聖所とその奥にある正方形の至聖所です。これは出エジプトの時に神様がイスラエル人たちに命じて作らせた幕屋と同じ構造をしています。そしてエゼキエル43章を見ると、主の栄光が再建された神殿に入ってきて、満ちている様子が描かれています。エゼキエル10章でエルサレム神殿を去っていった主の栄光は、バビロンの民の許に行き、そして再建されたエルサレムの神殿に戻っていくのです。神様は、イスラエルとエルサレムの神殿が復興されることを幻を通して教えたのです。
これはバビロン捕囚が永遠ではなく、終わりが来ることを教えています。神様はバビロンの地で希望を失っていたユダヤ人たちに、希望を与えました。神様はユダヤ人たちを滅ぼすためにバビロンに連れて行ったのではありません。確かにユダヤ人たちは神様に背き、大きな罪を犯しました。それで神様はユダヤ人たちをバビロンに連れていかれました。しかしそのことを通して神様はユダヤ人たちが神様に立ち返ることを望んでおられたのです。神殿は神様に捧げ物をする場所ですが、もう一つ大きな役割は、罪の贖いをするための場所です。神様とユダヤ人たちとが和解をするための場所でもあるのです。その神殿が再建されるという幻は、神様がユダヤ人たちをもう一度迎え入れようとしておられるということでもあります。今までのユダヤ人の罪が贖われ、もう一度神様と和解をして、神様の祝福の国となって行くのです。神様は贖いの神様です。
神様は私たちのためにも贖いを備えて下さいました。イエス様による贖いです。神様は私たちがそれぞれ自分の罪を悔い改めて、神様に立ち返ることを望んでおられます。そして神様の祝福へと招いて下さっているのです。

お祈り
・昭島教会に集う方々、ご家族のために
・最近、初めて来られた方々、久しぶりに来られた方々のために
・ペンテコステ礼拝、聖餐式、読書会、ニットカフェのために
・守谷教会のために

賛美 新聖歌264 われ贖われて
(参考動画)
https://youtu.be/cznkXetdn64?si=BNlQRcOTjv2RN54Q
動画をアップして下さっている方に感謝します。

主の祈り (出典:新聖歌)
天にまします我らの父よ。ねがわくは御名をあがめさせたまえ。御国を来たらせたまえ。御心の天になるごとく、地にもなさせたまえ。我らの日用の糧を今日も与えたまえ。我らに罪をおかす者を我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ。我らを試みに合わせず、悪より救い出したまえ。国と力と栄えとは限りなく汝のものなればなり。アーメン

17/05/2026

2026年5月17日の礼拝のライブ配信です。 礼拝は10:30からです。動画は10分前からスタートします。

5月13日祈祷会の様子です。担当は山田です。各ご家庭で祈祷会をお持ちの際に用いて頂ければ感謝です。賛美 新聖歌1 いざ皆来たりて(参考動画)https://youtu.be/lFvW5nOXoVk?si=vTmLL8SbGXuiAmH3動画...
13/05/2026

5月13日祈祷会の様子です。担当は山田です。
各ご家庭で祈祷会をお持ちの際に用いて頂ければ感謝です。

賛美 新聖歌1 いざ皆来たりて
(参考動画)
https://youtu.be/lFvW5nOXoVk?si=vTmLL8SbGXuiAmH3

動画をアップしてくださっている方に感謝します。

お祈り
・週の前半守られたことの感謝。
・祈祷会を持てる感謝と、お祈りを導いて頂けますように。
・同じように家庭で祈祷会を守っておられる皆様のために。

賛美 新聖歌197 祈りの園生を
(参考動画)
https://youtu.be/Q0gmibwpXXw?si=iQIJjya_UPaHndWY

動画をアップして下さっている方に感謝します。

「主よ、ご覧ください。
私は苦しみの中にあり、はらわたはかき回され、
私の心は私のうちで打ちのめされています。
私が逆らい続けたからです。
外では剣が子を奪い、
家の中は死のようです。

私のうめきを聞いても、
慰めてくれる者はだれもいません。
敵はみな、私のわざわいを聞いて喜びました。
あなたがそうなさったからです。
あなたが告げられた日を来させてください。

私のうめきを聞いても、
慰めてくれる者はだれもいません。
敵はみな、私のわざわいを聞いて喜びました。
あなたがそうなさったからです。
あなたが告げられた日を来させてください。
彼らも私と同じようになるために。

彼らの悪のすべてが、御前に出されますように。
そして彼らに報いてください。
あなたが、私のすべての背きに対して
報いを返されたように。
私のうめきは大きく、
私の心は弱っています。」
哀歌 1:20-21(新改訳2017)

今日与えられている御言葉を読んで皆さんはどのように感じたでしょうか。こんなことが聖書に書かれているのかと感じた人もおられるかもしれません。なんだか聖書はもっと励ましてくれるようなものや慰めが満ちたものなのではないかと感じる方もおられるでしょう。そもそも哀歌にあまり馴染みがない方も多いのかなと思います。実際にこの箇所をただ読んだだけでは何を伝えようとしているのかわからないこともあるかと思います。ともにこの祈祷会で哀歌を読んで、神様の御心を求めて生きたいと思います。

まず、哀歌という書物はどういったものかと言いますと、哀歌はその名が示す通り、歌です。英語だとLamentations、嘆きです。つまり、この哀歌に記されているのは嘆きの歌であります。なんで嘆きの歌がここで記されているかというと、この書物が書かれた時、エルサレムがバビロン帝国によって蹂躙され多くの人たちが捕囚に連れて行かれていたからです。この哀歌は預言者のエレミヤによって書かれており、だから預言書に位置づけられているエレミヤ書の次に哀歌が置かれているのです。預言者のエレミヤはバビロンによって滅ぼされていくエルサレムの姿を見て嘆きの歌を書いているのです。哀歌は嘆きから始まっています。

ああ、ひとり寂しく座っている。
人で満ちていた都が。
彼女はやもめのようになった。
国々の間で力に満ちていた者、
もろもろの州の女王が、
苦役に服することになった。
哀歌 1:1

この1番初め「ああ」というようになっていますが、この言葉にならない言葉からこの歌は始まっているのです。破壊されていくエルサレムの街を見て、多くの命が奪われていく現実を見て、言葉にならない言葉がここにあるのです。ここから哀歌が始まっていくのです。私たちは嘆きと聞くときに、あまりポジティブなイメージを持つことはないと思います。もしかしたら「嘆いたりしたら良くないよ」と思う方もおられるかもしれません。ましてや神様に嘆くなんてどうなの?と思う方もおられるかもしれない。しかし、この哀歌は嘆きや悲しみを否定してはいません。私たちは、第一テサロニケの5章で「いつも喜んでいなさい。」と語られ、「そうだ。いつも喜んでいなきゃいけないんだ」と思ってしまうわけですが、私たちは辛いときにも根性で喜ばなくちゃいけないわけではない。私たちは主にあって喜ぶのです。辛い時も苦しい時もある。悲しみ、泣きたい時がある。嘆く時もある。「いつも喜んでいなさい」という言葉は辛い時も苦しい時も泣いちゃいけないし嘆いてもいけないという意味ではないはずです。私たちは辛いことがあり悲しいことがあり、涙を流すことがある。私たちは主にあって喜ぶのです。また同時に、主にあって嘆くのです。大事なのは、私たちが嘆く時、悲しむ時、その時にも主に向かうのです。主に向かって、嘆き、悲しむのです。それは決していけないことではないのです。今日与えられている聖書箇所も嘆きの歌であっても主に向かっているのです。

「主よ、ご覧ください。
私は苦しみの中にあり、はらわたはかき回され、
私の心は私のうちで打ちのめされています。
哀歌 1:20a

苦しみがあり、心が打ちのめされている。その中で、「主よ、ご覧ください」と語るのです。私たちは主に向かって嘆いていいのです。私たちは主に向かって嘆くことが許されているのです。むしろ主に信頼しているからこそ、主に向かって嘆き哀しむのです。私たちはこの哀しみを自分のうちに留める必要はないのです。あるいは苦しい状況にあって、自己憐憫に浸るのでもないのです。

哀歌は、詩篇と同じように人の祈りの言葉でもあります。私たちはこのように祈ってもいいのです。言葉にならないようなうめきのような祈りがあっても、嘆き悲しむような祈りがあってもいいのです。ただそれが主に向かっていることが大切なのです。

この歌を記したエレミヤは、哀しみと痛みの中で見出す人の罪と神様の正しさについて示しています。主への嘆きに続いてこのように語られています。「私が逆らい続けたからです。」(哀歌 1:20b)

エルサレムがバビロンによって滅ぼされたのには明確な原因がありました。イスラエルの民たちが、異教の偶像礼拝に心を傾けてしまっていたからです。エレミヤはバビロンが来る前から、偶像礼拝をやめるように預言を続けていました。エルサレムが神様によって裁かれることもずっと預言をしていた。しかしながら、民たちは、その言葉に耳を傾けることなく偶像に心を奪われてしまったのです。そして、まさにエルサレムが蹂躙され、その姿を前にした時に、哀歌が歌われたのです。

何度も主に逆らっていたことに思い知らされたのです。そして、主の正しさによって自らの罪に光を当てられたのです。この主の正しさを目の当たりにして、主に思い切り嘆きながらも祈ったのです。

私のうめきを聞いても、
慰めてくれる者はだれもいません。
敵はみな、私のわざわいを聞いて喜びました。
あなたがそうなさったからです。
あなたが告げられた日を来させてください。
彼らも私と同じようになるために。

彼らの悪のすべてが、御前に出されますように。
そして彼らに報いてください。
あなたが、私のすべての背きに対して
報いを返されたように。
私のうめきは大きく、
私の心は弱っています。」
哀歌 1:21-22

自らの罪をあらわにされ、主の正しさを知り、主の前に嘆きながら主に求める祈りです。私たちは苦しみを通ります。もちろん全てが自分の罪の結果であると決めつけることはありません。しかし、苦しみの中で神様を見出すことができたのならばそれは一つの慰めになると思います。誰からも慰められることなく、むしろ敵から嘲られるそんな中にありながら、哀しみながらも主に向かって祈れるのは私たちにとって幸いなことです。先ほど第一テサロニケ5章のいつも喜んでいなさいという言葉について触れましたが、それに続く御言葉は「絶えず祈りなさい。」です。私たちは絶えず苦しみの中にあっても悲しみの中にあっても、嘆きの中にあっても祈ることが許されているのです。

確かに主に祈ってもすぐに返答が来て、すぐに解決が与えられたのならばそれがいいですが、なかなかそうならない時もあります。この哀歌の中でもそうです。神様に嘆き祈る時すぐに答えがあればと私たち人間は思うのですが、主はここで沈黙している。でもそれは神様が私たちのことを無視しているわけではない。主は私たちの祈りを、嘆きを、黙って聞いておられるのです。私たちは「早く答えてほしい。楽になりたい」と思ってしまいがちですが、主はじっと聞いておられるのです。もし私たちが嘆き祈る時に、神様が理屈でこういった理由があったからこうして、あれこれ説明したとして、私たちは納得して素直に受け入れることはおそらくできないだろうと思います。むしろ神様は、悲しみの中にある私たちに黙って寄り添っている。黙って私たちの祈りを、嘆きを聞いているのです。この祈りののちにすぐに全てが解決したわけではありません。しかし、この祈りから時を経て、イエス様がこの地上に来られたのです。そして、私たちはそのことを改めて知る時に、神様の正しさを知るのです。神様は私たちの祈りを確実に聞いておられるということを知るのです。

お祈り
・昭島教会に集う方々、ご家族のために
・最近、初めて来られた方々、久しぶりに来られた方々のために
・シャロン会、代議員総会、納骨式、ペンテコステ礼拝のために
・南平教会のために

賛美 新聖歌343 罪に満てる世界
(参考動画)
https://youtu.be/mFS_tW4Pzvk?si=6dj6gMG9027sXZFA

動画をアップして下さっている方に感謝します。

主の祈り (出典:新聖歌)
天にまします我らの父よ。ねがわくは御名をあがめさせたまえ。御国を来たらせたまえ。御心の天になるごとく、地にもなさせたまえ。我らの日用の糧を今日も与えたまえ。我らに罪をおかす者を我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ。我らを試みに合わせず、悪より救い出したまえ。国と力と栄えとは限りなく汝のものなればなり。アーメン

日本同盟基督教団 三島キリスト教会ホームページhttps://sites.google.com/site/mishimachrist/Facebookhttps://www.facebook.com/mishimachrist/

10/05/2026

2026年5月10日の礼拝のライブ配信です。 礼拝は10:30からです。動画は10分前からスタートします。

03/05/2026

2026年5月3日の礼拝のライブ配信です。 礼拝は10:30からです。動画は10分前からスタートします。

29/04/2026

4月29日祈祷会の様子です。担当は井上です。
各ご家庭で祈祷会をお持ちの際に用いて頂ければ感謝です。

賛美 新聖歌338 山行くも海行くも
(参考動画)
https://youtu.be/rC9LY6nv-mw?si=wvgaCBTUuaIelKiG
動画をアップしてくださっている方に感謝します。

お祈り
・週の前半守られたことの感謝。
・祈祷会を持てる感謝と、お祈りを導いて頂けますように。
・同じように家庭で祈祷会を守っておられる皆様のために。

賛美 新聖歌199 主を仰ぎ見れば
(参考動画)
https://youtu.be/1o1kAH1iKms?si=q7-GzCyo0TtZd-gi
動画をアップして下さっている方に感謝します。

わたしは彼らに一つの心を与え、あなたがたのうちに新しい霊を与える。わたしは彼らのからだから石の心を取り除き、彼らに肉の心を与える。
エゼキエル11:19(新改訳2017)

 聖書通読は旧約聖書エゼキエル書に入っています。エゼキエル書には神様が預言者エゼキエルを通して語られたことが記されています。エゼキエルが預言者として活動したのはバビロン捕囚の時でした。バビロンは南ユダ王国を滅ぼし、ユダの民をバビロンに強制的に移住させました。これがバビロン捕囚です。ユダの民は一度に全員が連れていかれたのではなく、何回かに渡って行われました。エゼキエルはわりと早い段階でバビロンに連れていかれたようで、バビロンの地で神様から預言者として召されました。エゼキエルが預言者とし始めた時は既にバビロンに連れて行かれた民と、まだエルサレムに残っている民がいたことになります。そしてエルサレムに残されていた民は、自分たちがエルサレムに残されているのは神様が自分たちを守っているからだと思っていたようです。しかし神様はすべての民をバビロンに連れて行こうとしていました。そしてバビロンの地でユダの民が悔い改め、神様に立ち返ることを望んでおられたのです。
 エゼキエル8章から続く幻の中で神様は、エルサレムに残っている民たちの誤解や悪い考えについて語っています。エルサレムは神様の住んでおられるとされる神殿がある場所です。エルサレムに残された人たちは、そのような神様のおられる場所に自分たちが残されているのは、彼らは正しい者だからだと考えます。しかし神様はそうは考えておられません。神様はエルサレムに残されている者の中にもよこしまな者がいて、その者たちの正しく裁き、民の心を入れ替えさせようとしておられます。そのようなことを伝えるために、神様はエゼキエルに幻を見せました。エゼキエル10章では神様の栄光が、エルサレム神殿から去っていくという幻を見せました。そしてエゼキエル11:16で神様はこう語られています。「わたしは彼らを遠く異邦の民の中へ移し、国々の中に散らした。しかし、わたしは彼らが行ったその国々で、しばらくの間、彼らの聖所となっていた。」エルサレム神殿を離れた神様の栄光は、バビロンへ連れていかれたユダの民と共にいるということです。神殿の建物がある場所が神様の霊のおられる場所とは限りません。神様の霊は自由に動き、場所はどこであっても神様の霊がおられる所が、聖なる所なのです。
 ですから私たちの信仰も場所に捉われてはいけません。教会の建物にいることが信仰的なのではないのです。神様の霊の行くところに、私たちの心が向いていく事が大切です。私たちも油断すると、いつの間にか神様から離れてしまって、神様っぽい物を見て安心してしまいます。そんな時は神様が私たちの心を掃除し、神様に立ち返らせようとしてくださるでしょう。ユダの民を立ち返らせようとしてくださった神様は、ユダの民の誤解を示し、忌まわしい物を取り除かれました。そして新しい心を与えられました。同じように神様は私たちの心から石の心を取り除き、新しい心を与える機会を与えて下さいます。そのような時には神様の懲らしめ、導きを受け入れ、悔い改めて神様に立ち返りたいと思います。そして素直に神様に心を造り替えて下さいとお願いしたいと思います。

お祈り
・昭島教会に集う方々、ご家族のために
・最近、初めて来られた方々、久しぶりに来られた方々のために
・中高生おでかけ、FMYC、シャロン会、代議員総会のために
・八王子教会のために

賛美 新聖歌342 神の子なるイエス
(参考動画)
https://youtu.be/s2aCbWHRcXE?si=tUBDselWXHj-GqqN
動画をアップして下さっている方に感謝します。

主の祈り (出典:新聖歌)
天にまします我らの父よ。ねがわくは御名をあがめさせたまえ。御国を来たらせたまえ。御心の天になるごとく、地にもなさせたまえ。我らの日用の糧を今日も与えたまえ。我らに罪をおかす者を我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ。我らを試みに合わせず、悪より救い出したまえ。国と力と栄えとは限りなく汝のものなればなり。アーメン

住所

昭和町4-1/13
Akishima-shi, Tokyo
196-0015

アラート

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