13/05/2026
5月13日祈祷会の様子です。担当は山田です。
各ご家庭で祈祷会をお持ちの際に用いて頂ければ感謝です。
賛美 新聖歌1 いざ皆来たりて
(参考動画)
https://youtu.be/lFvW5nOXoVk?si=vTmLL8SbGXuiAmH3
動画をアップしてくださっている方に感謝します。
お祈り
・週の前半守られたことの感謝。
・祈祷会を持てる感謝と、お祈りを導いて頂けますように。
・同じように家庭で祈祷会を守っておられる皆様のために。
賛美 新聖歌197 祈りの園生を
(参考動画)
https://youtu.be/Q0gmibwpXXw?si=iQIJjya_UPaHndWY
動画をアップして下さっている方に感謝します。
「主よ、ご覧ください。
私は苦しみの中にあり、はらわたはかき回され、
私の心は私のうちで打ちのめされています。
私が逆らい続けたからです。
外では剣が子を奪い、
家の中は死のようです。
私のうめきを聞いても、
慰めてくれる者はだれもいません。
敵はみな、私のわざわいを聞いて喜びました。
あなたがそうなさったからです。
あなたが告げられた日を来させてください。
私のうめきを聞いても、
慰めてくれる者はだれもいません。
敵はみな、私のわざわいを聞いて喜びました。
あなたがそうなさったからです。
あなたが告げられた日を来させてください。
彼らも私と同じようになるために。
彼らの悪のすべてが、御前に出されますように。
そして彼らに報いてください。
あなたが、私のすべての背きに対して
報いを返されたように。
私のうめきは大きく、
私の心は弱っています。」
哀歌 1:20-21(新改訳2017)
今日与えられている御言葉を読んで皆さんはどのように感じたでしょうか。こんなことが聖書に書かれているのかと感じた人もおられるかもしれません。なんだか聖書はもっと励ましてくれるようなものや慰めが満ちたものなのではないかと感じる方もおられるでしょう。そもそも哀歌にあまり馴染みがない方も多いのかなと思います。実際にこの箇所をただ読んだだけでは何を伝えようとしているのかわからないこともあるかと思います。ともにこの祈祷会で哀歌を読んで、神様の御心を求めて生きたいと思います。
まず、哀歌という書物はどういったものかと言いますと、哀歌はその名が示す通り、歌です。英語だとLamentations、嘆きです。つまり、この哀歌に記されているのは嘆きの歌であります。なんで嘆きの歌がここで記されているかというと、この書物が書かれた時、エルサレムがバビロン帝国によって蹂躙され多くの人たちが捕囚に連れて行かれていたからです。この哀歌は預言者のエレミヤによって書かれており、だから預言書に位置づけられているエレミヤ書の次に哀歌が置かれているのです。預言者のエレミヤはバビロンによって滅ぼされていくエルサレムの姿を見て嘆きの歌を書いているのです。哀歌は嘆きから始まっています。
ああ、ひとり寂しく座っている。
人で満ちていた都が。
彼女はやもめのようになった。
国々の間で力に満ちていた者、
もろもろの州の女王が、
苦役に服することになった。
哀歌 1:1
この1番初め「ああ」というようになっていますが、この言葉にならない言葉からこの歌は始まっているのです。破壊されていくエルサレムの街を見て、多くの命が奪われていく現実を見て、言葉にならない言葉がここにあるのです。ここから哀歌が始まっていくのです。私たちは嘆きと聞くときに、あまりポジティブなイメージを持つことはないと思います。もしかしたら「嘆いたりしたら良くないよ」と思う方もおられるかもしれません。ましてや神様に嘆くなんてどうなの?と思う方もおられるかもしれない。しかし、この哀歌は嘆きや悲しみを否定してはいません。私たちは、第一テサロニケの5章で「いつも喜んでいなさい。」と語られ、「そうだ。いつも喜んでいなきゃいけないんだ」と思ってしまうわけですが、私たちは辛いときにも根性で喜ばなくちゃいけないわけではない。私たちは主にあって喜ぶのです。辛い時も苦しい時もある。悲しみ、泣きたい時がある。嘆く時もある。「いつも喜んでいなさい」という言葉は辛い時も苦しい時も泣いちゃいけないし嘆いてもいけないという意味ではないはずです。私たちは辛いことがあり悲しいことがあり、涙を流すことがある。私たちは主にあって喜ぶのです。また同時に、主にあって嘆くのです。大事なのは、私たちが嘆く時、悲しむ時、その時にも主に向かうのです。主に向かって、嘆き、悲しむのです。それは決していけないことではないのです。今日与えられている聖書箇所も嘆きの歌であっても主に向かっているのです。
「主よ、ご覧ください。
私は苦しみの中にあり、はらわたはかき回され、
私の心は私のうちで打ちのめされています。
哀歌 1:20a
苦しみがあり、心が打ちのめされている。その中で、「主よ、ご覧ください」と語るのです。私たちは主に向かって嘆いていいのです。私たちは主に向かって嘆くことが許されているのです。むしろ主に信頼しているからこそ、主に向かって嘆き哀しむのです。私たちはこの哀しみを自分のうちに留める必要はないのです。あるいは苦しい状況にあって、自己憐憫に浸るのでもないのです。
哀歌は、詩篇と同じように人の祈りの言葉でもあります。私たちはこのように祈ってもいいのです。言葉にならないようなうめきのような祈りがあっても、嘆き悲しむような祈りがあってもいいのです。ただそれが主に向かっていることが大切なのです。
この歌を記したエレミヤは、哀しみと痛みの中で見出す人の罪と神様の正しさについて示しています。主への嘆きに続いてこのように語られています。「私が逆らい続けたからです。」(哀歌 1:20b)
エルサレムがバビロンによって滅ぼされたのには明確な原因がありました。イスラエルの民たちが、異教の偶像礼拝に心を傾けてしまっていたからです。エレミヤはバビロンが来る前から、偶像礼拝をやめるように預言を続けていました。エルサレムが神様によって裁かれることもずっと預言をしていた。しかしながら、民たちは、その言葉に耳を傾けることなく偶像に心を奪われてしまったのです。そして、まさにエルサレムが蹂躙され、その姿を前にした時に、哀歌が歌われたのです。
何度も主に逆らっていたことに思い知らされたのです。そして、主の正しさによって自らの罪に光を当てられたのです。この主の正しさを目の当たりにして、主に思い切り嘆きながらも祈ったのです。
私のうめきを聞いても、
慰めてくれる者はだれもいません。
敵はみな、私のわざわいを聞いて喜びました。
あなたがそうなさったからです。
あなたが告げられた日を来させてください。
彼らも私と同じようになるために。
彼らの悪のすべてが、御前に出されますように。
そして彼らに報いてください。
あなたが、私のすべての背きに対して
報いを返されたように。
私のうめきは大きく、
私の心は弱っています。」
哀歌 1:21-22
自らの罪をあらわにされ、主の正しさを知り、主の前に嘆きながら主に求める祈りです。私たちは苦しみを通ります。もちろん全てが自分の罪の結果であると決めつけることはありません。しかし、苦しみの中で神様を見出すことができたのならばそれは一つの慰めになると思います。誰からも慰められることなく、むしろ敵から嘲られるそんな中にありながら、哀しみながらも主に向かって祈れるのは私たちにとって幸いなことです。先ほど第一テサロニケ5章のいつも喜んでいなさいという言葉について触れましたが、それに続く御言葉は「絶えず祈りなさい。」です。私たちは絶えず苦しみの中にあっても悲しみの中にあっても、嘆きの中にあっても祈ることが許されているのです。
確かに主に祈ってもすぐに返答が来て、すぐに解決が与えられたのならばそれがいいですが、なかなかそうならない時もあります。この哀歌の中でもそうです。神様に嘆き祈る時すぐに答えがあればと私たち人間は思うのですが、主はここで沈黙している。でもそれは神様が私たちのことを無視しているわけではない。主は私たちの祈りを、嘆きを、黙って聞いておられるのです。私たちは「早く答えてほしい。楽になりたい」と思ってしまいがちですが、主はじっと聞いておられるのです。もし私たちが嘆き祈る時に、神様が理屈でこういった理由があったからこうして、あれこれ説明したとして、私たちは納得して素直に受け入れることはおそらくできないだろうと思います。むしろ神様は、悲しみの中にある私たちに黙って寄り添っている。黙って私たちの祈りを、嘆きを聞いているのです。この祈りののちにすぐに全てが解決したわけではありません。しかし、この祈りから時を経て、イエス様がこの地上に来られたのです。そして、私たちはそのことを改めて知る時に、神様の正しさを知るのです。神様は私たちの祈りを確実に聞いておられるということを知るのです。
お祈り
・昭島教会に集う方々、ご家族のために
・最近、初めて来られた方々、久しぶりに来られた方々のために
・シャロン会、代議員総会、納骨式、ペンテコステ礼拝のために
・南平教会のために
賛美 新聖歌343 罪に満てる世界
(参考動画)
https://youtu.be/mFS_tW4Pzvk?si=6dj6gMG9027sXZFA
動画をアップして下さっている方に感謝します。
主の祈り (出典:新聖歌)
天にまします我らの父よ。ねがわくは御名をあがめさせたまえ。御国を来たらせたまえ。御心の天になるごとく、地にもなさせたまえ。我らの日用の糧を今日も与えたまえ。我らに罪をおかす者を我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ。我らを試みに合わせず、悪より救い出したまえ。国と力と栄えとは限りなく汝のものなればなり。アーメン
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