02/09/2026
9月2日祈祷会の様子です。担当は山田です。
各ご家庭で祈祷会をお持ちの際に用いて頂ければ感謝です。
賛美 新聖歌233驚くばかりの
(参考動画)
https://youtu.be/Y2cXITl_fzw?si=y3uOIQd-NlMYMtvc
動画をアップしてくださっている方に感謝します。
お祈り
・週の前半守られたことの感謝。
・祈祷会を持てる感謝と、お祈りを導いて頂けますように。
・同じように家庭で祈祷会を守っておられる皆様のために。
賛美 新聖歌385主よ終わりまで
(参考動画)
https://youtu.be/KWhNQ18FmsY?si=CfhQAsov_olCn8ZI
動画をアップしてくださっている方に感謝します。
イエス・キリストの使徒ペテロから、ポントス、ガラテヤ、カパドキア、アジア、ビティニアに散って寄留している選ばれた人たち、すなわち、
父なる神の予知のままに、御霊による聖別によって、イエス・キリストに従うように、またその血の注ぎかけを受けるように選ばれた人たちへ。恵みと平安が、あなたがたにますます豊かに与えられますように。
ペテロの手紙 第一 1:1-2
恵みと平安があなたがたにますますありますように。私が担当してきたとき、哀歌を少しずつともに読んでまいりましたが、今日からペテロの手紙から御言葉を受け取っていけたらと思います。そのペテロは様々な地域の人たちにあてて手紙を書いています。ポントス、ガラテヤ、カパドキア、アジア、ビティニア、それぞれの場所に散っていった寄留者たちに手紙を送っています。手紙を送った相手は寄留者たちなのです。寄留者とは、つまり本来住んでいる場所から離れて一時的に別の地域に住んでいる人たちです。ペテロが送ったとされている人たちは様々場所に散らされ本来いるべき場所にいない人たちです。本来、彼らにもそれぞれの故郷がある。しかし、彼らはポントス、ガラテヤ、カパドキア、アジア、ビティニア、これらの地域に寄留している。
彼らは散らされていったのです。きっと様々な理由があったことでしょう。本来住むべき場所、故郷から、出ていかざるを得なかった。しかし、ペテロはその寄留者たちに語るのです。あなたがたは選ばれた人たちだと。確かに、あなたがたは今までいた場所から離れてしまい、散らされているが、選ばれているのだと語るのです。神様が彼らを選んで、置いてくださっているのだと語る。それだけではない。すなわち、父なる神の予知のままに、御霊による聖別によって、イエス・キリストに従うように選ばれた人たちだと語るのです。父なる神、御霊すなわち聖霊、イエス・キリスト、これらによって選ばれているのだとペテロは語るのです。この3つであり、1つである神様によって、あなたがたは選ばれているのだと語る。しかし、彼らは何ができるから選ばれたわけではない。ただ神が選んだのです。
何かを選ぶとき、私たちはいくつかの選択肢の中で優劣をつけて、選びます。学校の入試や就職の時も、優れた人が選ばれる。そうでない人が落とされる。今日の晩御飯を何にするか考える時も、スーパーに行って、今日は豚肉とジャガイモが安いから、今日の晩御飯は肉じゃがにしようとするわけです。日常の中で様々な選択があり、それらは何かしらの優劣をつけて選ぶ。しかし神様はここで権力を持った人や裕福な人を選んだのではない。大した権力もなくお金持ちだったわけでもない、何かにおいて秀でていたわけでもない小さなイエス様を信じる人たちが選ばれた。
父なる神の予知のままに、御霊による聖別によって、イエス・キリストに従うように、またその地の注ぎかけを受けるように選ばれたのです。まず、父なる神の予知のままに選ばれた。この予知というのは文字通り、あらかじめ知っておられたということです。神様が人をお母さんの中に形造ったとき、いやその前から神様はそのおなかの赤ちゃんを知っておられる。神様はずっと前から、計画を用意してくださっている。神様は偶然たまたまそこにいたから選んだのではない。神様はあらかじめ一人ひとりを知っておられ、神様の計画に従うように導いている。その選びの中にあるのです。
また、ペテロはこのようにもいいます。御霊の聖別によって、選ばれた人たちへと。この寄留者たちは聖霊によってきよめられて、神様のものとされているのです。この世のものではなく神のものとされていたのです。
そして、イエス・キリストに従うように、またその血の注ぎかけを受けるように選ばれているとペテロは記しています。これはただ選ばれているだけでなく、イエス様に従う、従順に招かれている。そしてイエス様の血の注ぎかけを受けるように、選ばれているというのです。イエス様の十字架の上で流された血の注ぎを受ける。彼らはそのイエス様の赦しの中に生き、イエス様に従うように選ばれている。ペテロがこのことを語るのは本当に多いなことだと思います。自分自身がイエス様に対して、「従います」と大見得を切ったにもかかわらず、いざイエス様が捕まってしまっているのを見た時に、イエス様を三度否定してしまった。イエス様に従うことのできない自分を見せつけられ、罪を見せつけられた。でもそのペテロもイエス様の十字架によって赦されている。その血によって赦されている。そのイエス様への赦しと従順に選ばれているのだと語るのです。
この選びは私たちに無関係ではありません。私たちは神様に選ばれて、この地にいるのです。たまたま偶然この日本に生まれたわけではありません。神様が私たちのことを知ってくださって、神様の計画のうちに入れてくださっているのです。そして、私たちは神様のものとされているのです。そして、ただこの世のものとして生きるのではなく、神様のものとされた人として生きるのです。そして、その歩みの中でイエス様の血を受ける。赦しを受けて、イエス様に従って歩む人生に招かれているのです。
私たちもまた、寄留者なのです。私たちは日本に住んでいる。今日この祈祷会に来た人たちは生まれも日本だと思います。けれども、寄留者なのです。なぜなら、私たちは神様に選ばれているからです。そして、私たちは神の国の民だからです。神様のものとされているのです。力なくても、何か優れているわけではなくても、神様が私たちに何か目的をもってこの場所に置いているのです。パウロはピリピの手紙でこのように語りました。
しかし、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、私たちは待ち望んでいます。
ピリピ人への手紙 3:20
私たちはこの地上に生きている。私たちは神様のものであり、その国籍は天にある。故に寄留者なのです。もはや神の国に属しているけれども、この地上で、日本に神様が送っているのです。
私たちは不安になることがあります。自分たちが何かの要因によって、散らされて、いたいと願うところではないところに送られる。それは物理的な場所だけではない。病や人間関係など様々な事情によって、こういう状況にいたくないと思いながらもその状況に置かれる。私がハワイから日本に送られたときなんてまさにそうです。日本に帰りたいわけではなかったけれども日本に帰ることになった。不安がある。けれども、神様は私たちに語るのです。
恵みと平安があなたがたにますます豊かに与えられますように。
私たち一人ひとりを選んだのは神様なのです。何かこの世の尺度によって決められたのではなく、神様が置いてくださったのです。私たちのことを私たちよりも知ってくださっている神様が送ってくださっているのです。この神様は最善の計画を用意してくださっています。その故に私たちは、恵みと平安の中に生きていくことができるのです。
お祈り
・昭島教会に集う方々、ご家族のために
・最近、初めて来られた方々、久しぶりに来られた方々のため
・キッズフェスタFMTPのため
・八王子教会のために
賛美 新聖歌505主我を愛す
(参考動画)
https://youtu.be/slBTEYWwSek?si=RwGv8SXdxTJIa6vN
動画をアップして下さっている方に感謝します。
主の祈り (出典:新聖歌)
天にまします我らの父よ。ねがわくは御名をあがめさせたまえ。御国を来たらせたまえ。御心の天になるごとく、地にもなさせたまえ。我らの日用の糧を今日も与えたまえ。我らに罪をおかす者を我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ。我らを試みに合わせず、悪より救い出したまえ。国と力と栄えとは限りなく汝のものなればなり。アーメン
『教会福音讃美歌』355番「私の望みは」『讃美歌21』474番「わが身の望みは」『聖歌』236番「のぞみはただ主の」2020年...