豊中泉キリスト教会

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 豊中泉教会は、設立から55年になるプロテスタントの教会で、東京に本部のある「宗教法人・日本ホ-リネス教団」の、国内に約170有る教会の一つです。
集会としては、毎週日曜の朝9時、10時半、夜7時半からの三回の「礼拝」と、日曜の朝の幼児から高校生までを対象とした「教会学校」で、心の成長に取組んでいます。また、毎週の水曜の朝と夜には「祈り会」があり、それ以外にもいろいろな集会を行っています。

牧師:岡田宣道

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◇8月23日  聖日礼拝式のご案内<先週の講壇より>聖書箇所: イザヤ57:18~19説 教 題: 「平和、平和があるように」 8月の終戦記念日や原爆投下の日を迎えるこの時期、私たちはことさらに平和について考えます。「平和があるように」と誰...
21/08/2026

◇8月23日  聖日礼拝式のご案内

<先週の講壇より>

聖書箇所: イザヤ57:18~19
説 教 題: 「平和、平和があるように」

 8月の終戦記念日や原爆投下の日を迎えるこの時期、私たちはことさらに平和について考えます。「平和があるように」と誰もが願いつつも厳しい現実に直面するからこそ、神さまにすがりたい思いが生まれます。
 イザヤ書57章で神さまは、「私は彼の道を見た」と言われました。イスラエルは不信仰や偶像礼拝によって国を失い、絶望の中で肉体的・精神的・霊的に「打ち砕かれ」「低められ」ました。しかし神さまは、その愚かな歩みを繰り返す彼らを決して見捨てず、「彼を癒やし、導き、慰めをもって彼とその悲しむ人々に報い、唇に賛美の実りを創造しよう」と語りかけます。神さまの側はいつだって、神の民をどこまでも愛し、救いと癒やしを願っておられるのです。
 そして、続く19節にはこうあります。「遠くにいる人にも近くにいる人にも、平和、平和があるように」。ここで言われる「近くにいる人」とは神の救いに近いイスラエル人を、「遠くにいる人」は神から遠いとされた異邦人を指しています。神さまは選ばれた者だけでなく、神さまに逆らう人や意識もしない人など、すべての人に対して「平和、平和があるように」と、言葉を重ねて強く願っておられます。神さまの愛は大きく、懐は本当に深いのです。
 さらに新約聖書のエフェソ2:17で、パウロは「キリストは来られ、遠く離れているあなたがたにも、また近くにいる人々にも、平和の福音を告げ知らせてくださいました」と語ります。本来、救いから「遠くにいる人」であった私たち自身が、イエスさまの十字架の愛によって「近くにいる人」にしていただけたのです。
 争いの現実の前に希望を失いそうになることもありますが、神さまご自身が遠くにいる人を愛し、あきらめずに平和を祈っておられます。その愛の「生き証人」である私たちもまた同じ心で、神さまを信じる人にもそうでない人にも、み〜んなの上に平和があるよう祈り続けていきましょう!
「遠くにいる人にも近くにいる人にも
 平和、平和があるように。」
       イザヤ57:19
https://youtube.com/live/CxMijQjThAM

<次週の礼拝のご案内>

聖書箇所: ヨハネ15:1~10
説 教 題: 『キリストにとどまる』

 さて、次週の礼拝は上記の個所から学びます。この個所は、イエスさまがご自分をぶどうの木に、私たちを枝に譬えて、私たちがイエスさまとつながっていることの大切さをお話になっているところです。読んでいても「つながって」いるという言葉が印象的だったんですが、実は別の翻訳を見ると、「つながる」とは訳さずに「とどまる」と訳されている箇所があり、この個所では10回も「とどまる」ということが言われているのだそうです。“イエスさまにつながる”と“イエスさまにとどまる”って、やっぱりちょっとイメージが違ってくる感じですよね。イエスさまにとどまるってどういうことなのか、共に考えてみたいと思います。

 教会の礼拝は、どなたでも参加することができます。どうぞ気兼ねなくお出かけ下さい。あなたのお越しを心よりお待ちしています!なお、ライブ配信も行っていますので、そちらもご利用ください。

ライブ配信はこちら↓
https://www.youtube.com/channel/UCtHnoRVAi-YXZMrkeZYIrYA
《当教会ホームページ》
http://toyonakaizumi.jimdofree.com/
■ 当教会は伝統的プロテスタントの教会で、エホバの証人、 統一教会、モルモン教などの、キリスト教系新宗教とは異なります。また、トイレなども含めて、1階は全域バリヤフリーとなっていますので、車椅子の方にも安心してご来会いただけます。

◇8月16日  聖日礼拝式のご案内<先週の講壇より>聖書箇所: 出エジプト20:17、ヘブライ13:5~8説 教 題: 「欲しがらなくても大丈夫」 第十の戒めは「心の思い」に関する戒めであり、神さまは十戒の最後に私たちの心の奥深くに光を当て...
14/08/2026

◇8月16日  聖日礼拝式のご案内

<先週の講壇より>

聖書箇所: 出エジプト20:17、ヘブライ13:5~8
説 教 題: 「欲しがらなくても大丈夫」

 第十の戒めは「心の思い」に関する戒めであり、神さまは十戒の最後に私たちの心の奥深くに光を当て、心のすべてを照らされるのだといいます。この「欲しがってはならない」という戒めを、二つの点から共に考えてまいりましょう。

Ⅰ、欲しがる心の正体
 出エジプト記20章17節は、隣人の家や妻、家畜など、隣人のものを一切欲することを禁じています。「欲する」という言葉(ハーマド)には、成長の原動力となるようなポジティブな意味もありますが、ここでは「奪い取る」「貪る」という負の側面が問題とされています。
 実は、この「欲しがる心」こそが、これまで語られてきた第六戒から第九戒(殺人・姦淫・盗み・偽証)の土台となっています。人のものが欲しい、あるいは羨ましいという心が動機となって、実際の行動へと現れてしまうのです。パウロが「貪欲は偶像礼拝にほかなりません」と言ったように、私たちが欲望を神として生きる時、最も大切な第一戒「まことの神を神とする」ことから引き離されてしまいます。
 ダビデ王が、隣人の妻を欲したことから破滅的な罪へと突き進んだように、欲望の支配に生きる時、それは心の問題に留まらず、最悪の結果を招きます。神さまは私たちを責めたいのではありません。欲望に支配される生き方から私たちを導き出そうと、真摯に問いかけてくださっているのです。

Ⅱ、欲しがらなくても大丈夫
 次に、ヘブライ人への手紙13章から考えます。ここでは「今持っているもので満足しなさい」と語られています。それは、神さまご自身が「私は決してあなたを見捨てず、決してあなたを置き去りにはしない」と言われたからに他なりません。人生において本当に大切なのは「何を持っているか」以上に「誰と共に生きるか」です。親と共にいる子どもが親の愛を信頼して安心しているように、私たちも神さまが共にいてくださるからこそ、安らぐことができるのです。
 「決して見捨てない」という言葉には、ギリシャ語で「あなたの手を絶対に離さない、暗闇に一人ぼっちにしない」という強い決意が込められています。しかも、元の文章では五回も否定形が使われ、「私は、絶対に、絶対に、絶対に、絶対に、絶対に、あなたの手を離さない、暗闇に一人ぼっちにしない!」という神さまの強い思いが溢れています。
 昨日も今日も、永遠に変わることのない主が共にいて最善をなしてくださるから、私たちは無理に欲しがらなくても大丈夫なのです。この神さまと共に歩む感謝の歩みを、これからも共に歩ませていただきましょう。

「私は決してあなたを見捨てず、
 決してあなたを置き去りにはしない。」ヘブライ13:5
https://youtube.com/live/Z6phf3Pr0QI

<次週の礼拝のご案内>

聖書箇所: イザヤ57:18~19
説 教 題: 『平和、平和があるように』

 さて、次週の礼拝は上記の聖書の個所を開きます。8月は広島・長崎の原爆投下の日があり、終戦記念日がありますから、テレビや新聞、ネットのニュースなどを見て、ことさらに平和ということについて考えることが多いかと思います。礼拝においても、毎年この時期に平和について考える機会を持ってきました。次週は上記の個所から、共に平和ということについて聖書から考えたいと思っています。「平和があるように」というのは、本来は誰しもが願うことだと思います。でもなかなか厳しい現実があることも私たちは実感しています。だからこそ、神さまにすがりたい思いがあるわけですが、この聖書の言葉では、「遠くにいる人にも近くにいる人にも 平和、平和があるように。」と言われています。遠くにいる人、近くにいる人、これはどのような人のことを指しているのでしょうか。そのあたりを切り口にしながら、ともに聖書のメッセージに耳を傾けたいと思います。

 なお、礼拝の中では聖餐式が執り行われます。これは、クリスチャンがイエスさまの十字架を想い、記念してあずかる礼典です。まだ洗礼をお受けになっていない方にはご遠慮いただいておりますが、クリスチャンがどういう想いで十字架に向き合っているのかを見ていただいたらよいかなと思っています。

 教会の礼拝は、どなたでも参加することができます。どうぞ気兼ねなくお出かけ下さい。あなたのお越しを心よりお待ちしています!なお、ライブ配信も行っていますので、そちらもご利用ください。

ライブ配信はこちら↓
https://www.youtube.com/channel/UCtHnoRVAi-YXZMrkeZYIrYA
《当教会ホームページ》
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◇8月9日  聖日礼拝式のご案内<先週の講壇より>聖書箇所: 創世記37:12~24説 教 題: 「たとえ悪を企てても」 皆さんは今日のお話の中で、お兄さんたち、お父さん、ヨセフ 自身、誰が一番悪いと思いますか?ぶっちゃけたところ、これはみ...
05/08/2026

◇8月9日  聖日礼拝式のご案内

<先週の講壇より>

聖書箇所: 創世記37:12~24
説 教 題: 「たとえ悪を企てても」

 皆さんは今日のお話の中で、お兄さんたち、お父さん、ヨセフ 自身、誰が一番悪いと思いますか?ぶっちゃけたところ、これはみんな悪いんですよね。ヨセフ自身がこの時のことを振り返っていった言葉の中に、「あなたがたは私に悪を企てた」とありますが、確かにお兄さんたちは意図して弟を売り飛ばしたわけですから、悪を企てている感じです。ではヨセフはどうかというと、自分がお父さんに溺愛されていることを、知らなかったわけではないでしょう。でも、半分は天然で、半分は意図して、お兄さんたちを逆なでするようなことを企てていたという部分があるかなと思います。
 そして父ヤコブですが、彼はヨセフを偏愛しましたが、なぜそうしてしまったのかという時に、それは自分が偏愛されて育ったからですね。ヨセフの両親は、イサクはエサウを、リベカはヤコブを愛しました。それが大きく家族を引き裂くことになってしまいます。そういう中で育ったヤコブが自分の子を偏愛するというのは、育成環境から来るものでもあり、もはや天然というか、意図せずしてそうなっている部分でもある。そういう、無自覚な企てというのが、実は非常にたちが悪い。
 私たちの生きる世の中には、そういった、意図して、あるいは意図せずして悪が企てられている。もうそれで世界が満ち溢れている。みんなが悪をたくらむのが普通という世の中が、私たちの目の前にあるわけですよね。しかも、自分もまた例外ではありません。いやむしろ、他の誰かよりも、他でもない私自身が、一番悪をたくらんでいるではないか。意図して、意図せずして、悪をたくらんで人を傷つけ、神さまをないがしろにしているではないか…。
 でも、神さまってすごいんですよね。このヨセフの物語は、神さまに選ばれた神の民の物語の一部です。でも神さまは、この神の民の中で悪が企てられても、そのことで即座にこのファミリーを裁き、もう彼らを見捨てるということはなさらなかったんですよね。むしろ、「あなたがたは私に悪を企てましたが、神はそれを善に変え」とあります。実はここはとても面白いところで、もともとの旧約聖書が書かれたへブル語を見ると、原文の直訳としては「神はそれを善のために企てた」と、悪を企てと同じ言葉を使っているんです。
 つまり、私たちは悪を企てます。企ててしまいます。けれども神さまは、それをはるかに凌駕する、善を企ててくださるお方なんだと、聖書は語っているんですね。その善とは、命を救う企てです。この世界がどんなに人の企てた悪で満ちようとも、また私たち自身も悪を企てることにどっぷりとつかってしまったとしても、神さまはそういう私たちを救い、命を与えてくださるために、日々の一つ一つのことの中に善を企ててくださるお方なのです。
 この神さまが共にいてくださるから、私たちはたとえどんなことに呑み込まれそうになっても、安心して歩んでゆくことができるのではないでしょうか。今日もこのお方を覚えて、ここから共に遣わされてまいりましょう。お祈りをささげて終わります。

「あなたがたは私に悪を企てましたが、神はそれを善に変え、多くの民の命を救うために、今日のようにしてくださったのです。」創世記50:20
https://www.youtube.com/live/0umC-wV3_n4

<次週の礼拝のご案内>

聖書箇所: 出エジプト20:17、ヘブライ13:5~8
説 教 題: 『欲しがらなくても大丈夫』

 さて、次週の礼拝は十戒シリーズの最後になります。十番目の最後の戒めは、「隣人の家を欲してはならない。」というものです。聖書協会共同訳では「欲してはならない」と訳されていますが、以前使用していた口語訳では「むさぼってはならない」となっていました。むさぼると聞くと、私なんかは、野良犬がガツガツと貪欲に喰らっているようなことを思い浮かべていたのですが、「欲してはならない」と言われると大分イメージが違ってくる感じがしますよね。
 またこれは、単に何かを欲することを戒めているのではなくて、「隣人の家を欲してはならない」と言われています。これは実際にはどういう意味なのでしょうか。この時代の背景もふまえながら考えると共に、欲しがって生きる生き方から抜け出してゆくことができるのか、新約聖書の光を当てながら考えたいと思います。

 教会の礼拝は、どなたでも参加することができます。どうぞ気兼ねなくお出かけ下さい。あなたのお越しを心よりお待ちしています!なお、ライブ配信も行っていますので、そちらもご利用ください。

ライブ配信はこちら↓
https://www.youtube.com/channel/UCtHnoRVAi-YXZMrkeZYIrYA
《当教会ホームページ》
http://toyonakaizumi.jimdofree.com/
■ 当教会は伝統的プロテスタントの教会で、エホバの証人、 統一教会、モルモン教などの、キリスト教系新宗教とは異なります。また、トイレなども含めて、1階は全域バリヤフリーとなっていますので、車椅子の方にも安心してご来会いただけます。

◇8月2日  聖日礼拝式のご案内<先週の講壇より>説 教 者: 寺東真也師(基督兄弟団・大阪教会牧師)聖書箇所: ルカ10:38~42説 教 題: 「聴くこと」(Geminiによる要約) 本日の聖書箇所では、ベタニアでイエスさまをお迎えした...
01/08/2026

◇8月2日  聖日礼拝式のご案内

<先週の講壇より>

説 教 者: 寺東真也師(基督兄弟団・大阪教会牧師)
聖書箇所: ルカ10:38~42
説 教 題: 「聴くこと」

(Geminiによる要約)
 本日の聖書箇所では、ベタニアでイエスさまをお迎えしたマルタとマリアの姉妹が描かれています。姉のマルタはもてなしの準備で忙しく走り回り、手伝わない妹にイライラしてイエス様に愚痴をぶつけました。しかしイエス様は「マルタ、マルタ、あなたは思い惑って心を乱しています。しかし必要なことは一つだけです。マリアはその良い方を選びました」とお答えになりました。イエス様の足元に座り、じっと話に耳を傾けていたマリアの姿勢こそが、私たちにとって最も重要で必要なことなのだと教えられます。

1、「聞く」と「拝聴する(聴く)」の違い
 日本語の「きく」には二つの意味があります。一つはBGMのように意識しなくても耳に入ってくる「聞く」であり、もう一つは意識して相手の話を理解しようと周波数を合わせる「聴く(拝聴する)」です。マリアが選んだのは、命がけでイエスさまのお言葉を「拝聴する」ことでした。
 また、カウンセリングの本質も「相手の話をよく聞いて共感すること(オウム返しで言葉を返すこと)」だと言われます。人間は自分の意見や経験を話したがり、相手の言葉を聞くことが難しくなりがちですが、人間関係においても神さまとの関係においても、真に耳を傾けることが何より大切なのです。

2、現代の情報過多と、神様の「かすかな細い声」
 現代はスマホやネットなどから膨大な情報が溢れ、向こうから飛び込んでくる時代です。その中で私たちが何に心を向けるかが問われています。
 旧約聖書の預言者エリヤは、バアルの預言者たちとの戦いに大勝利を収めた後、命を狙われて心が折れ、荒野で「もう十分です。命を取ってください」と投げ出しました。しかし神様は彼を力づけ、ホレブの山へと導きます。そこで激しい大風や地震、火が起こりましたが、その中に主はおられませんでした。その後に聞こえてきた「かすかな細い声」の中にこそ、神さまがおられたのです。
 神さまは胸ぐらを掴んで力づくで迫るのではなく、小さな声で「私はあなたを愛しているよ」と絶えず語りかけてくださっています。私たちは静かに主の前に進み出なければ、その小さな声を聞き逃してしまいます。

3、「聞く」とは「聞き従う」こと
 イエスさまが「聞く耳のある者は聞きなさい」と言われたのは、単に音が聴こえているという意味ではなく、心から聞き受けて「従う」ことを意味しています。
 マリアはイエスさまの足元で、イエスさまがこれから受ける十字架と死についてのお言葉を真剣に聴いていたと考えられます。その後、イエスさまが十字架にかかられる前、マリアは非常に高価な純粋の香油(約300万円相当)をイエスさまの全身に注ぎ、自分の髪で足をごしごしと拭いました。周りは「勿体ない」と非難しましたが、イエスさまは「私を葬る日のために取っておいたのだ」とマリアをかばわれました。
 急な埋葬のために香油を塗る時間がなかったイエスさまにとって、マリアのこの行動は神さまの完璧なタイミングでなされた「埋葬の準備」となったのです。

 聞くこととは、神さまのお言葉に聞き従うことです。私たちが自分のやり方ではなく、主の御言葉に耳を傾け、心から聞き従おうと歩み出すとき、私たちの弱さや至らなささえも、神さまは最善に用いてご自身の栄光を表してくださいます。

「しかし、必要なことは一つだけです。マリアはその
 良いほうを選びました。それが彼女から取り上げら
 れることはありません。」ルカ10:42
https://youtube.com/live/aaOjoq29YgM

<次週の合同礼拝のご案内>

聖書箇所: 創世記37:12~24
説 教 題: 『たとえ悪を企てても』

 さて、次週の礼拝式は子どもから大人までの合同礼拝です。9時からの第一礼拝はありませんので、お間違えの無いようお出かけください。今回は子どもたちと一緒に、「もうふりむかない」という賛美を歌う予定ですが、このような歌詞になっています。

 もうふりむかない もうふりむけない
 もうつぶやかない もうつぶやけない
 イエスさまとともに歩む 日々はもう輝いている
 いつもイエスさまに愛されてるから
 手を上げて 私はあなたをほめ歌う
 主の愛に 私は満ちてる

 明るくて元気な賛美ですが、毎日こんな日を歩めたら素敵だろうなぁって思わされます。でもそのために大事なことは一つだけ。「イエスさまと共に歩む」、ここですね♪礼拝に集う中で、その喜び、すばらしさを味わっていただければなぁと思っています。
 次週は上記の聖書の個所から学びますが、実はこの個所、弟がお兄さんに裏切られて売り飛ばされてしまうという、実はとっても悲しい出来事が書かれているんですね。日本的に言うと、それこそ「神も仏もあるものか」かもしれません。でも聖書的には、そんな中にも神があるのです!ストーリーを味わいながら、そこに込められた神さまからのメッセージを、一緒に味わうことができれば感謝です。
 教会の礼拝は、どなたでも参加することができます。どうぞ気兼ねなくお出かけ下さい。あなたのお越しを心よりお待ちしています!なお、ライブ配信も行っていますので、そちらもご利用ください。

ライブ配信はこちら↓
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◇7月26日  聖日礼拝式のご案内<先週の講壇より>聖書箇所: 出エジプト20:16      エフェソ4:25~32説 教 題: 『真実を語る』 十戒シリーズもあとわずかになりました。今回は第九戒の「隣人について偽りの証言をしてはならない...
24/07/2026

◇7月26日  聖日礼拝式のご案内

<先週の講壇より>

聖書箇所: 出エジプト20:16
      エフェソ4:25~32
説 教 題: 『真実を語る』

 十戒シリーズもあとわずかになりました。今回は第九戒の「隣人について偽りの証言をしてはならない」から学ばせていただきましょう。

Ⅰ、偽証しないとは?
 出エジプト記にある「偽りの証言をしてはならない」は、単なる日常の嘘への警告ではなく、法的な証言台で事実と違うことを言って人を冤罪に陥れることを禁じる重い教えです。「偽り(シェケル)」は「信頼を裏切る」「張りぼて」といった意味を含み、「隣人」には自分と敵対する相手まで含まれます。科学的捜査がなかった当時、人々の生活を守るには相互の信頼が不可欠であり、事実を歪めて相手を攻撃することを禁じるルールは社会の土台でした。
 これは現代のネット上の誹謗中傷や切り取り報道などにも通じる問題です。ひどい事件の加害者を必要以上に責めたり蔑んだりする思いが習慣化すると、身近な隣人に対しても先入観を持ち、攻撃してしまう危険が生じます。神様は、たとえ相手に過失があっても、攻撃的な言葉や蔑みの眼で見ることをお喜びになりません。

Ⅱ、真実を語るとは?
 エフェソの信徒への手紙4章は、第九戒の禁止(ブレーキ)から一歩進み、私たちがどう生きるべきかという具体アクションを3つの段階で示しています。
①真実を語る(25節):
 相手の欠点を容赦なく突きつけることではなく、社会という一つの体として「誠実さ」や「信頼関係」の土台を作ることです。
②怒りを次の日に持ち越さない(26節):
 理不尽さに怒る感情は自然ですが、一晩中煮込むと「悪意」や「恨み」に変わります。“怒りに賞味期限を設ける”ように、次の日に持ち越さず捨てる必要があります。
③善い言葉を語る(29節):
 人の心を腐らせる「悪い言葉」を断捨離し、目の前の人が元気になるために必要な、心の栄養となる「善い言葉」をプレゼントします。
 「自分にできるだろうか」と不安になりますが、キリストの十字架によって私たちはすでに「赦された」存在です。内に住んでくださる聖霊様と一緒に、相手を造り上げる言葉を語る歩みを求めていきましょう。

「口にするなら、聞く人に恵みが与えられるように、
 その人を造り上げるために必要な善い言葉を語りなさい。」
              (エフェソ4:29)
https://youtube.com/live/oTjLuywXtfw

<次週の礼拝のご案内>

聖書箇所: ルカ10:38~42
説 教 題: 『聴くこと』

 さて、次週の礼拝は、キリスト兄弟団・大阪教会の寺東真也牧師が礼拝のご奉仕をしてくださいます。次週は私が大阪市内の別の教会に招かれてご奉仕することになっていて、留守になる教会の説教を寺東先生にお願いしました。寺東先生は、ジョンウェスレーに学ぶ会や大阪ケズィックコンベンション、大阪宣教祈祷会などの事務方としてご奉仕されていますので、顔を見ると「ああこの先生、超教派の集会で見たことあるなぁ♪」と思われるのではないかと思います。また先生は、兄弟団でも長く青年宣教主事をされていて、ユースの働きに尽力されている先生です。とても親しみやすく、また大変分かりやすい説教をお話してくださる先生です。ぜひご期待くださって、お出かけいただければと思います。

 教会の礼拝は、どなたでも参加することができます。どうぞ気兼ねなくお出かけ下さい。あなたのお越しを心よりお待ちしています!なお、ライブ配信も行っていますので、そちらもご利用ください。

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◇7月19日  聖日礼拝式のご案内<先週の講壇より>聖書箇所: 出エジプト20:15、フィレモン8~20説 教 題: 「すべては神のもの」 十戒の第八戒「盗んではならない」について、二つの点からメッセージを受け止めます。Ⅰ、すべては神のもの...
18/07/2026

◇7月19日  聖日礼拝式のご案内

<先週の講壇より>

聖書箇所: 出エジプト20:15、フィレモン8~20
説 教 題: 「すべては神のもの」

 十戒の第八戒「盗んではならない」について、二つの点からメッセージを受け止めます。

Ⅰ、すべては神のもの
 「盗んではならない」という戒めは、単なる泥棒の禁止ではなく、本来は「人を誘拐して奴隷とすること」、つまり「隣人の自由と尊厳を損ない、踏みにじること」を戒めています。
なぜ人の自由や尊厳を奪ってはいけないのでしょうか。聖書は「あなたは私のもの」という神の言葉を示しています。「人間ひとりひとり」も「この世界のすべて」も、神さまがお造りになった「神さまの作品」なのです。だからこそ、自分の欲望のままに奪ってはいけません。これは自由を奪う者への警告であると同時に、辛く苦しい中にある人にとっては「何人たりともあなたの尊厳と自由を奪ってはいけない」という力強いメッセージなのです。

Ⅱ、私の心そのものです
 フィレモンへの手紙には、主人の財産を盗んで逃げ出した奴隷オネシモが登場します。彼は逃亡奴隷であり、かつ主人のものを盗んだ「有害な者」でしたが、幽閉中のパウロと出会い回心しました。パウロは主人フィレモンに、彼を奴隷ではなく愛する兄弟として迎えるよう執り成し、オネシモを「私の心そのものです」と呼びました。
 旧約の律法では、この戒めを破った者は「死ななければならない」とされていました。しかしパウロは「彼が何か損害を与えたり、負債を負ったりしていたら、それは私の借りにしておいてください」と言います。これこそがイエス・キリストの福音です。私たちは大きな罪の負債を抱えていましたが、イエスさまが十字架でその負債を代わりに背負って死んでくださったから、私たちは死なさなくてよいのです。

 私たちは、知らず知らずのうちに人の尊厳を奪ったり、すべては神のものである時間を自分のために盗み取ったりしているかもしれません。しかし神さまは、「あなたの罪の負債は私が十字架で背負う」「あなたは私の心そのものだから」と、これ以上ない愛で包み込んでくださいます。この神さまの愛と赦しを素直に受け取り、私たちもまた神さまと同じ心で生きてゆきましょう。

「彼は私の心そのものです。」フィレモン12
https://youtube.com/live/CYc9Qg4c8yA

<次週の礼拝のご案内>

聖書箇所: 出エジプト20:16、エフェソ4:25~32
説 教 題: 『真実を語る』

 さて、次週の礼拝は十戒の中の第九戒、「隣人について偽りの証言をしてはならない」について共に考えたいと思います。偽りの証言をしないというと、つまり嘘を禁じている戒めだろうと想像しますね。“嘘つきは泥棒の始まり”なんていうことわざもありますが、このことわざは、小さな嘘をつくことが習慣化すると、良心が麻痺し、最終的には盗みなどの大きな悪事も平気で行うようになるという教訓を示しています。聖書が偽りの証言を禁止しているのも、やはり同じような意味なのでしょうか。あらためて考えると共に、偽りや噓に背を向けて歩むとは実際にどういうことであるのか、共に考えてみましょう。

 教会の礼拝は、どなたでも参加することができます。どうぞ気兼ねなくお出かけ下さい。あなたのお越しを心よりお待ちしています!なお、ライブ配信も行っていますので、そちらもご利用ください。

ライブ配信はこちら↓
https://www.youtube.com/channel/UCtHnoRVAi-YXZMrkeZYIrYA
《当教会ホームページ》
http://toyonakaizumi.jimdofree.com/
■ 当教会は伝統的プロテスタントの教会で、エホバの証人、 統一教会、モルモン教などの、キリスト教系新宗教とは異なります。また、トイレなども含めて、1階は全域バリヤフリーとなっていますので、車椅子の方にも安心してご来会いただけます。

◇7月12日  聖日礼拝式のご案内<先週の講壇より>聖書箇所: 創世記25:27~34説 教 題: 「神さまを大切に」 今日の暗唱聖句にある「エサウは長子の権利を軽んじた」の「軽んじた」には、ヘブライ語の「バーザー」という言葉が使われていま...
10/07/2026

◇7月12日  聖日礼拝式のご案内

<先週の講壇より>

聖書箇所: 創世記25:27~34
説 教 題: 「神さまを大切に」

 今日の暗唱聖句にある「エサウは長子の権利を軽んじた」の「軽んじた」には、ヘブライ語の「バーザー」という言葉が使われています。これには価値があることを知りながら、それを価値のないものとして扱ったという強い意味があり、神さまが尊いと言われるものを自分の判断で価値のないものにしてしまう、神さまへの態度にも用いられます。
 長子の権利で最も重要なのは「神の契約を受け継ぐこと」であり、やがて神さまが必ず成就してくださる、目に見えない未来の祝福の約束でした。しかしエサウは、今の空腹という目の前の欲望と神さまの約束を天秤にかけ、前者を選びました。聖なるものを普通のものとして扱う「俗悪な者」となったのです。私たちも、目に見える祝福にばかり心が奪われ、本来約束されている大切な祝福をないがしろにしているなら、エサウと同じ輪の中にいるのかもしれません。
 では、神さまが私たちに与えてくださっている、まだ目にしていない未来の祝福とは何でしょうか。それは、イエスさまが十字架の上で命をかけて与えてくださった「永遠のいのち」「永遠の神の国の祝福」です。私たちは、始まりと終わりがあるという目に見える枠組みだけで自分の人生を考えてしまいがちです。そのため、多くの敬愛する兄弟姉妹を天に送り、人数が減ってこれから教会はどうなっていくのかと、心配や寂しさを感じることもあります。
 しかし、永遠の命を信じている私たちの人生は、やがて死を迎えるまでではありません。死を迎えた後に魂が神さまの御手の中で究極の安らぎをいただくこと、イエスさまが再臨される時に復活して栄光の体に変えられ、先に召された仲間たちと共に天にあげられて主と会えること、そして新天新地で永遠に神さまをほめたたえながら生きることも、すべて「自分の人生の一部」なのです。
 これこそが、ヤコブやエサウにとっての長子の権利に当たる、まだ目に見えない未来に受け取る私たちの祝福です。この祝福を約束し、その確かなしるしとして、イエスさまはすでに二千年前に十字架にかかって神さまの愛を見える形で表してくださいました。私たちはこの神さまの思いと事実を大切に受け止め、まだ見ぬ神さまの祝福を心から、大胆に信じて、これからも歩ませていただきましょう。

「エサウは長子の権利を軽んじた。」創世記25:34
https://youtube.com/live/yiRfEs8BvLo

<次週の礼拝のご案内>

聖書箇所: 出エジプト20:15、フィレモン8~20
説 教 題: 『すべては神のもの』

 さて、次週の礼拝は十戒シリーズの続きになります。今回は第八戒の「盗んではならない」から学びます。盗んではならないということは、これは日本の法律でも当然言われていることですから、あらためて強調されなくても誰もが分かるはずです。では、なぜ盗むことは良くないことなのでしょうか。もし盗んでいい世の中になってしまったら、そんな社会はあっという間に崩壊してしまうでしょう。ですから、そんなの言うまでもない…と言われるかもしれません。けれども聖書は、私たちの思うところとはまた別の視点から、なぜ盗んではならないかということを語っています、また、この戒めを破ってしまった者に対して神さまはどう関わってくださるのかも語られています。そのあたりのことを、皆さんとともに聖書から考えることができればと願っています。
 教会の礼拝は、どなたでも参加することができます。どうぞ気兼ねなくお出かけ下さい。あなたのお越しを心よりお待ちしています!なお、ライブ配信も行っていますので、そちらもご利用ください。

ライブ配信はこちら↓
https://www.youtube.com/channel/UCtHnoRVAi-YXZMrkeZYIrYA
《当教会ホームページ》
http://toyonakaizumi.jimdo.com/
■ 当教会は伝統的プロテスタントの教会で、エホバの証人、 統一教会、モルモン教などの、キリスト教系新宗教とは異なります。また、トイレなども含めて、1階は全域バリヤフリーとなっていますので、車椅子の方にも安心してご来会いただけます。

◇7月5日  四泉合同礼拝式のご案内<先週の講壇より>聖書箇所: マタイ20:1~16説 教 題: 「誰に目を注ぐのか」説 教 者: 西岡義行師(Genimiによる要約) 本テキストの「ぶどう園の労働者」の例え話は、人間的な視点(労働者の視...
04/07/2026

◇7月5日  四泉合同礼拝式のご案内

<先週の講壇より>

聖書箇所: マタイ20:1~16
説 教 題: 「誰に目を注ぐのか」
説 教 者: 西岡義行師(Genimiによる要約)

 本テキストの「ぶどう園の労働者」の例え話は、人間的な視点(労働者の視点)から読むと、朝早くから不条理な暑さの中で一日中働いた者にとっても、夕方5時からわずか1時間しか働かなかった者にとっても、等しく「1デナリオン」の賃金が支払われるという不条理さから、一見不平を漏らしたくなる「嫌いな箇所」になりがちです。朝早くから働いた人々は「もっともらえるだろう」と期待し、同じ扱いに不満を募らせます。このように、私たちはどうしても他者と「比較」をして生きてしまいます。しかし、比較とは自分にとって都合の良い基準で相手の一部分だけを測る「知恵のない仕業」であり、人を落ち込ませたり、自慢させたりする癖物です。
 マタイがこのイエスの例え話を福音書に記した背景には、当時のシリア周辺の教会の中に、昔からの律法を重んじるユダヤ系クリスチャンや、新しく加わった異邦人クリスチャンなどが混在し、互いのやり方や貢献度を比較して分裂しそうになっていたという教会特有の事情がありました。
 ここで重要なのは、私たちが「自分の労働時間や環境」ではなく、天の国が例えられている「ぶどう園の主人」に目を注ぐことです。主人は、朝6時、9時、12時、3時、そして夕方5時になっても広場へ出かけ、仕事がなくて待っている人々を招き入れます。「誰も雇ってくれない」という人生の辛さや痛みを抱える人々に対して、主人は同じように恵みを与えたいという深い憐れみの心を持っています。
 説教者は、自身の娘が重い心臓病で生死を彷徨う手術を控えていた際、苦境にある別の女性へかけた励ましの言葉が、実は相手の痛みを理解せぬまま自己満足で傷つけていたと神から気付かされた実体験を語ります。私たちは「自分はこれだけやった、汗を流した」という自分中心の視点に囚われるあまり、後から来て批判的に見える人や、上手く生きられない人に対しても、神が「同じように恵みを注ぎたい」と願っておられる神の心を見失ってしまうのです。
 「後にある者が先になり、先にある者が後になる」という言葉の通り、私たちは自分中心の比較から解放されなければなりません。自分を基準にするのではなく、誰に対しても等しく恵みを注ごうとされる神の視点に立ち、イエス・キリストに目を注いで、その神の心を我が心とすることこそが、清められた教会の共同体の歩みです。
https://youtube.com/live/8rYpNpdCvN0

<次週の礼拝のご案内>

聖書箇所: 創世記25:27~34
説 教 題: 『神さまを大切に』

 さて、次週の礼拝は「四泉合同礼拝」です。私たちの教会は同じルーツを持つ四つの泉教会があります。豊中泉、宝塚泉、みのお泉、三田泉の四教会なのですが、年に一度合同礼拝を行っています。集まれる方は豊中泉教会に集まって、集まれない方は各教会をサテライト会場にして、YouTubeで共に礼拝をささげます。時間は10時半からの1回だけとなりますので、お間違えの無いようお出かけください。なお合同礼拝ですので、子ども向けのお話もあります。どうぞお楽しみに♪
 また礼拝後は、お弁当をいただきながらクイズや歌の出し物で楽しむ、その名も「ジョイフル四泉」を行う予定ですので、こちらもどうぞお楽しみに!

 教会の礼拝は、どなたでも参加することができます。どうぞ気兼ねなくお出かけ下さい。あなたのお越しを心よりお待ちしています!なお、ライブ配信も行っていますので、そちらもご利用ください。

ライブ配信はこちら↓
https://www.youtube.com/channel/UCtHnoRVAi-YXZMrkeZYIrYA
《当教会ホームページ》
http://toyonakaizumi.jimdo.com/

■ 当教会は伝統的プロテスタントの教会で、エホバの証人、 統一教会、モルモン教などの、キリスト教系新宗教とは異なります。また、トイレなども含めて、1階は全域バリヤフリーとなっていますので、車椅子の方にも安心してご来会いただけます。

02/07/2026

🇰🇷 韓国をまるごと体験しよう!

7月18日(土)、「韓国フェスタ(韓国語教室&韓国体験)」を開催します!🇰🇷

韓国から来日するボランティアチームと一緒に、

✨ 韓国語にチャレンジ
✨ K-POPダンスを体験(先着10名)
✨ 韓国の伝統手作り体験や韓国料理教室
✨ クイズや交流を楽しむ

など、韓国の魅力をたっぷり味わえるイベントです。

子どもから大人まで、どなたでも大歓迎!
「韓国が好き」「ちょっと興味がある」「何か新しいことを体験してみたい」という方も、ぜひお気軽にご参加ください。

🎟 参加無料
👨‍👩‍👧 対象:子ども〜大人まで
※小学生2年生以下のお子さまは、保護者の同伴が必要です
📍 会場:豊中泉キリスト教会
⏰ 13:00〜16:00(12:30受付開始)

先着40名限定です!
定員になり次第締め切りますので、添付チラシの
QRコードからお早めにお申し込みください。

皆さまと一緒に、韓国を身近に感じられる楽しいひとときを過ごせることを楽しみにしています! 🇰🇷✨

🥳豊中泉キリスト教会ホームページ
https://toyonakaizumi.jimdofree.com/

 豊中泉教会は、設立から55年になるプロテスタントの教会で、東京に本部のある「宗教法人・日本ホ-リネス教団」の、国内に約170有る教会の一つです。
集会としては、毎週日曜の朝9時、10時半、夜7時半からの三回の「礼拝」と、日曜の朝の幼児から高校生までを対象とした「教会学校」で、心の成長に取組んでいます。また、毎週の水曜の朝と夜には「祈り会」があり、それ以外にもいろいろな集会を行っています。

牧師:岡田宣道

google map→https://maps.google.co.jp/maps/ms?msid=208155817056479552007.0004c2e10ebeae2e83512&msa=0&ll=34.795762,135.450439&spn=5.249782,7.064209

◇6月28日  「泉聖会」のご案内<先週の講壇より>聖書箇所: 出エジプト20:14、マタイ5:27~30説 教 題: 『関係を保ち続けるために』 十戒の第七戒「姦淫してはならない」は、私たちが「自分は大丈夫、守れている」と受け止めがちな戒...
27/06/2026

◇6月28日  「泉聖会」のご案内

<先週の講壇より>

聖書箇所: 出エジプト20:14、マタイ5:27~30
説 教 題: 『関係を保ち続けるために』

 十戒の第七戒「姦淫してはならない」は、私たちが「自分は大丈夫、守れている」と受け止めがちな戒めです。しかし、聖書やイエスさまの言葉をひも解くと、これは単に実際の行動に手を下さなければよいという単純な問題ではなく、私たちの内面や神さまとの関係に深く関わる問題であることが分かります。

Ⅰ、姦淫とは何か
 旧約聖書の十戒において「姦淫」をあらわす言葉には、ヘブル語の「ナーアフ」が使われています。これは基本的には、結婚している者が配偶者以外の者と性的な関係を持つことを指します。この戒めは、単に性的な罪を禁じるだけでなく、神さまがお決めになった「お互いを尊い存在として愛し合い、助け合う」という結婚の素晴らしい関係性を壊してしまうことを強く禁じているのです。
 また旧約聖書では、神さまとイスラエル民族の関係が「夫と妻」に譬えられます。そのため、民がまことの神さまを捨てて偶像崇拝に走ったことは「信仰的な姦淫」として激しく非難されました。
 けれども神さまは愛と恵みの神さまでいてくださいました。 預言者ホセアが、姦淫を犯して離れていった妻を再び愛して迎え入れたように、神さまは大切な関係をないがしろにしてしまう私たちを決して見捨てず、どこまでも愛して赦し救ってくださるのです。

Ⅱ、心の姦淫
 イエスさまはマタイによる福音書で、当時の宗教指導者たちの「行動に移さなければ、心の中で何を考えていようがセーフ」というスタンスを拒み、「情欲を抱いて女を見る者は誰でも、すでに心の中で姦淫を犯した」と、問題を心の中にまで深められました。
 罪はいきなり行動から始まるのではなく、まず心に欲望が湧き、それが募って実際の行動になります。イエスさまは「右の目をえぐり出せ」という過激な表現を通して、「心はそのままでいい、自分の弱さを認めて私のところに来なさい」と語りかけています。同時に、心が行動にあふれ出る「実行ポイント」を抑えるための努力(共に歩んでくれる人を見つける、没頭できる趣味を持つ、正しい知識を学ぶなど)を求めておられます。
 さらにイエスさまは、姦淫の現場で捕まった女性を罪に定めず、「これからはもう罪を犯してはいけない」と言われました。それはいいよいいよと見逃したのではなく、その罪の罰をイエスさまが十字架で背負ってくださったからです。私たちの心で犯す罪についても、イエスさまが背負ってくださるのです。

 私たちは、このイエスさまとの大切な関係を保ち続けるために、自らの心の弱さをイエスさまの前に注ぎ出し、祈りつつ歩ませていただきましょう。

「姦淫してはならない。」(出エジプト20:14)
https://youtube.com/live/604OY_PvQqc

<次週の礼拝のご案内>

聖書箇所: マタイ20:1~16
説 教 題: 『誰に目を注ぐのか』

 さて、次週の礼拝は年に一度の「泉聖会」です。聖会とは、クリスチャンがさらなる信仰の深みを祈り求めて御言葉に聴く集会です。ですから、初めての方や聖書のお話に慣れていない方にとっては、ちょっと難しい内容に思われるかもしれません。たとえ全部を理解することができなくても、何か一つこころに残ることがあればいいんじゃないかなと思いますので、ぜひお出かけください。ちなみに今年の聖会講師(ゲスト)は、埼玉県にあります川越のぞみ教会の牧師であり、東京聖書学院の教頭として教鞭をとっておられる、西岡義行先生が来てくださいます。アメリカでも学んでこられた先生ですので、ぜひお出かけください。
 なお、明日は聖会のため、9時からの第一礼拝はありません。10時半からの礼拝にお間違えの無いようお出かけください。
 教会の礼拝は、どなたでも参加することができます。どうぞ気兼ねなくお出かけ下さい。あなたのお越しを心よりお待ちしています!なお、ライブ配信も行っていますので、そちらもご利用ください。

ライブ配信はこちら↓
https://www.youtube.com/channel/UCtHnoRVAi-YXZMrkeZYIrYA
《当教会ホームページ》
http://toyonakaizumi.jimdo.com/
■ 当教会は伝統的プロテスタントの教会で、エホバの証人、 統一教会、モルモン教などの、キリスト教系新宗教とは異なります。また、トイレなども含めて、1階は全域バリヤフリーとなっていますので、車椅子の方にも安心してご来会いただけます。

住所

蛍池中町1-8/1
Toyonaka-shi, Osaka
560-0033

電話番号

+81668552026

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