豊中泉キリスト教会

豊中泉キリスト教会 豊中泉キリスト教会, キリスト教会, 蛍池中町1-8/1, Toyonaka-shiの連絡先情報、マップ、方向、お問い合わせフォーム、営業時間、サービス、評価、写真、動画、お知らせ。

 豊中泉教会は、設立から55年になるプロテスタントの教会で、東京に本部のある「宗教法人・日本ホ-リネス教団」の、国内に約170有る教会の一つです。
集会としては、毎週日曜の朝9時、10時半、夜7時半からの三回の「礼拝」と、日曜の朝の幼児から高校生までを対象とした「教会学校」で、心の成長に取組んでいます。また、毎週の水曜の朝と夜には「祈り会」があり、それ以外にもいろいろな集会を行っています。

牧師:岡田宣道

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◇5月31日  ウェルカム礼拝式のご案内<先週の講壇より>聖書箇所: テモテ二1:6~14説 教 題: 『聖霊によって守られて』 本日与えられた「あなたに委ねられた良いものを、私たちの内に宿っている聖霊によって守りなさい」という御言葉から、...
28/05/2026

◇5月31日  ウェルカム礼拝式のご案内

<先週の講壇より>

聖書箇所: テモテ二1:6~14
説 教 題: 『聖霊によって守られて』

 本日与えられた「あなたに委ねられた良いものを、私たちの内に宿っている聖霊によって守りなさい」という御言葉から、聖霊について二つの点で考えてみたいと思います。

Ⅰ、委ねられた良いもの
 まず前半の「委ねられた良いもの」についてです。この「良いもの」とは、イエスさまが与えてくださった救い、福音のことを指しています。私たちは神さまのご計画と、なんといっても恵みによって救われました。キリストは死を無力にし、福音によって命と不死とを明らかに示してくださいました。資格のない者が、自分で代償を払うことなく、神さまの圧倒的な恵みによって救われたのです。
 「委ねられた」という言葉は、当時は旅に出る時などに、最も信頼できる友人に「絶対に失くさずに保管しておいてくれ」と命がけで預ける貴重な財産、すなわち「あずけられた宝」を意味していました。福音が必要ない人は誰もいません。どんな人でも罪のもたらす永遠の滅びとしての死を抱えています。その死から恵みによって救われるという尊い宝ものが、まずこの自分に与えられていることを感謝をもって受け取り直しましょう。

Ⅱ、聖霊によって守る
 次に「聖霊によって守る」についてです。私たちは福音という宝物をいただいていることを感謝して終わりなのではなく、さらに多くの人に手渡してゆくという働きを一緒に担ってゆくことを求められています。聖霊を受けることと、福音が語られることはセットになっているのです。
 パウロがこの手紙を送った弟子テモテは、少し内気で涙もろく、迫害の恐怖や教会のトラブルで非常に弱気になっていました。そんなテモテにパウロは「かつて経験した感動をもう一度鮮明に心によみがえらせる」という強い意志を伴う言葉で、神が私たちに与えてくださったのは「臆病の霊ではなく、力と愛と思慮の霊」であることを思い出させ、「聖霊によって守りなさい」と語りました。
 私たちの歩みには様々な出来事があり、そもそも自分が信仰に立てなくなったり、福音を伝えようとして人間関係が壊れてしまうこともあります。しかし神さまは「それでもお前が頑張らなあかんねん!」とは言いません。私たちの内側に宿っている聖霊なる神さまが、私たちが弱気になっている時には励まし、福音という宝を持ち続けること、手渡し続けることを内側からディフェンスしてくださるのです。
 聖霊は「力と愛と思慮の霊」です。弱くても、失敗しても、自信をなくしていても、愛をもって私たちを包み込んでくださいます。自分の努力や頑張りではなく、私たちの内に宿っている聖霊によって、自身の信仰を、宣教の使命を守っていきましょう。

「あなたに委ねられた良いものを、
 私たちの内に宿っている聖霊によって守りなさい。」
                  テモテ二1:14
https://youtube.com/live/Dyu-cStfjuU

<次週のウェルカム礼拝のご案内>

聖書箇所: イザヤ43:4
説 教 題: 『あなたがかけて欲しい言葉は?』

 さて、次週の礼拝は<ウェルカム礼拝>を予定しています。「教会に行ってみようかな。でも敷居が高そう…」「聖書の話って難しそうだな」と思っておられる方も多いかと思いますが、そのような方におすすめしたい礼拝です。皆さんは、人からどんな言葉をかけてもらいたいですか?「かっこいいね」、「素敵だよ」、「一緒に居たい」…いろいろあると思いますが、神さまはあなたにどんな言葉をかけられるのでしょう?そんなことを聖書の言葉から考えたいと思っています。また、今回は3人のお子さんの子育て奮闘中のお母さんが、どのようにして信仰を持ったか、体験談をお話してくださる予定です。こちらもぜひお楽しみに♪

 教会の礼拝は、どなたでも参加することができます。どうぞ気兼ねなくお出かけ下さい。あなたのお越しを心よりお待ちしています!なお、ライブ配信も行っていますので、そちらもご利用ください。

ライブ配信はこちら↓
https://www.youtube.com/channel/UCtHnoRVAi-YXZMrkeZYIrYA
《当教会ホームページ》
http://toyonakaizumi.jimdo.com/
■ 当教会は伝統的プロテスタントの教会で、エホバの証人、 統一教会、モルモン教などの、キリスト教系新宗教とは異なります。また、トイレなども含めて、1階は全域バリヤフリーとなっていますので、車椅子の方にも安心してご来会いただけます。

◇5月24日  ペンテコステ礼拝式のご案内聖書箇所: 出エジプト18:1~4説 教 題: 『今も共におられる神様』説 教 者: 李俊昊宣教師(加古川恵キリスト教会牧師) 実は、うちの息子の名前は「ミンハ」と言います。生まれる前に夫婦でデボー...
23/05/2026

◇5月24日  ペンテコステ礼拝式のご案内

聖書箇所: 出エジプト18:1~4
説 教 題: 『今も共におられる神様』
説 教 者: 李俊昊宣教師(加古川恵キリスト教会牧師)

 実は、うちの息子の名前は「ミンハ」と言います。生まれる前に夫婦でデボーションをしていた際、レビ記にある穀物の供え物(ヘブライ語でミヌハ)から名付けました。「神様の恵みに感謝し、人生を完全に捧げる」という大切なプレゼントの意味があります。親なら誰しも、子供には希望に満ちた良い名前をつけたいものですよね。
 しかし、聖書のモーセは、長男に絶望と嘆きの意味を持つ「ゲルショム(私は異国の地で寄留者となった)」という名前をつけました。かつてエジプトの王宮で最高峰の軍事や政治、修辞学を学び、エリート人生を歩んでいた彼は、同胞を助けようとして人を殺し、ミディアンの荒野へ逃亡せざるを得なくなりました。華やかな世界から一転、水貧しい羊飼いとなったモーセは、「自分が培ってきたものはすべて無駄になった、すべてを失った」と深く絶望し、その嘆きを息子の名に刻んだのです。
 ですが、神様はモーセの嘆きの中にも、いつも共におられました。やがて指導者として召されたモーセは、出エジプトの道中で海が分かれる奇跡や天からのマナといった神様の偉大な力を体験します。そして民を導く中で気づくのです。「あの時、王宮で学んだすべての知識は、この困難な使命を果たすために、神様があらかじめ備えさせてくださったものだった。何一つ無駄なものはなかった」と。神様の完全な守りと計画を悟ったモーセは、次男には一転して、喜びと希望に満ちた「エリエゼル(私の父の神は私の助け)」という名前をつけました。
 このモーセの姿は、私たち家族の日本宣教の歩みとも重なります。大学でピアノを専攻していた私の妻(黄宣教師)は、かつての宣教地では音楽を活かす機会に恵まれず、もどかしさと寂しさから一度はピアノの道を諦めかけていました。しかし、神様の見心は違いました。クラシック音楽が愛されるここ日本へと導かれたことで、現在はコンサートや聖歌隊の伴奏を通し、音楽を用いた宣教の道が豊かに開かれています。私たちが「もう無理だ」と諦めたことでも、神様は決して忘れず、ご自身の素晴らしいタイミングで用いてくださるのです。
 今、皆さんの中にも、かつてのモーセのように「もう無理だ」と諦めたり、切ない思いを抱えたりしている方がおられるかもしれません。しかし、神様は今もあなたを覚えておられます。人間の考えを遥かに超えて、私たちのすべてを最善へと導いてくださる神様を期待しましょう。今週の1週間も、神様の手の中にある恵みを数え上げながら、共に喜びをもって進んでまいりましょう。

「もう1人の名はエリエゼルで、それは『私の父の神は私の助け、ファラオの剣から私を救われた』と言ったからである。」
出エジプト18:4
https://www.youtube.com/watch?v=h9je9kXJzMo

<次週の礼拝のご案内>

聖書箇所: テモテ二1:6~14
説 教 題: 『聖霊によって守られて』

 さて次週の礼拝は、教会の暦では<ペンテコステ>の礼拝となります。クリスマスやイースターは、教会の記念日でも有名ですが、ペンテコステは少しマイナーです。天に帰られたイエスさまの代わりの助け主、聖霊さまが天から降り、弟子たちが聖霊を受けて大胆に福音を語り、多くの者が救われて教会が誕生したという、聖霊降臨日であり、教会の誕生日でもある。それがペンテコステです。
 クリスマスには「メリークリスマス」、イースターには「ハッピーイースター」という挨拶の言葉があるんですが、ペンテコステには特にないんです。けれども何かいいご挨拶はないかな…と思い、AIに相談してみました!いろいろと意見が出てきたんですが、その中から一つ選びまして、今度の礼拝ではその挨拶をしてみようと思っています。さて、皆さんどんな反応をされるでしょうか…。結果が気になる方は、礼拝にお出かけくださるか、あるいはライブ配信やアーカイブでご視聴いただければと思います♪

 教会の礼拝は、どなたでも参加することができます。どうぞ気兼ねなくお出かけ下さい。あなたのお越しを心よりお待ちしています!なお、ライブ配信も行っていますので、そちらもご利用ください。

ライブ配信はこちら↓
https://www.youtube.com/channel/UCtHnoRVAi-YXZMrkeZYIrYA
《当教会ホームページ》
http://toyonakaizumi.jimdo.com/
■ 当教会は伝統的プロテスタントの教会で、エホバの証人、 統一教会、モルモン教などの、キリスト教系新宗教とは異なります。また、トイレなども含めて、1階は全域バリヤフリーとなっていますので、車椅子の方にも安心してご来会いただけます。

◇5月17日  教区講壇交換礼拝式のご案内<先週の講壇より>聖書箇所: 出エジプト20:12説 教 題: 『父と母を敬う』 十戒の第五戒「あなたの父と母を敬いなさい」から、人間に関する「対人関係」の戒めに入ります。聖書は対神関係を土台としつ...
16/05/2026

◇5月17日  教区講壇交換礼拝式のご案内

<先週の講壇より>

聖書箇所: 出エジプト20:12
説 教 題: 『父と母を敬う』

 十戒の第五戒「あなたの父と母を敬いなさい」から、人間に関する「対人関係」の戒めに入ります。聖書は対神関係を土台としつつ、神さまとだけ良い関係であればいいのではなく、周りの人たちとも良い関係を築く大切さを示しています。その最初が親との関係であることは非常に興味深い点です。この戒めについて二つの点で考えます。
 第一に、「“敬う”とは?」ということです。この言葉はヘブル語で「カーボード」と言い、本来の意味は「重みがある」です。親を敬うとは、単に相手を神格化したり、感情を押し殺して盲従したりすることではありません。「神さまがその人を自分の親として立ててくださった」という事実の重みを認めることです。完璧な親はいませんし、虐待のニュースや肉親だからこその葛藤、過去の傷に悩むこともあります。しかし、親の人間性や能力ではなく「親という職務・秩序」を重んじ、その存在に重きを置くことが大切です。これは自分一人で頑張るのではなく、いつも傍らに居てくださる神さまと共に、祈りつつ適切な距離感や関わり方を求めて向き合っていくことなのです。
 第二に、「長く生きることができる」という約束についてです。これは単に個人の寿命が延びる長寿の秘訣を言いたいのではありません。「主が与えてくださった土地で」とあるように、家族が子々孫々まで豊かに祝福されていくという、祝福のバトンを受け継いでゆく家の祝福を意味しています。また、この戒めは子どもだけでなく、すでに成人して自らが父や母となっている大人こそ聞くべき家庭の戒めです。新約聖書にも、親に対して「子どもを怒らせず、主のしつけと諭しによって育てなさい」と勧められている通りです。
 子は親を重いものとして受け止め、親も子を重い者として受け止める。それを神さまに支えていただきながら取り組む時に、その家庭は神さまの祝福を受け継いでゆくことができます。これは家族単位だけでなく、神の家族としての教会の交わりにおいても同じです。お互いを重く受け止め合いながら、神さまが共にいてくださることを信じて、共に歩ませていただきましょう。
「あなたの父と母を敬いなさい。」
            出エジプト20:12
https://youtube.com/live/NJy7OOQILGs

<次週の礼拝のご案内>

聖書箇所: 出エジプト18:1~4
説 教 題: 『今も共におられる神様』

 さて、次週の礼拝は教区の講壇交換礼拝となっています。豊中泉教会は日本ホーリネス教団に属していますが、関西地区の教会は“近畿教区”として交わりを持ち、共に様々な活動をしています。その一環として、講壇交換という、牧師がそれぞれの教会に赴いて礼拝の御用をする機会を、年に一回設けています。今回は、兵庫県加古川市にあります、加古川恵みキリスト教会でご奉仕されている、李俊昊(イ・ジュンホ)宣教師が礼拝の御用をしてくださいます。先生は韓国からの宣教師として、教会に任命を受けてご奉仕されていますが、日本語はペラペラの先生です。もちろん、日本語でメッセージをしてくださいます。また日本に来られる前には、インドでも宣教師として活動されていました。そのような経験豊かな先生のメッセージですので、ぜひご期待ください!

 教会の礼拝は、どなたでも参加することができます。どうぞ気兼ねなくお出かけ下さい。あなたのお越しを心よりお待ちしています!なお、ライブ配信も行っていますので、そちらもご利用ください。

ライブ配信はこちら↓
https://www.youtube.com/channel/UCtHnoRVAi-YXZMrkeZYIrYA
《当教会ホームページ》
http://toyonakaizumi.jimdo.com/
■ 当教会は伝統的プロテスタントの教会で、エホバの証人、 統一教会、モルモン教などの、キリスト教系新宗教とは異なります。また、トイレなども含めて、1階は全域バリヤフリーとなっていますので、車椅子の方にも安心してご来会いただけます。

◇5月10日  聖日礼拝式のご案内<先週の講壇より>聖書箇所: 創世記4:1~16説 教 題: 『はじめの兄弟』 聖書という書物のすごいところは、人間の闇の部分を赤裸々に描いているところです。創世記は、最初の人アダムとエバが神さまに背いたこ...
09/05/2026

◇5月10日  聖日礼拝式のご案内

<先週の講壇より>

聖書箇所: 創世記4:1~16
説 教 題: 『はじめの兄弟』

 聖書という書物のすごいところは、人間の闇の部分を赤裸々に描いているところです。創世記は、最初の人アダムとエバが神さまに背いたこと、そしてその息子であるカインとアベルの間に、兄弟殺しが起こってしまったことを描いています。このように人間を描いてゆくと、偏った受け取り方をすれば、人間こそが悪であり、罪深い自分のような存在は世界に必要がないのだと、徹底的に自己卑下してしまうことになりかねません。
 確かに聖書は人間の罪深い姿を描きますが、それは「あなたは必要がない」ということではありません。神さまはこの世界を創造された時に、私たち人間も含めて「極めて良かった」と言ってくださいました。私たちお一人お一人が神さまの最高傑作のひとつであることは、間違いのない事実なのです。
 しかし、そこに罪が入り込み、カインとアベルには破壊的にあらわれてしまいました。自分を見限ってしまうのではないかという不安の中でも、神さまは決して私たちを見捨てないということが、カインへの関わりから見て取れます。
 カインは神さまへの供え物において、アベルのように最上のものを用意せず、極めて事務的に持ってきたという姿勢を問われました。ふてくされて顔も上げないカインに対し、神さまは自ら「どうして怒るのか」と声をかけ、「罪が戸口で待ち伏せている」と警告してくださっています。さらに殺人の後も「あなたの弟アベルはどこにいるのか」と、自ら申し出て悔い改めるチャンスを与えられました。
 追放を告げられたカインが、処罰が重すぎるという不満を漏らした際も、神さまは彼を打ち殺すことのないように「しるし」をつけ、守ってくださいました。人間の罪深さや愚かさを大きく包み込むようにして描かれている「神さまの愛」こそが、聖書の本質なのです。私たちも怒りや憤りを覚える者ですが、そういう私たちを、それでもなお愛をもって包み込んでくださる神さまがいてくださる。その一番のあらわれが、十字架のイエスさまであることを覚えさせていただきましょう。

「御子は私たちのために命を捨ててくださいました。
それによって、私たちは愛を知りました。」
            ヨハネの手紙一3:16
https://youtube.com/live/CMGbrG1GB90

<次週の礼拝のご案内>

聖書箇所: 出エジプト20:12
説 教 題: 『父と母を敬う』

 次週も十戒シリーズから学ばせていただくわけですが、以前も少しお話したような記憶があるのですが、十戒は大きく二つの部分に分けることができます。ひとつは第一戒から第四戒で、前半のこの部分は神さまに関する戒めでした。対神さまということで、対神(たいしん)関係と言えると思います。そして今日から入ってゆきます第五戒から第十戒までは、人間に関する戒めなんですね。こちらは、対人ということで、対人関係についての戒めとなります。
 聖書って、神さまについて私たちに教えてくれる書物ですけれども、だからといって聖書を通して神さまのことだけ知ればいい。対神関係だけがちゃんとできていればいい…とは言わないんです。もちろん対神関係がちゃんとしていることが土台になるんだけれども、神さまとだけいい関係であればいいのではなくて、そこで終わらせずに、さらに周りの人たちとの対人関係も良いものを築いてゆくことの大切さを、聖書は私たちに示しているわけなんです。そういう意味では、家庭を破壊してしまうようなささげ方や布教活動を推奨する異端的な宗教は、やっぱり間違っていると思わされますよね。
 そしてその対人関係について考えるところの最初にあげられている戒めが、父と母、つまり、親との関係ということが真っ先に取り上げられているというのは、非常に興味深いところだと思うんです。父と母を敬うということは、いわゆる道徳的に考えても大切なことだと思います。でもあらためて、聖書の言っているところにはどういう意味が込められているのか考えてみましょう。

 教会の礼拝は、どなたでも参加することができます。どうぞ気兼ねなくお出かけ下さい。あなたのお越しを心よりお待ちしています!なお、ライブ配信も行っていますので、そちらもご利用ください。

ライブ配信はこちら↓
https://www.youtube.com/channel/UCtHnoRVAi-YXZMrkeZYIrYA
《当教会ホームページ》
http://toyonakaizumi.jimdo.com/
■ 当教会は伝統的プロテスタントの教会で、エホバの証人、 統一教会、モルモン教などの、キリスト教系新宗教とは異なります。また、トイレなども含めて、1階は全域バリヤフリーとなっていますので、車椅子の方にも安心してご来会いただけます。

◇5月3日  合同礼拝式のご案内聖書箇所: 出エジプト20:8~11説 教 題: 『安息日を聖別する』 十戒の第四戒「安息日を覚えて、これを聖別しなさい」について、二つの視点から学びます。Ⅰ、安息日とは? 「安息」はヘブル語で「シャバット」...
02/05/2026

◇5月3日  合同礼拝式のご案内

聖書箇所: 出エジプト20:8~11
説 教 題: 『安息日を聖別する』

 十戒の第四戒「安息日を覚えて、これを聖別しなさい」について、二つの視点から学びます。

Ⅰ、安息日とは?
 「安息」はヘブル語で「シャバット」と言い、本来は「やめる」「中断する」という意味です。これは単なるリラックスではなく、自分の力で何かを成し遂げようとする手や、物事をコントロールしようとする思いをピタッと止めることを指します。
安息日の根拠は神の天地創造にあります。神は六日間で世界を造り、七日目に「休止」されました。これは神が疲れたからではなく、完成を喜び、満足されたからです。私たちは日々、自分の努力で人生を回していると感じがちですが、週に一度手を止めることで、「私の人生を支え、養っているのは労働ではなく神の恵みである」という事実に立ち返ります。
 バイオリニストが演奏後に弦を緩めるように、私たちも張り詰めた糸を緩める時が必要です。安息日に神の前で「弦を緩める」ことは、次の六日間を神の栄光のために美しく響かせるための不可欠なプロセスなのです。

Ⅱ、聖別するとは?
 「聖別(カダッシュ)」とは、「切り離す」「特定の目的のために取り分ける」という意味です。安息日を聖別するとは、この一日を他の六日間とは違う性質のものとして、神のために確保することです。
 具体的には、この日を「効率」や「生産性」という価値観から切り離します。世の中は「何ができるか(Doing)」で人を評価しますが、安息日に神が求められるのは、私たちが神の子として「ただそこにいること(Being)」です。世俗的な関心事から心を切り離し、視線を造り主に向けることこそが聖別の本質です。
また、聖別は祝福への道でもあります。神は安息日を「祝福して、聖別された」とあります。これは、神がこの時間を特別なものとして取り分け、そこで私たちを豊かに祝福したいと願っておられるからです。安息日は「時間の中の聖所」であり、私たちは世の労働という「作業着」を脱ぎ、王である神が用意された祝福の宴にあずかるのです。

結び
 私たちは、主イエスが復活によって真の安息をもたらしてくださったゆえに、日曜日に礼拝を捧げます。この戒めは私たちを縛る鎖ではなく、忙しさという奴隷状態から解放する「自由の宣言」です。今、自らの手を休めてこの時間を聖別し、神の懐に飛び込むとき、私たちは新しい力に満たされて、再びそれぞれの場所へと遣わされていくのです。

「安息日を覚えて、これを聖別しなさい。」
               出エジプト20:8
https://youtube.com/live/8-Gt6itlP58

<次週の礼拝のご案内>

聖書箇所: 創世記4:1~16
説 教 題: 『はじめの兄弟』

 さて、次週の礼拝は月の最初の礼拝ですので、子どもから大人までの合同礼拝となっています。9時からの第一礼拝はありませんので、お間違えの無いようお出かけください。
メッセージは子どもたちの教案に合わせて、上記の創世記の個所から学びます。聖書では、神が世界を創造し、人間を創造されたとしるしています。最初に創造されたのはアダムとエバですが、その二人に生まれた世界で最初の兄弟は、カインとアベルという兄弟でした。しかし今日の箇所を読んでいただいたらわかるのですが、ここには世界最初の殺人、しかも兄が弟を殺してしまうという悲しい出来事が記されています。この個所からどのようなことを学んでいったらいいのか、共に考えたいと思います。

 教会の礼拝は、どなたでも参加することができます。どうぞ気兼ねなくお出かけ下さい。あなたのお越しを心よりお待ちしています!なお、ライブ配信も行っていますので、そちらもご利用ください。

ライブ配信はこちら↓
https://www.youtube.com/channel/UCtHnoRVAi-YXZMrkeZYIrYA
《当教会ホームページ》
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■ 当教会は伝統的プロテスタントの教会で、エホバの証人、 統一教会、モルモン教などの、キリスト教系新宗教とは異なります。また、トイレなども含めて、1階は全域バリヤフリーとなっていますので、車椅子の方にも安心してご来会いただけます。

◇4月26日  聖日礼拝式のご案内<先週の講壇より>聖書箇所: 出エジプト20:7説 教 題: 『主の名』 十戒の第三戒、「あなたは、あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない」について、二つの視点から考えます。 一つ目は「みだりに」につ...
25/04/2026

◇4月26日  聖日礼拝式のご案内

<先週の講壇より>

聖書箇所: 出エジプト20:7
説 教 題: 『主の名』

 十戒の第三戒、「あなたは、あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない」について、二つの視点から考えます。
 一つ目は「みだりに」についてです。これはヘブル語で「ラ・シャウ」といい、「からっぽ」「中身がない」という意味です。古代ヘブル人にとって名前はその人の存在そのものでした。神の名を呼ぶことは、神ご自身を目の前に呼び出すほど重いことです。私たちは祈りの言葉を単なる枕詞や締めくくりとして扱ってしまいがちですが、大切なのは神の名を呼ぶとき、その向こう側にいる豊かなご性質を持つ神を心から思い描くことです。もし神を空っぽな言葉として呼ぶなら、信仰も空っぽになります。しかし、神の根っこにあるのは「愛」です。からっぽな呼びかけをしてしまう私たちをも、丸ごと包み込んで受け止めてくださる圧倒的な愛の神がおられることを信じたいのです。
 二つ目は「唱える」についてです。これはヘブル語で「ナーサー」といい、「持ち運ぶ」「担ぐ」という意味があります。つまりこの戒めは「神の名という看板を、中身のないものとして持ち運んではならない」という、生き方そのものを問う言葉です。クリスチャンとして社会の只中で神の民の看板を背負って生きることは、時に重圧です。「自分の行いがキリスト教のイメージになる」と感じ、面倒くささを覚えることもあるでしょう。しかし、神が求めておられるのは、神を神として歩む姿です。聖書でイエスさまの名が力であったように、神の名は私たちを救う力そのものです。私たちが主の名という看板を背負って歩むと言いながら、実はそんな私たちを背負ってくださるイエスさまがおられます。この戒めは、主の名によって生かされる歩みへと私たちを導いているのです。
「あなたは、あなたの神、主の名を
 みだりに唱えてはならない。」出エジプト20:7
https://youtube.com/live/fn8d0tvXGIA

<次週の礼拝のご案内>

聖書箇所: 出エジプト20:8~11
説 教 題: 『安息日を聖別する』

 さて、次週の礼拝も十戒シリーズの続きになりますが、次回は第四戒の「安息日を覚えて、これを聖別しなさい。」から学びます。安息日を説明すると、少しややこしいところがあります。それは、聖書において安息日は一週間の最後の日でしたので、土曜日が安息日だということになります。そしてユダヤにおいてはその安息日に礼拝をささげて来ました。けれども今の私たちは、一週間の最初の日である日曜日を礼拝の日としていますので、日曜日が安息日のような感じがしますね。あらためて安息日とは何であるのか、そしてそれを聖別するとはどういうことなのか、共に考えたいと思います。

 教会の礼拝は、どなたでも参加することができます。どうぞ気兼ねなくお出かけ下さい。あなたのお越しを心よりお待ちしています!なお、ライブ配信も行っていますので、そちらもご利用ください。

ライブ配信はこちら↓
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◇4月19日 聖日礼拝式のご案内<先週の講壇より>聖書箇所: 出エジプト20:4~6説 教 題: 『偶像とは何か』 出エジプト記の第二戒「あなたは自分のために彫像を造ってはならない」という教えについて、二つの点からまとめました。Ⅰ、自分のた...
18/04/2026

◇4月19日 聖日礼拝式のご案内

<先週の講壇より>

聖書箇所: 出エジプト20:4~6
説 教 題: 『偶像とは何か』

 出エジプト記の第二戒「あなたは自分のために彫像を造ってはならない」という教えについて、二つの点からまとめました。

Ⅰ、自分のために
 この戒めは、単に木や石を削って像を造ることを禁止しているだけではありません。その本質は「自分のために」という言葉に隠されています。かつてイスラエルの民は、指導者モーセがシナイ山からなかなか戻らない不安に耐えきれず、自分たちのために「金の子牛」を造りました。彼らは「自分たちに先立って進む神を、自分たちのために造ってほしい」と願ったのです。ここにあるのは、神さまへの信頼ではなく、自分たちの不安を解消し、願望をかなえてくれる「都合の良い道具」としての神を求める姿でした。
 私たちは現代において、実際に彫像を拝むことはないかもしれません。しかし、自分の欲望を満たすためだけに神さまを利用しようとするならば、それは形を変えた偶像礼拝です。自分に都合の良い神さまを造り上げている時、実は「自分自身が神」の座に座っています。神さまを自分の道具にしてしまう時、それはもはや聖書が語る真の神ではありません。この戒めは、私たちが神さまを自分のために利用するのではなく、生涯をかけて敬い、従うべきお方として受け止めるよう促しているのです。

Ⅱ、妬む神
 第二戒には「私は主、あなたの神、妬む神である」という印象的な言葉が添えられています。「神さまがヤキモチを焼くの?」と驚くかもしれませんが、聖書が言う「妬む」とは、人間的な嫉妬心のことではありません。
 語源であるヘブル語の「カンナー」には、「顔が赤くなる」という意味が含まれています。つまり、どうでもいい相手に対してではなく、命をかけて守りたい大切な存在を想うあまり、顔が赤くなるほど心が熱くなっている状態を指します。それは、浮気を許さない夫婦の強い絆のような、一途で熱烈な愛の意志です。
なぜ神さまはこれほどまでに「妬む」のでしょうか。それは、私たちが偽物の神(偶像)を拝んで、最後には失望し、不幸になってほしくないからです。目に見える像にしてしまった神は、そこに行かなければ会えない、あるいは目が向いている方向しか見てくれないといった「制限」がかかってしまいます。そんな不完全なものに頼っても、本当の救いはありません。
 大切な家族が、自分を騙そうとする悪いグループについて行こうとしていたら、必死で引き止めますよね。その「必死に引き止める熱意」こそが、神さまの妬みの正体です。神さまは、私たちにずっと恵みを与え続けたいと願っておられるのです。

 この「妬むほどに強い神さまの愛」が、歴史の中で最も具体的に現されたのが、イエス・キリストの十字架です。 私たちは、ついつい自分のために都合の良いものを握りしめ、神さまを忘れてしまう弱さを持っています。しかし、神さまはそんな私たちを怒って見捨てるのではなく、ご自分の独り子を身代わりに捧げるほどに愛してくださいました。十字架は、私たちの罪を赦し、この熱烈な愛の関係へと再び招き入れるための、神さまの最大の情熱なのです。

「あなたは自分のために彫像を造ってはならない。」
                  出エジプト20:4
https://youtube.com/live/Q_AI3eD2ENk

<次週の礼拝のご案内>

聖書箇所: 出エジプト20:7
説 教 題: 『主の名』

 さて、次週の礼拝では<十戒>の第三戒から学びます。第三戒では、「あなたは、あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない」と言われています。神さまには名前があるんだけれども、それをみだりに――すなわち、軽率にとか無秩序にとかむやみやたらにというような意味だそうです――口にしてはいけないよ、という感じですよね。でもその「みだりに」っていうのは、どの程度のことなのでしょうか。「主よ!主よ!主よ!主よ!」ってもうやたらめったら言うのは確かに違う感じがします。でも、例えば少し前の世代の先生なんかは、人がお祈りしているときの合いの手のようにして「あぁ~、主よ!」と言ったりしていたのを思い起こしますが、あれは大丈夫なの?とか、いろいろ考えてしまいます。あらためて、主の名をみだりに唱えないということがどういう意味で言われているのか、共に考えてみたいと思っています。

 教会の礼拝は、どなたでも参加することができます。どうぞ気兼ねなくお出かけ下さい。あなたのお越しを心よりお待ちしています!なお、ライブ配信も行っていますので、そちらもご利用ください。

ライブ配信はこちら↓
https://www.youtube.com/channel/UCtHnoRVAi-YXZMrkeZYIrYA
《当教会ホームページ》
http://toyonakaizumi.jimdo.com/
■ 当教会は伝統的プロテスタントの教会で、エホバの証人、 統一教会、モルモン教などの、キリスト教系新宗教とは異なります。また、トイレなども含めて、1階は全域バリヤフリーとなっていますので、車椅子の方にも安心してご来会いただけます。

◇4月12日 聖日礼拝式のご案内<先週の講壇より>聖書箇所: ヨハネ20:19~23説 教 題: 『シャロームのイエスさま』(Geminiによる要約) 復活したイエスさまが弟子たちに現れ、「シャローム」と言われた出来事から、イエスさまが私た...
11/04/2026

◇4月12日 聖日礼拝式のご案内

<先週の講壇より>

聖書箇所: ヨハネ20:19~23
説 教 題: 『シャロームのイエスさま』(Geminiによる要約)

 復活したイエスさまが弟子たちに現れ、「シャローム」と言われた出来事から、イエスさまが私たちにとってどのような「シャロームのお方」であるか、三つの点でお話しします。

 一つ目は、「日常としてのシャローム」です。当時のユダヤで「シャローム」は普通の挨拶でしたが、師を失い、遺体もないという異常事態にいた弟子たちにとって、その状況は決して普通ではありませんでした。しかし、イエスさまはそのただ中に立ち、いつもの日常の挨拶をしてくださいました。これは、イエスさまが自分の人生のただ中にいることを、異常なことではなく「普通のこと」として受け止めてよいのだという祝福を表しています。今の私たちにとっても、主が必ず共にいてくださる喜びを教えてくれるのです。

 二つ目は、「敵意からの解放としてのシャローム」です。弟子たちはユダヤ人を恐れ、相手を「敵」と認定していました。人は敵意を感じると、自らも敵意を抱き、負の連鎖に陥る罪の性質を持っています。しかし、復活のイエスさまは、まさにその敵意という罪さえも十字架で背負い、身代わりとなって赦してくださいました。イエスさまは、敵意には敵意で返す連鎖から私たちを解放し、罪の清算による本当の平和をもたらしてくださるのです。

 三つ目は、「永遠のシャローム」です。私たちは今、実際にイエスさまを目にすることはありません。しかし、私たちの人生は生まれてから死ぬまでの「地上の生涯」で終わるわけではないのです。それは人生の「第一幕」に過ぎません。イエスさまと同じように私たちも復活の恵みにあずかり、やがて神の国において永遠に共に生きるのです。私たちの人生に本当の終わりはありません。未来永劫、主と共に生きることができる。これこそが、復活のイエスさまがもたらしてくださる究極のシャロームです。
このシャロームを心から感謝し、喜びをもって今週も歩んでいきましょう。

「あなたがたに平安があるように」ヨハネ20:19
https://youtube.com/live/-tX_TZwOKUs

<次週の礼拝のご案内>

聖書箇所: 出エジプト20:4~6
説 教 題: 『偶像とは何か』

 さて、次週の礼拝は<十戒シリーズ>に戻ります。今回取り上げるのは十戒の第二戒です。4節を見ると、「あなたは自分のために彫像を造ってはならない」とありますが、今のこの日本では、各地にいろいろな彫像があります。そしてそれらが神として拝まれています。そう考えると、この戒めは日本の現状と真っ向から対立して戦いを挑んでいるようにも聞こえてしまいます。けれどもこの戒めは、そういう実際に像を刻むということ以前の、もっと根本的に大切なことが問いかけられているんですね。そのあたりのことを共に学ばせていただくことができればと思っています。

 教会の礼拝は、どなたでも参加することができます。どうぞ気兼ねなくお出かけ下さい。あなたのお越しを心よりお待ちしています!なお、ライブ配信も行っていますので、そちらもご利用ください。

ライブ配信はこちら↓
https://www.youtube.com/channel/UCtHnoRVAi-YXZMrkeZYIrYA
《当教会ホームページ》
http://toyonakaizumi.jimdo.com/
■ 当教会は伝統的プロテスタントの教会で、エホバの証人、 統一教会、モルモン教などの、キリスト教系新宗教とは異なります。また、トイレなども含めて、1階は全域バリヤフリーとなっていますので、車椅子の方にも安心してご来会いただけます。

◇4月5日 イースター合同礼拝式のご案内<先週の講壇より>聖書箇所: ルカ15:1~7説 教 題: 『あなたの救いはどこから?』 市販の風邪薬のコマーシャルに「あなたの風邪はどこから?」というフレーズがありますが、今日はそれを拝借して「あな...
03/04/2026

◇4月5日 イースター合同礼拝式のご案内

<先週の講壇より>

聖書箇所: ルカ15:1~7
説 教 題: 『あなたの救いはどこから?』

 市販の風邪薬のコマーシャルに「あなたの風邪はどこから?」というフレーズがありますが、今日はそれを拝借して「あなたの救いはどこから?」という題でお話しします。私たちは人生の歩みの中で、時に苦しみや悩み、涙の日々を通らされます。そのような中で、私たちの「救い」はいったいどこから来るのでしょうか。
 今日の聖書の箇所には二種類の人が登場します。一つはイエスさまに近寄ってきた「徴税人や罪人」、もう一つは遠巻きに不平を言う「ファリサイ派や律法学者」です。当時の感覚で「ちゃんとしていない人」と見なされていた徴税人や罪人たちは、自らに救いが必要であることを自覚していました。「助けて!」と言えること、自分の頑張りでは無理だと気づくことは、救いを手にする第一歩です。対して、自分は正しいと思い込んでいた宗教家たちは、救いを必要だと思えず、イエスさまの愛を批判するばかりでした。
 イエスさまはこれに応え、「見失った羊」のたとえを話されました。この話は、羊が迷子になってしまったというところから話が始まるわけですが、そうやって迷った羊が、「あ、迷った。帰ろう」と自力で戻ってくる話ではないんですね。これって例えばハリウッド映画だったら、こんな感じになりそうですね。
<夢中で草を食べていたら、気づけば一人になっていた小羊メーコ。だんだんと日が暮れていく中で、メーコは決意する。「帰ろう、我が家へ…」。だんだんと日が暮れてゆき、視界も悪くなる。暗闇の向こうに光る、狼たちの目。行く手を阻む、いばら、そして、崖。さらに激流。果たしてメーコは無事に帰還することができるのか?『メーコ、リターンズ』カミングスーン>
 あるいは情緒のある日本映画ならば、
<気が付けば、迷子になっていて帰り路が分からなくなってしまったメーコ。どんなに悔いても、もう戻ることはできない。悲しみのどん底の中で、一人で生きてゆくことを決意する。孤独と向き合い、命を燃やすようにして生き抜いた、メーコのはかなくも切ない感動の物語。『メーコの生きざま』。2026年ゴールデンウィーク、全国ロードショー。>
 こんなあほなことばっかり考えていますけれども、ここはそういうお話ではありません。迷子の羊が自力で戻るのではなく、羊飼いの方が「見つけ出すまで捜し歩く」ということです。そして、羊飼いは見つけた羊を叱ることも説教することもなく、ただ「喜んでその羊を担いで」帰ります。救いは、羊(私たち)の頑張りから始まるのではありません。羊飼い(神さま)の愛から始まるのです。私たちが救ってもらうに値する立派な人になったから救われるのではありません。むしろ、頑張れない自分に失望している私たちを、神さまが捜しに来てくださるのです。
 最後に、私たちが最も救われるべきは「罪」の問題です。私たちの心は時々迷子になります。自己中心的になり、人を責め、神を否定しようとする罪が、心を迷わせます。イエスさまはこの罪の問題を解決するために、一切の努力を惜しまず、ご自分の命をかけてくださいました。今週、教会の暦では受難週を迎えます。イエスさまが十字架にかかられたのは、私たちの罪を背負い、身代わりに罰を受けるためでした。あなたの救いはどこから来るのか。それは、あなたのために十字架にかかってくださったイエスさまさまから来るのです。この十字架のイエスさまにこそ、確かな救いがあることを覚えましょう。

「見失った一匹を見つけ出すまで捜し歩かないだろうか。」
                     ルカ15:4
https://youtube.com/live/JcJnUtGrEac

<次週のイースター合同礼拝のご案内>

聖書箇所: ヨハネ20:19~23
説 教 題: 『シャロームのイエスさま』

 さて、次週は教会の暦ではイースターを迎えます。イースターは日本語では“復活祭”と言われますが、十字架にかかって死なれたイエスさまさまは三日目に復活されました。そのことを記念してお祝いする礼拝のひと時です。特に今回注目するのは、イエスさまさまが復活された日の夜の出来事です。弟子たちはユダヤ人を恐れて、エルサレムの一室に鍵をかけて閉じこもっていました。そこに、どこから入ったのかイエスさまさまが現れて彼らの真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われたのです。これは当時の言葉で言うならば、イエスさまさまが一言、「シャローム」と言われたということなのですが、実はイエスさまさまご自身がシャロームのお方であったということができます。それがどういうことなのか、皆さんと共に分かち合いたいと思っています。
 なお、来てくださった皆さんに、もれなくイースターエッグを差し上げます!(ゆでたまごをかわいくラッピングしたものです)どうぞお楽しみに♪ 礼拝は子どもから大人までの合同礼拝ですので、9時からの礼拝はありません。10時半にお出かけください。

 教会の礼拝は、どなたでも参加することができます。どうぞ気兼ねなくお出かけ下さい。あなたのお越しを心よりお待ちしています!なお、ライブ配信も行っていますので、そちらもご利用ください。

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《当教会ホームページ》
http://toyonakaizumi.jimdo.com/
■ 当教会は伝統的プロテスタントの教会で、エホバの証人、 統一教会、モルモン教などの、キリスト教系新宗教とは異なります。また、トイレなども含めて、1階は全域バリヤフリーとなっていますので、車椅子の方にも安心してご来会いただけます。

◇3月29日 ウェルカム礼拝式のご案内<先週の講壇より> ~Geminiを用いて要約~聖書箇所: ルカ5:1~11説 教 題: 『御言葉に聴き従う』説 教 者: 佐藤義則教団委員長  ゲネサレト湖のほとりで、群衆は神の言葉を聴こうとしてイエ...
28/03/2026

◇3月29日 ウェルカム礼拝式のご案内

<先週の講壇より> ~Geminiを用いて要約~

聖書箇所: ルカ5:1~11
説 教 題: 『御言葉に聴き従う』
説 教 者: 佐藤義則教団委員長

  ゲネサレト湖のほとりで、群衆は神の言葉を聴こうとしてイエスに押し寄せました。人間は神のかたちに造られた存在であり、堕罪によってその姿が損なわれた後も、誰の心の中にも「神の言葉を聴きたい」という魂の叫びが残存しているからです。
イエスは舟の上から人々に教えを説いた後、シモン・ペトロに「沖へ漕ぎ出し、網を下ろして漁をしなさい」と命じられました。漁師としてのプライド、夜通し働いても何も獲れなかった疲労と失意、それら現実的な状況を抱えながらも、ペトロは「お言葉ですから」と応答し、網を下ろしました。聖書のみ言葉と現実との間には、しばしば大きなギャップが存在します。しかし、ペトロの心を突き動かし、その隔たりを埋めたのは彼自身の力ではなく、イエスのまなざしや語られた言葉そのものに宿る力でした。
 彼が主の言葉に従ったとき、網が破れそうになるほどおびたただしい魚がかかりました。この「御言葉経験(体験)」こそが神のみわざを拝する鍵となります。イザヤ書にある通り、神の口から出る言葉は空しく戻ることなく、必ず託されたことを成し遂げます。
 知・情・意を尽くした全人格的な応答、特にお従いするという意志的応答の積み重ねが、私たちを主の御姿へと成長させます。この御言葉の経験は竹の節のようになり、私たちをまっすぐに成長させ、聖化(ホーリネス)の恵みへと導くのです。

「先生、私たちは夜通し働きましたが、
 何も捕れませんでした。
 しかし、お言葉ですから、
 網を降ろしてみましょう。」(ルカ5:5)
https://youtube.com/live/kdGeIk6urrE

<次週のウェルカム礼拝のご案内>

聖書箇所: ルカ15:1~7
説 教 題: 『あなたの救いはどこから?』

 さて、次週の礼拝は今年度の最後の礼拝になりますが、当教会ではウェルカム礼拝ということで、教会員の方が、「主の祈り」と「The Gift of God’s Love」という曲を特別に歌っててくださる予定です。どうぞお楽しみに♪
 また、初めての方にもわかりやすいバイブルメッセージを用意してお待ちしています。「あなたのカゼはどこから?」という、某かぜ薬のTVCMがありますねぇ。では、私たちの救いはどこから来るのでしょう?そんなことを共に考えることができればと思っています。

 教会の礼拝は、どなたでも参加することができます。どうぞ気兼ねなくお出かけ下さい。あなたのお越しを心よりお待ちしています!なお、ライブ配信も行っていますので、そちらもご利用ください。

ライブ配信はこちら↓
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《当教会ホームページ》
http://toyonakaizumi.jimdo.com/
■ 当教会は伝統的プロテスタントの教会で、エホバの証人、 統一教会、モルモン教などの、キリスト教系新宗教とは異なります。また、トイレなども含めて、1階は全域バリヤフリーとなっていますので、車椅子の方にも安心してご来会いただけます。

住所

蛍池中町1-8/1
Toyonaka-shi, Osaka
560-0033

電話番号

+81668552026

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