行基菩薩が建てたお寺さんです
(日蓮宗) 寂而山 「常照寺」です。
和銅年中(708~715)に寺ヶ谷にあり、行基の開山と伝わります。
宝治2年(1248)日蓮大士、他同宗の上人の参詣せられた縁故により、元禄2年(1689)に日蓮宗に改めています。
江戸中期に高取城主植村公により大改修されています。
その後は衰退していったようです。(高取町史に由る)
小さな田舎のお寺ですが、宗祖逗留の言い伝えがあります。
日蓮大士(当時は未だ蓮長と名乗る)が南都遊学の次に仏法を探求に向かった先が高野山でした。奈良平城の地より数人の修行僧と共に高野山に向かいます。当地は、その高野への参拝路の途中にあり、大和平野を南下して行くと当地は吉野山地への入り口に当たります。ここまで馬ですと半日程度で到着するのですが、人の足ですと聖人が高野に向かわれた11月頃ですと丁度夕暮れ間近に当地へ辿り着くはずです。
当時この地
には真言宗の冷水寺という塔頭を持った寺院がありました。当山もその冷水寺の塔頭で正蓮院と名乗っていました。これは推測ですが、当時、旅の僧侶は軍資金が乏しかったが故、寺に一夜の宿を求めたと考えられます。これは、馬を利用しなかったことにも繋がる有力な考え方でしょう。そして、日蓮大士たちは、正蓮院に宿を求めました。一夜の夜をここで明かし高野山へ向かいます。高野山で真言宗を学んだ日蓮上人。その後、清澄で声高らかにお題目を唱え、立教開宗。当時の政治の中心都市鎌倉で日蓮上人は法華お題目の布教を重ね、その名は全国に行き渡ります。当然南都、高野にもあの時の旅の僧侶が日蓮上人だったのだという事が伝わったに違いありません。その言い伝えは当地にも長きにわたって伝わって来ました。
時は移り、江戸時代。次々と日蓮宗の寺院が建立される中で、当山は新寺ではなく、他宗よりの改宗寺院であることは現在の日蓮宗、法華宗を通じてこの南大和には無く、日蓮上人が当地にお立ち寄りになられた有力情報となるのではないでしょうか。
残念なことは、これらの事柄は言い伝えであり一片の証拠も存在しない事です。
当山は、その後高取藩より二人扶持という。禄を賜り繁栄しました。実に奈良県内の日蓮宗の寺院の中でもその所有している土地の面積は第2位と言われていました。武家の外護によって繁栄していた江戸時代。しかし明治以後次第に衰えて行きました。農地解放等の政策により打撃を被り檀家の大半である武家は職を求め去ってゆきました。現在は、30軒足らずの檀家。
しかし、この混迷の時代、新たにお題目の法鼓が響き渡るよう江戸時代さながらに繁栄させるべく復興の狼煙を上げる恰好の材料として、『日蓮上人お立ち寄りの寺』という由緒を発信していきたいと思います。
日蓮宗としての開山は、中本山奈良常徳寺第11世本理院日琢。現在の住職は、日蓮宗に改宗後29代目かつて江戸時代に繁栄した常照寺を取り戻すべく頑張っています。
平成4年に庫裡を新築。平成10年現在の本堂を建立。平成21年には、山門復興。
また、近年本堂にお参りされた方で、子宝に恵まれていなかった方々が次々と子供を授かったという報告を聞いています。
子授けのパワースポットとしてお参りください。
また九識霊断法による悩み相談も承ります。