10/08/2026
「神はきよい者を用いられる」(ローマ 9:21)
「陶器師は同じ土のかたまりから、あるものは尊いことに用いる器に、別のものは普通の器に作る権利を持っていないのでしょうか。」(ローマ 9:21)
この世は、長所の多い人を好み、才能があり、多くのことができる人と共に働きたいと考えます。では、神はどうでしょうか。神は人の外側の能力や才能だけをご覧になるのではなく、その人の中心にある心をご覧になり、御心に従う者を用いられます。ローマ人への手紙9章でパウロは、陶器師と器のたとえを用いて、造られた者が自分を造った方に向かって、「なぜ私をこのように造ったのですか」と言うことはできないと語ります。つまり、私たちの人生の主権は、自分自身ではなく、私たちを造られた神にあるということです。そしてパウロは、第二テモテ2章20〜21節でも、たとえ家の中にさまざまな器があっても、きよめられた器こそが尊い働きに用いられ、主人に役立つものとなると教えています。どれほど良い器であっても、汚れていれば用いにくいように、神の働きに用いられるために大切なのは、才能の多さだけではなく、神の前にきよめられた心です。信仰者は、自分の賜物が他の人より多いか少ないかを比べるよりも、今与えられている自分という器を、主が用いることのできるきよい器として整えることに心を向けるべきです。今日も神の主権を認め、きよい器として主に用いられる信仰者となりましょう。