神澤山瑞雲寺

神澤山瑞雲寺 長野県諏訪郡富士見町御射山神戸にある禅寺、曹洞宗神澤山瑞雲寺です。

山門伝道掲示板 六月一日「摩尼珠人識らず。如来蔵裡に親しく収得す」たった一人の悩みを解決しようという気持ちが世の中全体を幸せにする。 以前ご紹介した永嘉禅師の証道歌の言葉です。摩尼はサンスクリット語マニの音写で珠や宝珠でありますので、摩尼珠...
31/05/2026

山門伝道掲示板 六月一日
「摩尼珠人識らず。如来蔵裡に親しく収得す」
たった一人の悩みを解決しようという気持ちが世の中全体を幸せにする。

 以前ご紹介した永嘉禅師の証道歌の言葉です。摩尼はサンスクリット語マニの音写で珠や宝珠でありますので、摩尼珠は梵漢の合成語であります。また摩尼宝珠・如意宝珠ともいいイメージとしては宝石の珠であり、それを仏教では如来蔵・仏性にたとえています。
 先日、毎朝の勤行の際に数珠を摺りながら拝んでいるとき、ふと百八個繋がっている珠を見てこの一つ一つの珠がが摩尼珠だとすれば、数珠は一人一人の仏性をつなぎ合わせたものであり、紐は縁であり、それがすべて円形で繋がっている。それが仏の世界から見た(仏眼)世の中の仕組みを表しているように感じたのです。
 しかし、私たちの肉眼の世界はそのようには見えません。ひとつひとつが別々であって、それそれが異なって見えるので、脳の働きが優劣、善し悪し、美や醜など分別してしまうのです。それだけでなく、自分自身でさえ比べる対象にして思い悩み苦しむのが人間の性なのかもしれません。
 物質の表面だけ見ないで、その本質を見極めようというのが仏教であり、禅の第一歩であります。その本質は一人一人全く同じ尊い仏の「ひとつ命(如来蔵、仏性)」を持っていて、さらにそれらがつながり合っているのです。
 「摩尼珠人識らず、如来蔵裡に親しく収得す」
 人間はすべての存在にそのような尊いひとつ命が具わっていることを知りません。だから、差別の問題はこれだけ文明が発達しても解決に至らないどころか、人間同士の争い憎み合う戦争が収まる気配すらありません。ただし、だからといってたとえいくら平和を訴えても、一時的な効果しかないでしょう。相手の行動を批判するのではなく、まず自分自身をはっきりさせることです。
 道元禅師は「仏道をならうとは自己をならうなり」のお示しの通り、自分自身の中の摩尼珠を自覚することです。この宝に気がつくと、自分以外の全ての存在とも数珠のように繋がっていて、ひとつ命を形成していることもはっきりしてきます。
 「自己をならう」には坐禅が一番適していると思います。なぜなら、全ての仏様は坐禅をしてこの「摩尼珠」「ひとつ命」「如来蔵」「仏性」に目覚められたのですから確実な方法といっても過言ではありません。
 数珠と同じで繋がっている全ての摩尼珠も同じものです。お隣の珠、相対する珠も全く自分と同じ、要するに自分自身なのです。自分でない珠はない、すべてが自分である。逆に言えばすべてが他でもあるともいえます。自も他もひとつの世界、自も他も忘じた世界を「自己の身心および他己の身心をして脱落せしむるなり」と道元禅師は続けてお示しされました。
 ですから、たった一人の悩みや苦しみも実は私の悩み苦しみでもあり、ひとつ命である全体のそれでもあるのです。
 道元禅師は傘松道詠で「六つの道 遠近(おちこち)迷う輩は 吾が父ぞかし、吾が母ぞかし」と詠われましたが、たった一人の他人の悩みであっても、自分自身の父母だと思ってみるのです。誰でも親身になります。子どもた兄弟と思ってもでもいいでしょう。そのように、なんとかその苦しみをみんなで解決しようという気持ちが社会全体に広がったなら、それだけで世の中全体の雰囲気はガラッと変わっていくのではないでしょうか。
 それと同時に自分自身を磨き深めていこうという気持ち、即ち菩提心も芽生えてくると思います。なぜなら、自分自身を磨き自身の問題に向き合うことなく、他人の問題を根本から解決することはとても難しいからです。
 綺麗事に聞こえるかもしれません。私自身もまだまだ実践ができておりません。それでもそうありたいと思っております。

随聞記6-5学ぶことと実践(修行)は車の両輪。やればやるほど面白くなるし、やることが無限にあると目覚める。遊びに走っている場合ではないとわかってくる。しかし、やらないでいると、どんどんつまらなく思えてくる。遊びや刺激が楽しく思えてくる。私自...
31/05/2026

随聞記6-5
学ぶことと実践(修行)は車の両輪。やればやるほど面白くなるし、やることが無限にあると目覚める。遊びに走っている場合ではないとわかってくる。

しかし、やらないでいると、どんどんつまらなく思えてくる。
遊びや刺激が楽しく思えてくる。

私自身、今頃になって若い時もっと学んでおけばと思いますが、言い訳せずにまず今日、今ここを学びと実践の一日にしたい。

簡易体操,羅漢拝,朝課,理趣分,百ハ礼拝,ヨーガ禅,真向法,散歩,日曜坐禅会と随聞記勉強会(9)最低気温11.0℃晴

肌寒い朝。坐禅会の前に初取りの小松菜を収穫。雨を十分に吸い込んで、まさに正身端坐の姿。土から引き抜くと時には声をかけられているように感じた食べ物の命をいただくからには精一杯活かさなくては。簡易体操,羅漢拝,朝課,理趣分,百ハ礼拝,ヨーガ禅,...
23/05/2026

肌寒い朝。坐禅会の前に初取りの小松菜を収穫。雨を十分に吸い込んで、まさに正身端坐の姿。土から引き抜くと時には声をかけられているように感じた

食べ物の命をいただくからには精一杯活かさなくては。

簡易体操,羅漢拝,朝課,理趣分,百ハ礼拝,ヨーガ禅,真向法,作務,日曜坐禅会(6)最低気温10.0℃雨

先日の勉強会で韮崎のお寺様から頂いたふきが玄米粥によく合いました。調理された方の心がフキにこもっているのを感じながら。ありがたいお布施に🙏明日は日曜坐禅会AM6:00(勉強会はお休み)簡易体操,羅漢拝,朝課,理趣分,百八礼拝,ヨーガ禅,真向...
23/05/2026

先日の勉強会で韮崎のお寺様から頂いたふきが玄米粥によく合いました。

調理された方の心がフキにこもっているのを感じながら。

ありがたいお布施に🙏

明日は日曜坐禅会AM6:00(勉強会はお休み)

簡易体操,羅漢拝,朝課,理趣分,百八礼拝,ヨーガ禅,真向法,作務,月例朝粥坐禅会(6)最低気温9.8℃晴

本日無門関勉強会を行いました。、和尚様9名、一般5名計14名の参加者がありました。十二則巌喚主人と十三則徳山托鉢をそれぞれ担当の和尚様にご提唱をいただきました。皆様方には全員ご発言のあと、最後に岸田老師様に総評をいただくスタイルで行いました...
21/05/2026

本日無門関勉強会を行いました。、和尚様9名、一般5名計14名の参加者がありました。

十二則巌喚主人と十三則徳山托鉢をそれぞれ担当の和尚様にご提唱をいただきました。

皆様方には全員ご発言のあと、最後に岸田老師様に総評をいただくスタイルで行いました。

確信をついたご発言が多く、自分自身に照らしてみて新たな発見につながりました。
また、古則公案を追求していくと、どうしても尖ってしまったり、行き詰まったりする場面もありますが、老師様は最後にやんわりと丸く修正して、私たちにフィードバックしてくださいました。

最後に老師様がやっぱり学ばなきゃだめだ。歳をとって時間ができたからと時間を持て余してはダメだ。遊びに走ってはダメだ。学ぶべきものは無限にあるとお示しくださいました。

「少にして学べば、即ち壮にして為すことあり。壮にして学べば、即ち老いて衰えず。老いて学べば、即ち死して朽ちず」

と、佐藤一斎の言葉で会を締めていただきました。禅宗には、それこそ語録祖録が無限にあります。本当の世界を垣間見たら、どうしたってそれを裏付けたくなる、確認したくなる、深めたくなるものです。
次回は十四則十五則を学びます。

本日は写仏教室。県内でも30℃を越える場所もありますが、この富士見は爽やかな風が吹いています。心地よい風吹く中で皆さん楽しく仏様を描いています。
19/05/2026

本日は写仏教室。
県内でも30℃を越える場所もありますが、この富士見は爽やかな風が吹いています。心地よい風吹く中で皆さん楽しく仏様を描いています。

無門関17則「国師三喚」「辜負」三回どころか何万回もその純粋さを保ち、深めていく世界。「まだまだ」を知っている世界。背負っている世界をお互いに共有している世界。その師弟の三喚三応が光に和してに吐出している。「勝事ばかり知てまくる事をしらざれ...
17/05/2026

無門関17則「国師三喚」
「辜負」
三回どころか何万回もその純粋さを保ち、深めていく世界。「まだまだ」を知っている世界。背負っている世界をお互いに共有している世界。
その師弟の三喚三応が光に和してに吐出している。
「勝事ばかり知てまくる事をしらざれば害其身にいたる。」家康公遺訓。

相手に勝つこと、優位に立つこと、比較すること、マウントを取ることは必ずしも心の悦びに繋がらない。

負けること、背負っている自覚によって無限に深まる世界。それが宗教かもしれない。

簡易体操,羅漢拝,朝課,理趣分,百ハ礼拝,ヨーガ禅,真向法,散歩,日曜坐禅会と無門関勉強会(7)最低気温7.9℃晴

山門伝道掲示板 五月十五日「如実知自心」呼吸に集中すると、心が調い、本当の自分が如実に見えてくる。 今世界は戦争が引き金になってエネルギー問題が浮き彫りになっています。そもそも今人類は化石燃料に依存し過ぎています。現在の試算では石油と天然ガ...
14/05/2026

山門伝道掲示板 五月十五日
「如実知自心」
呼吸に集中すると、心が調い、本当の自分が如実に見えてくる。

 今世界は戦争が引き金になってエネルギー問題が浮き彫りになっています。そもそも今人類は化石燃料に依存し過ぎています。現在の試算では石油と天然ガスは約50年、石炭は約130~140年で枯渇する可能性があると予測されています。遠い未来の話ではありません。あと50年と言えば次世代には必ず影響が出てくることは避けて通れない問題になってくるでしょう。それが現実で、わかっているのにも関わらず人類は有限の地球の恵みを使い続けて、その依存度はまずます増えています。人類は地球が何十億年かけてため込んだものをたった数百年で使い尽くそうとしているのです。
 
 これは人生は有限であることは誰でもわかっているにも関わらず、今日一日を無駄に生きてしまいがちな私たちの姿と類似点があるように思います。人間は切羽詰まらないと物事を如実・事実のままに見つめることができにくいのかもしれません。しかし、残りわずかになってから慌てても間に合いません。今回の戦争によって私たちが目をつぶってきた「事実」がありのままに見えてきたともいえます。

 さて、今回の言葉「如実知自心」は密教経典である大日経疏に説かれています。前々回に紹介した懐奘禅師の光明蔵三昧にも出典と共に紹介されていますので、当時の禅宗でも認知されていたようです。禅学大辞典には「如実に自己を知ること。また、その心。仏知見」と説明があり原典も紹介されています。

「秘密主、云何なるか菩提とならば。謂く実の如く自心を知るなり。即ち是れ如来の功徳宝所を開示するなり。」
意訳:大日如来は、菩提(悟り)とは何かといえば、自己の心をありのままに知ることである。即ちこれが仏の功徳の宝を開示することである。

 「実の如く自心を知るなり」自分自身をありのままに知ること、自己を見つめることは我々禅宗の第一義であります。自分とは一体何者であるのか。日常生活に追い回されている私たちは、自己を見つめるという時間がほとんど持ち合わせていないのではないでしょうか。それ以前に見つめようということすら忘れているのかもしれません。一番身近な存在で、二十四時間、三百六十五日、生まれてから死を迎えるまでひとときも離れずに一緒であるこの自分を、一番自分がわかっていなくてはならないのに、一番よくわかっていないのがこの自分自身ではないでしょうか。
 
 禅ではこの自分自身を見つめることを「己事究明」といって、自己の大本を究明してはっきりさせなさいと説きます。
 
 では具体的にはどうしていけばよいのか。私は呼吸に集中してなりきること。即ち呼吸三昧になっていくことが一番確実な方法だと思います。「息」はそのまま「自らの心」と書きますが、呼吸に向き合って、その大本を知ることは、そのまま本来の自己を知ることであるのです。よく「呼吸をありのままに見つめなさい」と指導する方もおられますが、ありのままに見つめるという表現は抽象的であり、実際に「ただみつめることは」非常に難しく、結局はいつの間にか思考に占領されるか、ただボーッと呼吸しているだけになりかねません。やはり最初は呼吸にしっかりと集中していくことがよいと思います。それには伝統的な数息観、随息観という方法を用いていくのです。これを嫌われる指導者もおられますが、私自身は数息観で三昧世界の一端を拝見させていただいたので、この方法を否定することはできません。只管打坐の基礎段階としてしっかり呼吸を見つめて三昧を練り込むことが大切ではないかと思います。
 
 瑩山禅師の坐禅用心記には心が散乱する時は「心を鼻端丹田に安じて、出入の息を数えよ」とあり、また白隠禅師臘八示衆には「而して始め数息観をなすべし。無量三昧の中には数息を以て最上となす」とあります。
 
 呼吸は生命の大本であります。私たちは常に外の世界に振り回されて、目で見える世界、物質的な世界に執着して、それが本当の世界だと勘違いしているのです。目で見える世界などほんのごくわずかです。その背景にある目に見えるものを司っている、生かしている宇宙のはたらきに目覚めることが禅の第一義なのです。その宇宙のはたらきが現れているのがまさしく呼吸なのです。呼吸に集中していくことは、まさしく本当のありのままの自己を知ることになるのです。
 
 しかし、悲しいかな。現実に目をつぶって、一時の欲望快楽に目を奪われて、本当の自己を究明しようという時がいかに少ないことか。
「いたずらに 過ごす月日は多けれど 道をもとむる 時ぞすくなき」道元禅師。

昨日は伊豆往復。私の禅僧としての原点である老師のもとへ。「仏として選ばれて来ている」「天地とひとつ隙間なく仏の命を生きているか」「今ここにあるということはすでに足りているから生きている」等々響きました。三十数年前の出逢いが「今」の自分を活か...
13/05/2026

昨日は伊豆往復。

私の禅僧としての原点である老師のもとへ。

「仏として選ばれて来ている」
「天地とひとつ隙間なく仏の命を生きているか」
「今ここにあるということはすでに足りているから生きている」
等々
響きました。

三十数年前の出逢いが「今」の自分を活かしているし、今日の出逢いが未来を活かす。
今ココに過去も未来も詰まっている。
今ココ自分を活かすに尽きる。

弘法大師のお導きに感謝。

簡易体操,暁天坐禅, 百八礼拝,羅漢拝,朝課,理趣分,散歩,ヨーガ禅,真向法,最低気温8.8℃曇

随聞記6-4「たくみに言を以て悪事をとどめ、善事をすすめしなり」方便を使いながら、仏道に入らしめる。方便は作為的であるが、「ただに坐る」を何もしない坐禅とするより、「禅定を深め、定力を強化してこそ自己の本質に迫れる。」として巧みにその方法を...
09/05/2026

随聞記6-4
「たくみに言を以て悪事をとどめ、善事をすすめしなり」

方便を使いながら、仏道に入らしめる。

方便は作為的であるが、「ただに坐る」を何もしない坐禅とするより、「禅定を深め、定力を強化してこそ自己の本質に迫れる。」として巧みにその方法を示すことも禅僧の役目だと私は思う。

簡易体操,羅漢拝,朝課,理趣分,百ハ礼拝,ヨーガ禅,真向法,散歩,日曜坐禅会と随聞記勉強会(10)最低気温0.1℃晴

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長野県諏訪郡富士見町富士見10706
Shimosuwa-Machi Suwa-gun, Nagano
399-0211

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