聖ピオ十世会-SSPXJapan

聖ピオ十世会-SSPXJapan 聖ピオ十世会の情報を発信するためのページです。

変わらない聖母の私たちへの母の愛   8月 12, 2025  2025年8月12日  童貞聖クララの祝日  トマス 小野田圭志神父説教  聖母の汚れなき御心聖堂(大阪)愛する兄弟姉妹の皆様、今日は8月12日、アシジの聖クララの祝日を祝って...
26/08/2025

変わらない聖母の私たちへの母の愛   8月 12, 2025  2025年8月12日  童貞聖クララの祝日  トマス 小野田圭志神父説教  聖母の汚れなき御心聖堂(大阪)

愛する兄弟姉妹の皆様、

今日は8月12日、アシジの聖クララの祝日を祝っています。

三日後は、聖母の被昇天の大祝日です。

聖母被昇天の祝日は、日本に住む私たちに対するマリア様の愛を深く感じる日でもあります。

今日は聖母の母の愛を黙想しながら、マリア様の祝日を準備いたしましょう。

聖母の被昇天。天主の御母は、この地上での生命の最後に、霊魂も肉体も天の栄光に上げられました。聖母は今、天国におられます。

ファチマでは、マリア様を初めて見た時、幼いルチアがこの美しい方に尋ねます。

「あなた様はどちらから来られたのですか?」

聖母は答えます。「私は天からです。」

聖ペトロはこう言います。

「主にとっては、一日が千年のごとく、千年が一日のごとくであるということを。」(ペトロ後3:8)

天国におられるマリア様にとっても、これは同じです。

8月15日は、歳月を超えて、命を与え給う母の愛、子供の幸せを願い望む母親の愛、いつも変わらない母の深い愛を私たちに伝えています。

では、具体的にどんなことが言えるでしょうか?

【聖フランシスコ・ザベリオの来日】

マリア様は、私たちにイエズス・キリストを与えてくださった方です。何故なら、お告げの時に、もしも「われは主の使い女なり、仰せのごとくわれになれかし」と言われなかったならば、天主は人となることはなかったからです。もしもマリア様が「はい」と答えなければ、救い主は人間に与えられなかっただろうからです。

8月15日、マリア様は私たちを愛する母親として、日本に住んでいる私たちの永遠の救いのために、天国からイエズス・キリストを与えようとされました。あたかも、天国におられるマリア様から遣わされた使者であるかのように、天竺(インド)から、偉大な聖フランシスコ・ザビエルが薩摩の地に上陸しました。

8月15日、この日はマリア様の色々な愛の出来事を思い出させてくれる日です。

1281年、フビライ・ハンの送った元の国のおびただしい軍船が、15万人の軍人を乗せ、日本を滅ぼすために九州の北にやって来ました。博多湾が、この船で黒々と埋め尽くされていたその時、その年の聖母被昇天(弘安4年7月30日)に、あたかもマリア様が天から助けの手を伸ばされたかのように、侵略軍の船は台風でことごとく殲滅させられました。

その後、日本は戦国時代に入ります。大和の国はその名前にもかかわらず、どこもかしこも戦いと野心とであふれ、分裂していました。京の都も荒れ果てさびれ、幕府の権威は失墜し、武力だけが全てでした。そんな1549年の被昇天には、天から日本を救うために、九州の南から、福音のそよ風が伝えられました。透き通る青い空に正義の太陽の光が輝き出したのです。

単純で清貧な服を身につけたバスク人が、鹿児島の地に第一歩を静かに踏み出しました。その時、日本のほとんどの人は誰も気付きませんでした。彼こそ、8月15日に、パリのモンマルトルの聖堂で、聖イグナチオ・ロヨラとともに、御聖体にまします救い主に「はい」と答えて、「イエズスの同伴者の会」つまりイエズス会を創立した人でした。ポルトガル国王ジョアン三世(ヨハネ三世)の代表として、真の天主であり、王の王であるイエズス・キリストの教会の司祭として日本にやって来ました。これは、マリア様から日本への愛のプレゼントでした。

私たちの救い主は、御父にこう祈りました。

「永遠の命とは、唯一のまことの天主であるあなたと、あなたがお遣わしになったイエズス・キリストを知ることであります。」(ヨハネ17章3-4節)

聖フランシスコ・ザベリオが、日本に来た目的はただ一つでした。彼は日本に到着したその年の11月に、日本から手紙をこう書いています。

「私たちは実に、たった一つの事しか頭にありません。それは、日本人に、私たちの主イエズス・キリストの知識と信仰をもたらす事です。…天主の良き助けを以って、天主からの強さと勇気を与えられて、日本人を迷信の暗闇から福音の光の中に引き込む為に、私たちは天主の命令に従う事を決意しています。」(聖フランシスコ・ザベリオが1549年11月5日に書いた手紙)

【イエズスを抱く聖母】

聖フランシスコ・ザベリオが一緒にやって来たアンジロ(あるいはヤジロウ)、洗礼名「聖なる信仰のパウロ」は、薩摩藩の城主と面会する時、聖フランシスコ・ザベリオが、インドから持参したマリア様の御影を持っていきます。幼きイエズス様が、膝の上に座っている美しい聖母の御姿の御影でした。島津貴久は、それを見ると非常に感激します。跪いて、きわめて敬虔に聖母へ敬意を表しました。そこに居合わせた全ての人たちにも、同じようにすることを命じました。

貴久の母親も、マリア様の御姿を見て深く感動します。この母親は、のちにパウロ・アンジロに使いを送り、この御影が欲しいと、またキリストの教えについて書かれた物が欲しいと願ったほどでした。

福音には、東の国の博士たちが不思議な星に導かれ、幼子イエズスが、母のマリアといっしょにおいでになるのを見た、かれらはひれ伏して礼拝し、宝を献上した、とあります。東の国の賢人たちは、まるで聡明の賜物を頂いたかのようです。すぐさま、この方だ!と理解しました。今こそ、この清らかな童貞なる母に抱かれている天主の御子を、この目で見ているのだ!とわかりました! 青いきれいな空に輝く太陽を見るように、イエズス・キリストは、いつもマリア様を通して見出されます。歴史を通して、霊魂の奥底では、常にマリア様を通してイエズス様との甘美な出会いが起こります。ベトレヘムでそうだったように、鹿児島でも、人々は、青い空に抱かれる正義の太陽を見出したのです

京の都の最初のカトリック教会は、1576年の被昇天の日に完成しました。被昇天のマリア様に捧げられ「南蛮寺」と言われていました。今でも南蛮寺の教会の鐘は現存し、仏教のお寺に保存されています。1577という年号とIHS(Iesus Hominum Salvatorイエズス人類の救い主)というイニシャルが刻まれています。この鐘は、天国から響く母であるマリア様の愛の呼びかけのように、当時の京都の都に鳴り響いていたことを偲ばせています。

【悲しみの聖母】

日本の子供たちの喜びも、悲しみも、マリア様はいつも私たちと共にされました。被昇天に捧げられた南蛮寺、この教会が完成した時、マリア様はどれほどうれしかったことでしょうか!

マリア様は、子供たちのことを決して忘れたことはありません。

日本に住む私たちの先祖にとって最も深い悲しみは、マリア様と離れ離れになることでした。

子供が迫害に遭う時、マリア様も子供たちとともにお苦しみになりました。

キリシタンたちにとって、十字架につけられるよりも、逆さ吊しになるよりも、蓑を着せられて火を点けられるよりも、もっともっと恐ろしい拷問がありました。それは、マリア様のお美しい御姿を足で踏むことでした。200年続いた踏み絵(1660年代から1858年まで)は、とても悲しい出来事でした。毎年、強制的に踏まされた後に、先祖は泣いて、泣いて祈りを捧げました。悔やんで、悔やんで、七代にわたりマリア様の子供たちが悲しみの涙を流しました。

踏み絵が始まった日本において、キリストの神秘体は十字架につけられ、息が止まってしまったかのように思われました。そんな迫害の真っ只中、1708年に、マリア様は私たちを慰めようと、鹿児島のもっと南に浮かぶ島(屋久島)に来られました。十字架の足元で、御苦しみを、涙をもって御捧げする悲しみのマリア様でした。シドッティ神父様が命がけで私たちのもとに持ってきた、日本の子供たちのために涙を流されているお母様の御姿です。子供のことを決して忘れることができない母の愛です。子供たちは、この母の愛を決して忘れませんでした。子どもたちは、このお母さんの愛を探し求めていました。

そうしてついに1865年3月17日、マリア様は、迫害を恐れて、怯え隠れていた子どもたちをお招きになり、ご自分の麗しい像のもとに呼び寄せました。

子供たちが、イエズス・キリストの司祭に尋ねた最初の言葉はこれです。

「サンタマリアの御像はどこ?」

そして愛の母を見つけると、子供たちは喜びに溢れます。

「ほんとにサンタマリアさまだ!」「御子ゼスス様を抱いていらっしゃる!」

【無原罪の聖母の被爆】

マリア様の私たちに愛を感じさせるもう一つの出来事は、1945年の被昇天です。日本の民族にとって、有史以来最大の惨事は第二次世界大戦でした。もしもこの戦争が終わらなかったならば、私たち日本の民はおそらく絶滅してしまっていたかもしれません。苦しみをこれ以上増やさないため、戦争を終わらせるために、マリア様はご自分が犠牲となります。

1945年8月9日、浦上の「無原罪の聖母」天主堂の近くで原子爆弾が炸裂し、教会は粉々となって壊滅しました。小教区の信者1万2千人のうち三分の二が犠牲となり、マリア様も被爆しました。今でも、その被爆のマリア様は浦上の天主堂にあります。

しかし、無原罪の御宿りの祝日(12月8日)に始められた戦争は、被昇天に奇跡的な終戦を迎えることができました。

永井博士は弔辞でこう言います。

「浦上を愛し給うが故に浦上に苦しみを与え給い、永遠の生命に入らしめんが為に此世に於て短きを与え給い、しかも絶えず御恵みの雨をこの教会の上にそそぎ給う天主に心からの感謝を献ぐるものでごさいます。」

【秋田の聖母】

苦しまない愛は、本物の愛ではありません。マリア様は、どのような苦しみでさえ、子供のために耐え忍ぶ英雄的な母の愛を持っておられます。そして、歴史を通して、この愛を私たちにお見せになりました。この特別な愛をもって「聖母は日本を愛しておられます」(秋田の天使の言葉)。

マリア様は私たちを特別に愛するあまり、もはや黙っていることはできませんでした。耳の聞こえないシスター笹川を通して、天の「極みなく美しい声」を全聾の耳に響かせ、私たちに語りかけられました。「わたしの娘よ!」と。

マリア様は、私たち一人ひとりに愛の声で呼びかけておられます。

「わたしの娘よ!わたしの子供よ!」

「ここの一人一人が、わたしのかけがえのない娘です。ここの一人一人が、わたしにとってかけがえのない子供たちです。」

また、母として、天から私たちにいたわりの声をかけてくださいます。

「不自由は苦しいですか。傷は痛みますか。人々の償いのために祈ってください。」

マリア様は、私たちに優しく呼びかけられ、いたわりの言葉をかけられるのみならず、私たちをご覧になり涙も流されます。

「涙が涙腺のある眼がしらのあたりから湧き出、鼻すじや頬をつたわってしたたり落ち… 涙のしずくはあごの下に玉のように留まったり、衣の襟にたまったり、さらに帯を越え衣のひだにそって流れ落ちて、足台をぬらしていた」(安田神父様)。

「聖母を通してイエズスさまと御父に献げられる霊魂を望んで、聖母はいつも涙を流しておられる」(秋田の天使の言葉)のです。

二千年前、カルワリオの丘で永遠の天主の愛が燃え盛りました。イエズス・キリストの十字架のいけにえが、歴史的事実として捧げられました。そして、今でもこの火は燃え続けています。主のいけにえは、ミサ聖祭で毎日行われ続けています。ですから、聖パウロは言います。

「イエズス・キリストは、昨日も今日も、世々に同じである。」(ヘブレオ13:8)

天におられるマリア様についても、同じことが言えるのではないでしょうか。

「聖母の私たちへの愛は、昨日も今日も、世々に同じである。」と。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

#カトリック #聖伝のミサ #聖ピオ十世会 #グレゴリオ聖歌 #トリエントミサ # 伝統ミサ #ラテン語 #ローマ典礼▼聖ピオ十世会日本 公式Webサイト▼https://fsspx.jp/ja▼...

聖霊の働きで私たちはキリストのようになる  2025年6月7日(初土曜日)  聖霊降臨の前日  トマス 小野田圭志神父説教   聖母の汚れなき御心聖堂(大阪)聖霊来たり給え。信者の心に充ちたまえ。主の愛熱の火をわれらに燃えしめ給え!聖父と聖...
23/06/2025

聖霊の働きで私たちはキリストのようになる  2025年6月7日(初土曜日)  聖霊降臨の前日  トマス 小野田圭志神父説教   聖母の汚れなき御心聖堂(大阪)

聖霊来たり給え。信者の心に充ちたまえ。主の愛熱の火をわれらに燃えしめ給え!

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。



愛する兄弟姉妹の皆様、

今日は聖霊降臨の前日です。今日は特に、聖霊が私たちを聖としてくださるという神秘を黙想いたしましょう。



【1:キリストのように変化する】

私たちの人生は、真理にもとづかなければなりません。

言い換えると、真理であるまことの天主が、私たちの生活を、私たちの人生の全ての究極の目的である真理——まことの天主にまで導いてくださらなければなりません。イエズス・キリストは「道、命、真理」であって、その御言葉は「霊であり、命」(ヨハネ6:64)であり、主は「永遠の生命のことば」を有しておられます。

この真理にもとづくキリスト者の人生の核心(中核)は、愛徳にあります。

何故かというと、聖霊がキリスト教信者の霊魂に愛徳を注がれるからです。

天主から注がれた愛徳が、全ての聖徳を形作るからです。

では、キリスト教信者の人生の中核が愛徳にあるとしたら、その人生の目的地はなんでしょうか? 

キリスト教信者の人生の目的とは、イエズス・キリストの模範にならうこと、イエズス・キリストを霊魂に写し出すこと、言い換えると、イエズス・キリストを生み作り出すこと、第二のキリストとなること、これです。

ですから、私たちキリスト教信者の完徳とは、私たちの霊魂を、もっとも忠実で、もっとも完全なやり方でキリストに変化させることです。私たちの霊魂をイエズス・キリスト化することです。

聖パウロは、次のような言葉でキリスト者の人生を説明しています。

「キリストの洗礼を受けたあなたたちはみな、キリストを着た」(ガラチア3:27)

あるいは、こんなことも言います。

「あなたたちは、イエズス・キリストが自分たちの中におられることを知らないのか An non cognoscitis vosmetipsos quia Christus Jesus in vobis est?」(コリント後13:5)

また、こうも言います。

「愛に根ざし、愛に基をおくあなたたちの心に、信仰によってキリストが住まわれる」(エフェゾ3:17)

「天主はあらかじめ知っている人々を御子の姿にかたどらせようと予定された」(ローマ8:29)

そして、私たちがキリストにかたどって生まれ、そしてますますイエズス・キリストのようになればなるほど、完徳に到達します。

キリスト者の完徳について、聖パウロはこう言います。

「私は生きているが、もう私ではなく、キリストが私のうちに生きておられる」(ガラチア2:20)

そして、私たちの霊魂がキリストに変化することについてこう言っています。

「そこで私たちはみなおおいを顔に垂れず、鏡にうつすように、主の光栄をうつし、霊なる主によってますます光栄を増すその同じすがたに変わる。」(コリント後3:18)と。



【2:聖霊の働き】

では、私たちの人生がキリストのように変化する——これが私たちの生活の真理であり、核心であって目的地であるとするならば、どうしたらそれができるでしょうか? どのようにしたら、私たちの霊魂にキリストを生み出すことができるのでしょうか? 私たちがキリストのように変化することができるのでしょうか?

それは、イエズス・キリストがこの世に来られたのと全く同じやり方によります。つまり、天と地とが協力してできます。

イザヤの予言にはこうあります。

「天よ、露を滴らせ、雲よ、義人を降らせよ。地よ、開きて救世主を出せよ。」(イザヤ 45:8)

確かに、このイザヤの予言の通り、天からの聖霊のはたらきによって、童貞の大地である聖母マリア様から、イエズス・キリストがお生まれになりました。

ですから、私たちの霊魂にキリストを生み出すためにも、聖霊と聖母のお二方が必要です。このお二方だけが、キリストを私たちにもたらすことができるからです。無限の聖性である聖霊が、聖徳を私たちにお伝えくださいます。

そして聖母が、御母としてキリストの御肉体を形作る道具であったように、聖母は、私たちの霊魂に、世の終わりまでキリストの神秘体を形作るためになくてはならない、聖霊の道具として働かれます。聖霊の働きと聖母のご協力がなければ、私たちが聖となることはできません。

どういうことかというと、聖霊は私たちの心に愛徳を注入して、私たちの霊魂をその住まいとされます。そうして、私たちの霊的な命を聖霊の賜物で導いてくださいsます。

マリア様は、聖寵の仲介者、聖霊の浄配として、私たちの霊魂において聖寵の深いはたらきに影響をおよぼします。聖霊とマリア様は、常に私たちの霊魂に働きかけておられます。聖霊の働きとマリア様のご協力がなければ、私たちの霊魂にイエズスの特徴を霊魂に刻み付けることもなく、私たちの霊魂には聖徳も一切育たず、賜物も実りをもたらさず、聖寵も増加をみせず、霊的生活も発展することがなく、天主との一致も堅固になることはありません。

私たちの聖化のためには、どうしても聖霊の働き、マリア様のご協力が必要です。

聖霊の賜物を、聖霊の愛の光を私たちが受けるように、マリア様にお祈りいたしましょう。



聖霊来たり給え。信者の心に充ちたまえ。主の愛熱の火をわれらに燃えしめ給え!

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

#カトリック #聖伝のミサ #聖ピオ十世会 #初土 mass大阪:聖母の汚れなき御心聖堂▼聖ピオ十世会日本 公式Webサイト▼https://fsspx.jp/ja▼最新のミサ情報▼http://www.immaculata.jp/massinfo...

名古屋での聖伝のラテン語ミサのお知らせ。場所:愛知県名古屋市中村区名駅南1-3-14 石原ビル6階15:00 ロザリオ及び告解  16:00(午後4時)ミサ聖祭7月13日(日)8月3日(日)9月28日(日)10月5日(日)11月9日(日)1...
22/06/2025

名古屋での聖伝のラテン語ミサのお知らせ。
場所:愛知県名古屋市中村区名駅南1-3-14 石原ビル6階
15:00 ロザリオ及び告解
16:00(午後4時)ミサ聖祭
7月13日(日)
8月3日(日)
9月28日(日)
10月5日(日)
11月9日(日)
12月21日(日)

聖伝のミサは毎週 日曜日にさいたま市の大宮で捧げられています毎週日曜日読誦ミサ 8:30歌ミサ 10:30毎週金曜日 18:00毎週土曜日 11:00場所:さいたま市大宮区東町2-256-8 林ビル2階JR大宮駅東口から約1km※予約不要で...
21/06/2025

聖伝のミサは毎週 日曜日にさいたま市の大宮で捧げられています
毎週日曜日
読誦ミサ 8:30
歌ミサ 10:30
毎週金曜日 18:00
毎週土曜日 11:00
場所:さいたま市大宮区東町2-256-8 林ビル2階
JR大宮駅東口から約1km
※予約不要です

三位一体の主日 のミサ (ヴィエイラ神父様)聖なる日本の殉教者聖堂(大宮) #カトリック #聖伝のミサ #聖ピオ十世会 #トリエントミサ #グレゴリオ聖歌 #ラテン語▼聖ピオ十....

[マーチフォーライフ大阪] のお知らせ7月6日(日) 午後2時半に大阪市役所のとなり 中の島公園女神像まえに集合午後3時に大阪市役所まえを出発→ 難波までの約4㎞ 御堂筋を行進します(毎年、警察の皆様の誘導で安全に行進できます)
20/06/2025

[マーチフォーライフ大阪] のお知らせ
7月6日(日) 午後2時半に大阪市役所のとなり 中の島公園女神像まえに集合
午後3時に大阪市役所まえを出発→ 難波までの約4㎞ 御堂筋を行進します(毎年、警察の皆様の誘導で安全に行進できます)

大阪での聖伝のラテン語ミサのお知らせ6月22日(日)午前10時半6月29日(日)午前10時半7月6日(日)午前10時半他の日は画像をご覧ください場所:大阪市淀川区東三国4丁目10-2 EG 新御堂4階予約不要です。どなたでも大歓迎致します。
19/06/2025

大阪での聖伝のラテン語ミサのお知らせ
6月22日(日)午前10時半
6月29日(日)午前10時半
7月6日(日)午前10時半
他の日は画像をご覧ください
場所:大阪市淀川区東三国4丁目10-2 EG 新御堂4階
予約不要です。どなたでも大歓迎致します。

三位一体と霊魂の一致の神秘  2025年6月15日    三位一体の主日  トマス 小野田圭志神父説教  聖母の汚れなき御心聖堂(大阪)聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。愛する兄弟姉妹の皆様、今日は2025年6月15日、三位一体の...
18/06/2025

三位一体と霊魂の一致の神秘  2025年6月15日  三位一体の主日  トマス 小野田圭志神父説教  聖母の汚れなき御心聖堂(大阪)

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

愛する兄弟姉妹の皆様、

今日は2025年6月15日、三位一体の主日です。7月の堅振の秘跡の準備も兼ねて、三位一体が私たちの霊魂をどのように聖化するのか、三位一体がどのように霊魂と一致するのか、その神秘を黙想いたしましょう。



【1:聖霊を通して御子が与えられる】

第一のポイントは「聖霊を通して、御父は御子を私たちに与える」ということです。

天主が私たちに最初になさる親密さは、愛のプレゼントによって行われます。つまり聖霊によってなされます。何故かというと、聖霊は、私たちの霊魂の甘美な客、天主の愛、天主から私たちへの貴重なプレゼント、賜物であるからです。

天主御父は、愛である聖霊を通して、私たちに御子を与えられます。何故かというと、御父は私たちを愛するがゆえに、御子を与えるからです。イエズスはこう言われます。

「天主はおん独子をお与えになるほど、この世を愛された。」(ヨハネ3:16)と。

では、聖霊はどのようにして御子を与えられたのでしょうか?

それは、聖霊が聖母に働きかけて、です。何故なら、聖霊が聖母に、御父の持つ御子を生み出す力を与えることによって、天主の御子は人間となられたからです。

大天使ガブリエルは聖母にこう言います。

「聖霊があなたにくだり、いと高きものの力のかげがあなたをおおうのです。」(ルカ1:35)

福音を見ると、私たちに御子が与えられる時はいつでも、必ず聖霊を通してそれがなされることが分かります。

たとえば、イエズス様が公生活をはじめようとする時、主は「霊によって荒れ野にみちびかれ」(マテオ4:1)ました。

また、イエズス様が洗礼を受けると「天がひらけて、聖霊が、鳩のような形をとってその上にくだった」(ルカ3:22)とあります。

御変容の時にも「光る雲(つまり聖霊)があらわれ」(マテオ17:5)ました。

十字架のいけにえも、主は聖霊による愛によって捧げられました。何故かというと、聖パウロがこう証言しているからです。

「永遠の聖霊によって、汚れのないご自分を天主(つまり天主御父)にささげられた」(ヘブレオ9:14)と。

ですから、イエズス様は最初から最後まで、聖霊によって私たちに与えられ、聖霊によって御父のみもとに帰って行かれるのです。



【2:御子は私たちを連れて御父に戻る】

では第二のポイントです。御子は聖霊を通して御父のもとに帰るのですけれども、なんのためでしょうか? なぜ、御子が私たちに与えられたのでしょうか? それは「私たちを(御父のもとに)連れていくため」です。

イエズスは、御受難の前夜、御自分のこの世の使命をこのようにまとめて言っています。つまり、イエズス様がこの世に来て御父のもとに行くのは、私たちも、イエズスを通して、イエズスのいる所に、イエズスとともにいるためであると。

主が御父に言われた言葉を引用します。

「私は、あなたがおこなわせようとおぼしめしたわざをなしとげて、この世にあなたの栄光をあらわしました。……私は、あなたのみもとにいきます。聖い父よ、私にくださったあなたのみ名において、私たちが一つであるがごとく、彼らもそうなるようにお守りください。…父よ、あなたがお与えくださった人々が、私のいる所に、私とともにいることを望みます。それは、あなたが私にお与えくださった栄光を、彼らに見せるためであります。」

つまり、イエズス様の使命は、私たちがイエズスを通して、イエズスにおいて、イエズスとともにいるため、私たちを御父のもとに連れていくことです。

イエズスがなさったこの使命は、一回だけで終わるものではなく、教会において繰り返されます。いわば愛のサイクルです。

何故かというと、聖霊が聖霊降臨の主日に教会に下られたからです。

聖母の御胎内のみならず、教会に、そして洗礼を受けた私たち全てに、「いと高きものの力のかげ」が影響をおよぼしておられます。それはキリストの本当の教会、カトリック教会において、時代を超え、世の終わりまで、神秘的にイエズス・キリストを生み出すためです。イエズス・キリストの生命の神秘を新たにするためです。

ですから世の終わりに、イエズス・キリストの神秘体である教会は、イエズス様と同じ言葉で祈るでしょう。

「私は、あなたがおこなわせようとおぼしめしたわざをなしとげて、この世にあなたの光栄をあらわしました。…私は、あなたがこの世からとり去って私にくださった人々に、み名をあらわしました。…私は、あなたのみもとにいきます。…私たちが一つであるがごとく、彼らもそうなるようにお守りください。」

また、イエズスがなさったこの使命は、教会だけではなく、私たち個人個人においても繰り返されます。



【3:御父は、イエズス・キリストを通してのみ栄光を受ける】

では第三に、そうやって御父のもとに私たちが行くということは、いったいなんのためでしょうか? それは、イエズス・キリストを通して、御父が栄光を受けるためです。

司祭が、カリスのぶどう酒の中に水を一滴入れる時に、このように言います。

「天主は、人間の実体の尊厳を素晴らしく創り給い、またさらに素晴らしく作り直し給う(DEUS, qui humanae substantiae dignitatem mirabiliter condidisti et mira-bilius reformasti)」

その御計画は、ミサの典文の最後の言葉で表されています。

「キリストを通して、キリストと共に、キリストにおいて、全ての誉れと栄光は、聖霊との一致において、世々に至るまで全能の父なる天主、御身のものなり。(Per ipsum, et cm ipso, et in ipso, est tibi Deo Patri Omnipotenti, in unitate Spiritus Sancti, omnis honore et gloria, per omnia saecula saeculorum.)」

これを言い換えると、イエズス・キリストの御托身と贖罪(罪の贖い)の目的、教会の創立・存在の目的、霊魂の聖化の目的、それは、超自然の――自然の秩序を超える天主御父の永遠の誉れと栄光であるということです。

ところで、御父は、イエズス・キリストを通してのみ栄光を受け取られます。ですから、御父に栄光を帰す・栄光を帰そうとする全ての人々は、時においても、永遠においても、イエズス・キリストを通してそうしなければなりません。旧約の義人であれ、新約の聖人であれ、イエズス・キリストを通してのみ天主御父に栄光を帰すことができます。なぜでしょうか? 主はこう言われます。

「なぜなら、私がいないと、あなたたちにはなに一つできないからである。」(ヨハネ15:5)

イエズス・キリストがおられないなら、天主の秩序において価値あることは存在しません。イエズス・キリストなしには、汚れのない清さもなく、自己愛のない清い愛徳も、霊魂の救いもあり得ません。

イエズス様は、ひたすら御父に栄光を帰すことだけを望んでおられました。ある時にはその秘密が外に滑り出て、こう言われたことがあります。

イエズスは、聖霊によって、よろこびに身をふるわせながらこうおおせられた。

「天地の主なる父よ、あなたを賛美します!」(ルカ10:21)

ですから霊魂は、イエズス・キリストと一つになればなるほど、緊密に一致すればするほど、より大いなる栄光を御父に帰すことができるようになります。

しかし、御父に栄光を帰すのは、イエズス・キリストだけができる事業なので、私たちの霊魂が、できるだけ完全な栄光を御父に帰すためには、どうしても私たちがイエズス・キリストのように変化しなければなりません。

では、どうしたら私たちはイエズス・キリストのように変化できるのでしょうか?

そのためには、聖霊の働きを受けなければなりません。

イエズスはこう言いました。

「まことの礼拝者が、霊と真理とをもっておん父を拝む時がくる。いやもう来ている。おん父は、そういう礼拝者をのぞんでおられる。」

霊と真理とをもって天主御父を礼拝するとは、愛である聖霊との一致において、真理である御子を通して、御父に栄光を帰すこと、またそういう礼拝者です。

私たちの霊魂の聖化(聖となること)の目的は、御父の栄光です。そして、私たちの霊魂の聖化の核心は、私たちがイエズス・キリストとなることです。

聖パウロはこう言っています。

「天主はあらかじめ知っている人々を御子の姿にかたどらせようと予定された。」(ローマ18:29)と。

イエズス・キリストは永遠の智恵です。ですから、私たちがイエズス・キリストに変化するためには、上智の賜物が必要です。この上智の賜物は、愛に根付き、愛から輝き出る光です。上智の賜物は、愛徳の結果として生まれるものです。愛徳とは、私たちの霊魂にある聖霊の似姿で、私たちを御子の似姿へと導いてくれます。つまり、私たちは聖霊との一致においてはじめてイエズス・キリストへと変化されるのです。

聖パウロによると、聖霊を受けるとは「養子としての霊を受ける」(ローマ8:15)ことです。聖トマス・アクィナスはそれを説明して、私たちが聖霊から、御子(永遠の智恵)の似姿(智恵の賜物)を受けるからだと言います。

私たちの霊魂が聖霊との一致においてイエズス・キリストに変化し、イエズス・キリストとともに御父の懐で、栄光のうちに至福(幸せ)を味わう、これが愛の完成、愛による一致の完成です。このために、私たちはこの世に生まれてきました。

ですから、天主の愛が完成に至るには三つの段階があります。

私たちの霊魂が愛によって聖霊と一つになる。(聖霊の賜物を受ける、聖霊を甘美な客として受けるということ)
そうすることにより、私たちの霊魂がますますイエズス・キリストに変化する。(真のキリスト者になるということ)
私たちの霊魂が御父の懐で憩う。

私たちの霊魂が、キリストのようになるに従って、ますます御父に栄光を帰し、そしてついには、私たちの霊魂が御父の懐でキリストとともに憩う、永遠の至福を味わうということです。この三つの段階は、同じ一つの天主の愛と生命と至福を、三つの形で表したものです。



【4:まとめと遷善の決心】

では、最後にまとめて、遷善の決心を立てましょう。

イエズス様は御父に「かれらを真理において聖別してください」と祈りました。

つまり「私たちを真理において聖なるものとしてください」ということです。

真理とは、イエズス・キリストです。究極の真理とは、イエズス・キリストの教えた三位一体の天主の愛の命の深遠な神秘のことです。つまり、私たちの霊的な生命の始まりに関する神秘と、天国における究極の至福の真理のことです。

ですから、今日私たちが三位一体の祝日を祝いつつ、三位一体の天主の愛の命が私たちの霊魂に輝き出るように、それが反射されるようになること、それこそが私たちの超自然の生命の本質と言わなければなりません。三位一体の天主の愛の生命が霊魂に輝き出ることです。

イエズス・キリストを通さずには、誰も御父のもとに行くことはできません。

ところが、聖霊を通さずには、誰もイエズス・キリストのもとに行くことはできません。

キリストを通して、キリストと共に、キリストにおいて、霊魂は、聖霊との一致において、世々に至るまで、全能の父なる天主に栄光を帰すことができるようになります。

では最後に、この真理を黙想しながらファチマのマリア様にお祈りしましょう。

ファチマのマリア様は、三位一体の神秘をシスター・ルチアに啓示されました。
三位一体 Sr.ルシア

私たちが、この偉大な三位一体の真の天主の御名において洗礼を受けたというお恵みを感謝しましょう。

そしてこの信仰のお恵みを守り通して、三位一体の愛の計画に従って、ついには私たちのために準備された永遠の至福に、三位一体の愛の円居(まどい)に到達することができますように、お祈りいたしましょう。

「私には、天と地との一切の権力が与えられている。だからあなたたちは諸国に弟子をつくりにいき、聖父と聖子と聖霊とのみ名によって洗礼をさずけ、私があなたたちに命じたことをすべて守るように教えよ。私は、世の終わりまで、常にあなたたちとともにいる。」

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

#カトリック #聖伝のミサ #聖ピオ十世会 mass Mass▼聖ピオ十世会日本 公式Webサイト▼https://fsspx.jp/ja▼最新のミサ情報▼http://www.immaculata.jp/massinfo/bbs2...

霊魂の甘美な客  2025年6月8日  聖霊降臨の主日  トマス 小野田圭志神父説教   聖母の汚れなき御心聖堂(大阪)聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。 愛する兄弟姉妹の皆様、聖霊降臨のミサの続唱は、聖霊のことを「霊魂の甘美な客...
17/06/2025

霊魂の甘美な客  2025年6月8日  聖霊降臨の主日  トマス 小野田圭志神父説教   聖母の汚れなき御心聖堂(大阪)

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。



愛する兄弟姉妹の皆様、

聖霊降臨のミサの続唱は、聖霊のことを「霊魂の甘美な客 dulcis hospes animae」と呼んでいます。これはいったいどういう意味でしょうか?

聖霊が私たちを聖なるものとしてくださる神秘を、この言葉を巡って一緒に黙想いたしましょう。



【霊魂を聖化させる客】

霊魂の甘美な客、愛の客、私たちを愛する訪問者たる聖霊とは、私たちにいったいどんなことをしてくださるのでしょうか?

聖霊はあたかも最高の芸術家のようです。私たちの霊魂という貧しく卑しい材料を使って、最高の作品を作り上げてくださるからです。

聖霊が私たちに作り上げようとする最高の美、それはとりもなおさずイエズス・キリストです。何故ならば、イエズス・キリストこそ、まことの天主にして、まことの人だからです。

もちろん、天主御子は、天主の御言葉であり真の天主です。被造物ではありません。

しかし、天主御子は聖霊の働きによって人間となり、童貞マリア様からお生まれになりました。ですからイエズス・キリストは、聖霊が聖母の協力をもって作り上げた、人間としては最高で究極の作品と言わなければなりません。

それと同じように、愛である聖霊は、私たちの霊魂をも、永遠の理想であるイエズス・キリストへと変化させてくださいます。私たちも、聖霊の働きと、童貞マリア様の協力によって、キリストのようにならなければなりません。

では、聖霊はどのようにして私たちをキリストのように変化させ、聖なるものとしてくださるのでしょうか?

聖霊が私たちを聖化する最初のはたらきは、私たちの霊魂に住まうということです。

霊魂のもっとも奥深いところに入り込み、霊魂を最高の傑作に作り上げるため、そこに住まわれます。

聖霊は霊魂に、親密で永続的にずっと続くような善をほどこします。

ちょうどあたかも、友人を愛する王様が、自分の友を富ませ、豊かにさせ、名誉を与え、喜ばせ、楽しませ、そして善をほどこすために、わざわざ友人の家にやって来るかのようです。その意味で聖霊は「霊魂を訪問する甘美な客」と言わなければなりません。

ところで地上のお客様は、普通は数時間、あるいは数日いるだけで帰ってしまいます。

しかし「霊魂の甘美なる客」である聖霊は、私たちが罪を犯して聖霊を霊魂から追い出してしまわない限り、私たちに善をほどこすためにずっとずっと留まり続けてくださいます。

私たちが、ますますイエズス・キリストのようになって変化していくためには時間がかかります。聖霊も私たちにとどまってやさしい影響を与え、一緒に生活し、そして偉大な聖化の業を成し遂げられます。

ですから例えて言うと、霊魂は、私たちを愛するために訪れた「甘美なる客」と、あたかも結婚して、一生涯ずっと一緒に生活し続けるかのようです。

そして、霊魂は究極の聖性に到達します。ただこの地上での生活をずっと続けるのみではありません。ついに霊魂は栄光のうちに完成されて、永遠の命を聖霊とともに永遠に生きるのです。

聖霊が、甘美なお客様としていらっしゃることはわかりました。

ではどうやって、この霊魂の甘美なるお客様である聖霊が私たちの霊魂を聖化し、聖なるものとしてくださるのでしょうか?

それは「愛によって」です。聖霊は霊魂を愛されます。

聖パウロはこう言っています。

「私たちに与えられた聖霊によって、この心に天主の愛が注がれた」(ローマ5:5)

愛とは、相互に愛し合うことですから、聖霊が、愛によって霊魂と一致すれば一致するほど、聖霊はますます霊魂を自分のものとして所有します。そして霊魂も、愛によって、聖霊を自分のものとして所有するようになります。

霊魂が、聖霊を自分のものとする・所有するというのは同時に、聖霊が霊魂を自分のものとする・所有するということです。これが愛し愛されるということです。

聖霊が霊魂を最高に自分のものとしたとき、霊魂は、愛を完全にそして最高に所有したことになります。何故ならば、聖霊を自分のものとするからです。

聖化(聖となること)は天主の愛の業ですから、特に聖霊に帰されています。

ですから、聖霊は「甘美な客」として霊魂に招かれることから、聖化を始めなければなりません。



【聖霊は霊魂に住まわれる】

ところで「三位一体」は、カトリックの信仰によると、その全てをもって成聖の聖寵の状態にある霊魂に住まわれます。

先ほど洗礼式をご覧になった皆さんは、よく分かったかもしれません。洗礼を受けたその瞬間、三位一体すべてが霊魂に宿られ始めます。住まわれ始めます。そして洗礼を受けた方は、神殿として聖別され聖香油を受けます。

イエズス様は、御受難の前夜にこうおっしゃいました。

「私を愛する人(者)は私の言葉を守る。また父もその人を愛される。そして私たちはその人のところに行って、そこに住む。」と。

確かに、三位一体は私たちの霊魂に住み始め給うのですけれども、聖パウロは特に「聖霊」の特別の住みこみについてこう語っています。

「あなたたちが天主の聖所(聖なる場所)であり、天主の霊がその中に住んでおられることをあなたたちは知らないのか。」(コリント前3:18)

「天主の霊」と言います。またこうも言います。

「キリストの霊をもたないから、その人はキリストのものではない。」(ローマ8:9)

「イエズスを死者からよみがえらせたお方の霊が、あなたたちに住むなら、キリスト・イエズスを死者からよみがえらせたお方は、あなたたちに住む霊によって、あなたたちの死の体をも生かしてくださる。」(ローマ8:11)

聖パウロは、私たちの肉体の復活も、聖霊が私たちの霊魂に住むことの結果としておこると言います。しかも、天主が聖霊によって私たちを生かしてくださると言ったのみならず、愛である聖霊が、私たちの霊魂に永遠に住まわれようとされているとも言います。

イエズス様もこうおっしゃいます。

「私は父に願おう。そうすれば、父は、ほかの弁護者をあなたたちに与え、永遠にいっしょにいさせてくださる。それが真理の霊である。世は彼を見もせず、知りもしないので、彼をうけられない。しかしあなたたちは彼を知っている。なぜなら、彼はあなたたちとともに住んで、あなたたちの中においでになるからである。」(ヨハネ14:16-17)

では何故、天主三位一体は私たちの霊魂にこうやってお住まいになられるのでしょうか?

それは、天主が私たちを愛しておられるからです。

天主が、天のいと高き全能永遠お方が私たちを愛し給うので、私たちの霊魂にまで来られて、親密にずっと離れずにおとどまりになりたいと思われるのです!

天主は甘美な愛であり、私たちと一つになりたいと欲するほどに私たちを愛されるのです。とくに、聖霊は天主無限の愛ですから、聖霊のことを「私たちを愛する霊魂の甘美な客」と言うのです。



【3:聖霊と愛徳】

では最後に、天主の愛である聖霊と、私たちが持っている愛徳、成聖の恩寵について考えてみます。

愛の使徒である聖ヨハネはこう書いています。

「天主は愛である。愛をもつ者は天主にとどまり、天主はかれにとどまられる。」(1ヨハネ4:16)と。

さらに、この「愛をもつ者」を「私たち」と言い換えてこう言っています。

「私たちが天主にとどまり、天主が私たちにとどまられることは、天主がご自分の霊に私たちをあずからせられたことによってわかる。」(1ヨハネ4:14)と。

私たちが聖霊にあずかっていることが、その識別のしるしだと言っています。

愛とは、すべての贈り物のその最初にあるものです。

もしも誰かが贈り物をする、プレゼントをするとしたら、それは愛から生まれ出ます。

天主の贈り物(プレゼント)である聖霊についても同じことが言えます。

聖霊は私たちを愛されようとされます。そのために、愛である聖霊を私たちに贈られます。天主にとって、私たちを友のように愛するということと、聖霊を与えることは同じことなのです。

そして、天主が聖霊という贈り物を通して私たちに下さる最高の贈り物は、愛徳(カリタス)と呼ばれています。聖霊を私たちが受けるということは、愛徳を受けるということであり、そして愛徳とは聖霊の似姿です。聖霊は、ご自分の似姿を私たちに注ぎ込んでくださるのです。

この愛徳という聖霊の似姿を通して、私たちは天主と一つになることができるのです。

聖パウロはこうも言っています。

「主につく者は主と一つの霊になる。」(コリント前6:17)と。

ですから、聖霊はご自分自身を霊魂に与えようとするときに必ず愛徳も注がれます。

聖霊が来られなければ、愛徳はあり得ません。聖霊と愛徳には密接な関係があります。

天主が私たちの霊魂に住まわれる理由、また、私たちが天主に留まる理由、それは愛です。天主のほうからいえば、聖霊が自分を私たちに与え尽くすからです。

私たちのほうからいうと、私たちの受けた愛徳が聖霊と親和するからです。

何故なら、愛徳は聖霊の似姿なので、本物(オリジナル)の聖霊とは離れられないからです。そして、幸いなる光として、霊魂の奥深くにしみ込み給うのです。

ですから、聖霊は「霊魂の甘美な客」と言われるのです。



【4:遷善の決心】

では、最後に遷善の決心を立てましょう。

聖霊が私たちの霊魂を訪れてくださり、ますます優しい愛の影響をおよぼしてくださいますように、今日特別にお祈りいたしましょう。

また、聖霊とピタリと一致していた聖母マリア様にお祈りいたしましょう。

その一致はあまりにも完璧であって、マリア様は聖霊の浄配とさえ言われています。

花嫁ではない「花嫁」です。私たちが聖母にならう恵みをマリア様に祈りましょう。



聖霊、来給え、天より、御光の輝きを送り給え!

御身は、優れた慰め主、霊魂の甘美なる客、優しくさわやかなる御者に在し給う。

ああ、いと幸いなる光よ信者の心にしみ込み給え。



聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

#カトリック #聖伝のミサ #聖ピオ十世会 mass #聖霊降臨 Mass▼聖ピオ十世会日本 公式Webサイト▼https://fsspx.jp/ja▼最新のミサ情報▼http://www.immaculata.jp/massinfo...

ノブスオルド(新しいミサ)しか知らない人間が聖伝のミサに与ると「これはまるで違う宗教だ!」と体感し、しばらく聖伝に慣れると、今度はノブスを見学するとこれまた「別の宗教だ!」と我に返る。つまり、ノブスオルドと聖伝のミサは別の宗教性と神学を持っ...
06/05/2025

ノブスオルド(新しいミサ)しか知らない人間が聖伝のミサに与ると「これはまるで違う宗教だ!」と体感し、しばらく聖伝に慣れると、今度はノブスを見学するとこれまた「別の宗教だ!」と我に返る。つまり、ノブスオルドと聖伝のミサは別の宗教性と神学を持っている。

 新しい典礼(ノブス)はエキュメニカルな典礼であり、カトリック独特の教義を消し去り、カトリックの典礼をプロテスタントが不快に感じないような礼拝形式に変えようとしているからである。それは人間中心の礼拝であり、超自然的なものの象徴はすべて取り除かれているからである。

教皇庁立グレゴリアン大学の主席の博士。教会法学者マレー神父は以下のように発言。SSPX(聖ピオ十世会)は(カトリック教会から)分裂していない。SSPXのミサは日曜日の義務を果たす。
03/05/2025

教皇庁立グレゴリアン大学の主席の博士。
教会法学者マレー神父は以下のように発言。
SSPX(聖ピオ十世会)は(カトリック教会から)分裂していない。
SSPXのミサは日曜日の義務を果たす。

我々は使徒的伝統の主人ではなく、その擁護者であり奉仕者である。ペル枢機卿
01/05/2025

我々は使徒的伝統の主人ではなく、その擁護者であり奉仕者である。
ペル枢機卿

住所

Minumaku
Saitama-shi, Saitama
337-0053

営業時間

金曜日 17:30 - 20:00
土曜日 10:00 - 12:30
日曜日 10:00 - 14:00

アラート

聖ピオ十世会-SSPXJapanがニュースとプロモを投稿した時に最初に知って当社にメールを送信する最初の人になりましょう。あなたのメールアドレスはその他の目的には使用されず、いつでもサブスクリプションを解除することができます。

共有する

カテゴリー