26/08/2025
変わらない聖母の私たちへの母の愛 8月 12, 2025 2025年8月12日 童貞聖クララの祝日 トマス 小野田圭志神父説教 聖母の汚れなき御心聖堂(大阪)
愛する兄弟姉妹の皆様、
今日は8月12日、アシジの聖クララの祝日を祝っています。
三日後は、聖母の被昇天の大祝日です。
聖母被昇天の祝日は、日本に住む私たちに対するマリア様の愛を深く感じる日でもあります。
今日は聖母の母の愛を黙想しながら、マリア様の祝日を準備いたしましょう。
聖母の被昇天。天主の御母は、この地上での生命の最後に、霊魂も肉体も天の栄光に上げられました。聖母は今、天国におられます。
ファチマでは、マリア様を初めて見た時、幼いルチアがこの美しい方に尋ねます。
「あなた様はどちらから来られたのですか?」
聖母は答えます。「私は天からです。」
聖ペトロはこう言います。
「主にとっては、一日が千年のごとく、千年が一日のごとくであるということを。」(ペトロ後3:8)
天国におられるマリア様にとっても、これは同じです。
8月15日は、歳月を超えて、命を与え給う母の愛、子供の幸せを願い望む母親の愛、いつも変わらない母の深い愛を私たちに伝えています。
では、具体的にどんなことが言えるでしょうか?
【聖フランシスコ・ザベリオの来日】
マリア様は、私たちにイエズス・キリストを与えてくださった方です。何故なら、お告げの時に、もしも「われは主の使い女なり、仰せのごとくわれになれかし」と言われなかったならば、天主は人となることはなかったからです。もしもマリア様が「はい」と答えなければ、救い主は人間に与えられなかっただろうからです。
8月15日、マリア様は私たちを愛する母親として、日本に住んでいる私たちの永遠の救いのために、天国からイエズス・キリストを与えようとされました。あたかも、天国におられるマリア様から遣わされた使者であるかのように、天竺(インド)から、偉大な聖フランシスコ・ザビエルが薩摩の地に上陸しました。
8月15日、この日はマリア様の色々な愛の出来事を思い出させてくれる日です。
1281年、フビライ・ハンの送った元の国のおびただしい軍船が、15万人の軍人を乗せ、日本を滅ぼすために九州の北にやって来ました。博多湾が、この船で黒々と埋め尽くされていたその時、その年の聖母被昇天(弘安4年7月30日)に、あたかもマリア様が天から助けの手を伸ばされたかのように、侵略軍の船は台風でことごとく殲滅させられました。
その後、日本は戦国時代に入ります。大和の国はその名前にもかかわらず、どこもかしこも戦いと野心とであふれ、分裂していました。京の都も荒れ果てさびれ、幕府の権威は失墜し、武力だけが全てでした。そんな1549年の被昇天には、天から日本を救うために、九州の南から、福音のそよ風が伝えられました。透き通る青い空に正義の太陽の光が輝き出したのです。
単純で清貧な服を身につけたバスク人が、鹿児島の地に第一歩を静かに踏み出しました。その時、日本のほとんどの人は誰も気付きませんでした。彼こそ、8月15日に、パリのモンマルトルの聖堂で、聖イグナチオ・ロヨラとともに、御聖体にまします救い主に「はい」と答えて、「イエズスの同伴者の会」つまりイエズス会を創立した人でした。ポルトガル国王ジョアン三世(ヨハネ三世)の代表として、真の天主であり、王の王であるイエズス・キリストの教会の司祭として日本にやって来ました。これは、マリア様から日本への愛のプレゼントでした。
私たちの救い主は、御父にこう祈りました。
「永遠の命とは、唯一のまことの天主であるあなたと、あなたがお遣わしになったイエズス・キリストを知ることであります。」(ヨハネ17章3-4節)
聖フランシスコ・ザベリオが、日本に来た目的はただ一つでした。彼は日本に到着したその年の11月に、日本から手紙をこう書いています。
「私たちは実に、たった一つの事しか頭にありません。それは、日本人に、私たちの主イエズス・キリストの知識と信仰をもたらす事です。…天主の良き助けを以って、天主からの強さと勇気を与えられて、日本人を迷信の暗闇から福音の光の中に引き込む為に、私たちは天主の命令に従う事を決意しています。」(聖フランシスコ・ザベリオが1549年11月5日に書いた手紙)
【イエズスを抱く聖母】
聖フランシスコ・ザベリオが一緒にやって来たアンジロ(あるいはヤジロウ)、洗礼名「聖なる信仰のパウロ」は、薩摩藩の城主と面会する時、聖フランシスコ・ザベリオが、インドから持参したマリア様の御影を持っていきます。幼きイエズス様が、膝の上に座っている美しい聖母の御姿の御影でした。島津貴久は、それを見ると非常に感激します。跪いて、きわめて敬虔に聖母へ敬意を表しました。そこに居合わせた全ての人たちにも、同じようにすることを命じました。
貴久の母親も、マリア様の御姿を見て深く感動します。この母親は、のちにパウロ・アンジロに使いを送り、この御影が欲しいと、またキリストの教えについて書かれた物が欲しいと願ったほどでした。
福音には、東の国の博士たちが不思議な星に導かれ、幼子イエズスが、母のマリアといっしょにおいでになるのを見た、かれらはひれ伏して礼拝し、宝を献上した、とあります。東の国の賢人たちは、まるで聡明の賜物を頂いたかのようです。すぐさま、この方だ!と理解しました。今こそ、この清らかな童貞なる母に抱かれている天主の御子を、この目で見ているのだ!とわかりました! 青いきれいな空に輝く太陽を見るように、イエズス・キリストは、いつもマリア様を通して見出されます。歴史を通して、霊魂の奥底では、常にマリア様を通してイエズス様との甘美な出会いが起こります。ベトレヘムでそうだったように、鹿児島でも、人々は、青い空に抱かれる正義の太陽を見出したのです
京の都の最初のカトリック教会は、1576年の被昇天の日に完成しました。被昇天のマリア様に捧げられ「南蛮寺」と言われていました。今でも南蛮寺の教会の鐘は現存し、仏教のお寺に保存されています。1577という年号とIHS(Iesus Hominum Salvatorイエズス人類の救い主)というイニシャルが刻まれています。この鐘は、天国から響く母であるマリア様の愛の呼びかけのように、当時の京都の都に鳴り響いていたことを偲ばせています。
【悲しみの聖母】
日本の子供たちの喜びも、悲しみも、マリア様はいつも私たちと共にされました。被昇天に捧げられた南蛮寺、この教会が完成した時、マリア様はどれほどうれしかったことでしょうか!
マリア様は、子供たちのことを決して忘れたことはありません。
日本に住む私たちの先祖にとって最も深い悲しみは、マリア様と離れ離れになることでした。
子供が迫害に遭う時、マリア様も子供たちとともにお苦しみになりました。
キリシタンたちにとって、十字架につけられるよりも、逆さ吊しになるよりも、蓑を着せられて火を点けられるよりも、もっともっと恐ろしい拷問がありました。それは、マリア様のお美しい御姿を足で踏むことでした。200年続いた踏み絵(1660年代から1858年まで)は、とても悲しい出来事でした。毎年、強制的に踏まされた後に、先祖は泣いて、泣いて祈りを捧げました。悔やんで、悔やんで、七代にわたりマリア様の子供たちが悲しみの涙を流しました。
踏み絵が始まった日本において、キリストの神秘体は十字架につけられ、息が止まってしまったかのように思われました。そんな迫害の真っ只中、1708年に、マリア様は私たちを慰めようと、鹿児島のもっと南に浮かぶ島(屋久島)に来られました。十字架の足元で、御苦しみを、涙をもって御捧げする悲しみのマリア様でした。シドッティ神父様が命がけで私たちのもとに持ってきた、日本の子供たちのために涙を流されているお母様の御姿です。子供のことを決して忘れることができない母の愛です。子供たちは、この母の愛を決して忘れませんでした。子どもたちは、このお母さんの愛を探し求めていました。
そうしてついに1865年3月17日、マリア様は、迫害を恐れて、怯え隠れていた子どもたちをお招きになり、ご自分の麗しい像のもとに呼び寄せました。
子供たちが、イエズス・キリストの司祭に尋ねた最初の言葉はこれです。
「サンタマリアの御像はどこ?」
そして愛の母を見つけると、子供たちは喜びに溢れます。
「ほんとにサンタマリアさまだ!」「御子ゼスス様を抱いていらっしゃる!」
【無原罪の聖母の被爆】
マリア様の私たちに愛を感じさせるもう一つの出来事は、1945年の被昇天です。日本の民族にとって、有史以来最大の惨事は第二次世界大戦でした。もしもこの戦争が終わらなかったならば、私たち日本の民はおそらく絶滅してしまっていたかもしれません。苦しみをこれ以上増やさないため、戦争を終わらせるために、マリア様はご自分が犠牲となります。
1945年8月9日、浦上の「無原罪の聖母」天主堂の近くで原子爆弾が炸裂し、教会は粉々となって壊滅しました。小教区の信者1万2千人のうち三分の二が犠牲となり、マリア様も被爆しました。今でも、その被爆のマリア様は浦上の天主堂にあります。
しかし、無原罪の御宿りの祝日(12月8日)に始められた戦争は、被昇天に奇跡的な終戦を迎えることができました。
永井博士は弔辞でこう言います。
「浦上を愛し給うが故に浦上に苦しみを与え給い、永遠の生命に入らしめんが為に此世に於て短きを与え給い、しかも絶えず御恵みの雨をこの教会の上にそそぎ給う天主に心からの感謝を献ぐるものでごさいます。」
【秋田の聖母】
苦しまない愛は、本物の愛ではありません。マリア様は、どのような苦しみでさえ、子供のために耐え忍ぶ英雄的な母の愛を持っておられます。そして、歴史を通して、この愛を私たちにお見せになりました。この特別な愛をもって「聖母は日本を愛しておられます」(秋田の天使の言葉)。
マリア様は私たちを特別に愛するあまり、もはや黙っていることはできませんでした。耳の聞こえないシスター笹川を通して、天の「極みなく美しい声」を全聾の耳に響かせ、私たちに語りかけられました。「わたしの娘よ!」と。
マリア様は、私たち一人ひとりに愛の声で呼びかけておられます。
「わたしの娘よ!わたしの子供よ!」
「ここの一人一人が、わたしのかけがえのない娘です。ここの一人一人が、わたしにとってかけがえのない子供たちです。」
また、母として、天から私たちにいたわりの声をかけてくださいます。
「不自由は苦しいですか。傷は痛みますか。人々の償いのために祈ってください。」
マリア様は、私たちに優しく呼びかけられ、いたわりの言葉をかけられるのみならず、私たちをご覧になり涙も流されます。
「涙が涙腺のある眼がしらのあたりから湧き出、鼻すじや頬をつたわってしたたり落ち… 涙のしずくはあごの下に玉のように留まったり、衣の襟にたまったり、さらに帯を越え衣のひだにそって流れ落ちて、足台をぬらしていた」(安田神父様)。
「聖母を通してイエズスさまと御父に献げられる霊魂を望んで、聖母はいつも涙を流しておられる」(秋田の天使の言葉)のです。
二千年前、カルワリオの丘で永遠の天主の愛が燃え盛りました。イエズス・キリストの十字架のいけにえが、歴史的事実として捧げられました。そして、今でもこの火は燃え続けています。主のいけにえは、ミサ聖祭で毎日行われ続けています。ですから、聖パウロは言います。
「イエズス・キリストは、昨日も今日も、世々に同じである。」(ヘブレオ13:8)
天におられるマリア様についても、同じことが言えるのではないでしょうか。
「聖母の私たちへの愛は、昨日も今日も、世々に同じである。」と。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
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