日本キリスト教団 新潟教会

日本キリスト教団 新潟教会 日本キリスト教団 新潟教会, 宗教関連施設, 中央区営所通2番町709/2, Niigata-shiの連絡先情報、マップ、方向、お問い合わせフォーム、営業時間、サービス、評価、写真、動画、お知らせ。

牧師:長倉望・神崎典子(2010年12月〜現在)

◆主日礼拝:毎週日曜 第一礼拝9:40~10:30、第二礼拝11:00〜11:50
     毎週子どもたちと一緒の礼拝です。
   ※新型感染症対策として、礼拝を2回に分けてささげています。
    第二礼拝は、登録者にZOOMにて配信しています。

◆早天祈祷会:火曜日〜土曜日 6:00〜7:00(変更もありますので、教会にご確認ください)

◆新約聖書を読む会(第二水曜10:30〜)・旧約聖書を読む会(第四水曜10:00〜)


(消息)
・上島一高牧師(〜2010年3月)は日本キリスト教団今治教会を経て、2016年4月より日本キリスト教団松山教会で牧会されています。
・春名康範牧師(〜2000年3月)は2021年4月より、日本キリスト教団伊丹教会で牧会されています。

本日、創立137周年記念礼拝でした!
01/10/2023

本日、創立137周年記念礼拝でした!

29/09/2023

新潟教会報461号(2023年9月17日)巻頭言
「命を輝かせて」     牧師 長倉望  

今年は異常な暑さが続き、新潟が全国最高気温!?という日が何日もありました。そんな中、今年は4年ぶりに、妙高高原のロッジ遊山でCSキャンプが行われました。台風の直撃も心配されましたが、日差しもきつくなく、とても涼しい中でのキャンプでした。これまでコロナ禍の中で、ずっと開催できなかったCSキャプ。今回も、実際には“withコロナ”のキャンプとなりましたが、参加者一人一人の命の輝きにあふれる、本当に豊かなひと時だったと、しみじみと振り返っています。それは、わたしだけでなく参加した誰もが感じてくれいたいたことなんだ、と寄せられる感想や帰宅後の子どもたちの姿の報告からも思わされています。

キャンプ中には、素敵なシーンがたくさんありました。宿泊場所のロッジ遊山の前庭で遊んでいた“ドリブル無しバスケ”では、敵として立ちふさがっているはずの小学校6年生の男の子が、ボールを持っている4年生の女の子に「いけ!シュート!大丈夫!いける!がんばれ!」と励ましながらディフェンスをしていて、可笑しいやら感動するやら。近くの運動公園で遊んだサッカーも、小さい子どもから大きい子まで、運動の得意な子もそうでない子も、一緒にサッカーを楽しむためにはどうしたらよいかをみんなで話し合い、“小さい子がシュートを決めたら3点!”“得意な子は3回までしかボールにさわっちゃいけない”などの独自ルールをみんなで決めて楽しんだとのこと。また「花いちもんめ」や「だるまさんが転んだ」など、今どきの子どもたちにはなじみの薄い遊びも、全力で楽しむ子どもたち(と大人たち?)の姿がありました。

いくつものシーンを思い起こしつつ、新潟教会のCSキャンプを振り返る時に気づかされるのは、このキャンプは、小さな赤ちゃんの成長から、子どもたちの成長はもちろんのこと、スタッフの青年たちにも、保護者の方たちにも、すべての参加者に、それぞれの気づきや喜びや成長をもたらしてくれるキャンプだなぁ、ということです。人見知りをちょっぴり克服した1歳児。学校という場から少し離れて深呼吸し、もう一度自分らしさを振り返り取り戻していく子どもたち。“親から離れる”というチャレンジの中で、次第に生き生きと輝いていくその姿。そんな子どもたちの姿に触れ、“自分の育てられ方と自分の育て方”に気づきを与えられていく大人たち。社会人として働き始めた青年たちが喜んでキャンプのスタッフをしてくれるのも、このキャンプで自分の“原点”を確かめることができるからだと思うのです。

そこには命への眼差しがあります。お互いの命を、神さまから与えられたユニークで大切な命として受け止める眼差しの中で一緒に過ごすとき、わたしたちの命は輝きを取り戻していくのだと思うのです。お互いの命に目を注ぎ、その輝きを喜び、大変さを分かち合い、お互いに励ましあう交わりの中で、子どもも大人も、大切なことは何なのかを感じ、自分が生きる原点を確かめ、もう一度自分たちの日常を問い直し、励まされて日常へと帰って行く。その時には自分の日常がちょっと輝いて、違って感じられる……キャンプを通して起こっているこれらのことこそ、まさに教会や礼拝の本質なではないでしょうか。

神さまの眼差しの中で命のリフレッシュをしながら、与えられた命を輝かせて、共に歩みたいと願います。

24/12/2022

2022 クリスマスイブ・キャンドルサービス

前奏   J.S.Bach Nun komm,der Heiden Heiland BWV599

-------------------------------------------------《預 言》-----

聖  書   イザヤ書55章8-11節(御言葉の力)
賛  美   229「いま来たりませ」(1,2,3,5節)
[アドベントクランツ点火]

聖  書   イザヤ書9章1節、5節(闇の中の光)
オルガン演奏   L.Boëllmann  Prière à Notre-Dame

------------------------------------------------《降 誕》-----

聖  書   ルカ福音書1章26-38節(受胎告知)
オルガン演奏   J.S.Bach Meine Seel erhebt den Herren BWV648 

聖  書   ルカ福音書2章1-7節(イエスの誕生)
オルガン演奏   J.S.Bach Der Tag, der ist so freudenreich BWV605

聖  書   ルカ福音書2章8-14節(羊飼いと天使)
オルガン演奏   J.S.Bach Allein Gott in der Höh’ sei Ehr BWV676

聖  書   ルカ福音書2章15-20節(飼い葉桶の乳飲み子)
オルガン演奏   J.S.Bach In dulci jubilo BWV 729

---------------------------------------------《メッセージ》----

メッセージ                長倉望牧師

黙  祷
賛  美   259「いそぎ来たれ、主にある民」(1,2,4節)

--------------------------------------------《奉献/派遣》----

聖  書   ヨハネの手紙(一)4章7-12節(神の愛がわたしたちの間に)
献  金   J.Brahms : Es ist ein Ros enstsprungen
賛  美   262「聞け天使の歌」(1,3節)
祝  福  
後  奏  J.S. Bach Pastorale F-Dur BWV590/4

05/11/2022

「今を生きる・途上に耐える」
         牧師 長倉望

 学生時代、A先生の講演を聞いたことがあります。A先生は、T学院大学で旧約聖書学を担当されていた教授で、大変厳しい指導をされる方だと、地元では有名でしたが、世間一般には「破壊的カルトとたたかう大学教授」として知られていたと思います。わたしが大学生だった90年代は、芸能人なども参加した「合同結婚式」や「霊感商法」などがメディアでも大きく取り上げられ、問題視されており、テレビのコメンテーターは大抵、ジャーナリストの有田芳生氏かA先生だったからです。

 A先生が破壊的カルト問題に取り組むようになったきっかけは、「担当する旧約ゼミの学生の中に、おかしなことを言う人がいたからだ」と言います。「日本はエバ国で、韓国はアダム国。最初に木の実を取って食べアダムにわたしたエバは罪深く穢れているので、贖罪のために、アダム国に貢物をしなければならない・・・」というのが統一協会の教義です。A先生は「私が生涯かけて研究し大切にしてきた旧約聖書がとんでもないことに利用されている!」と憤慨し、破壊的カルト問題に取り組むことになっていった、と伺いました。
 
 A先生は、「どんな人でも、タイミングさえ合ってしまえば、破壊的カルトに取り込まれる」と言います。路上で「手相を見させてください」と語り掛け、「う~ん、あなたは今、転換期ですね」と言うのが、古典的な勧誘手法です。それが破壊的カルトの手法だと知っていればひっかかりませんし、100人手相を見てもらったら99人は「何言ってるんだ」とか「ああ、そうですか」ですむかもしれませんが、たまたま人生に迷っているタイミングでそう言われると「すごい!やっぱりそうなんだ!なぜこの人はわかったんだろう?」と、関心を引き寄せられていく…そこからだんだん取り込まれ、情報を遮断したり操作されたりした形での「マインドコントロール」を受けていくというのです。

 A先生の講演で最も印象的だったが「途上に耐える」という言葉です。現状を穢れたもの、悪しきものとして否定し、恐怖感を植え込み、「でも、こうすれば悪循環から抜け出せる。家族みんな幸せになれる」という形で「わかりやすい答え」を提示するカルト的手法にあらがうには、先行きの見えない社会や自分の人生であっても、結論なきままに「途上に耐える力」が必要だ、というのです。

 「途上に耐える」という言葉に感銘を受け、また、道を示された思いがしました。しかし一方で、「そうは言っても、じゃあどうすればいいの?」という疑問を持ったことも覚えています。A先生にその質問をする機会を逸したまま現在に至っていますが、今では、途上に耐える生き方とは、「祈りを手放さずに生きる」ということなのではないか、そう思っているのです。

 「祈ればなんでも解決する」ということを言いたいのではありません。また、「苦しみの中で祈っても、神は沈黙したままだった」という悲痛な思いは、誰もが経験するところです。けれども「もう祈るほかない」としか言いようのない状況で、叫びのように生まれてくる祈りは、それでも希望を手放さず、苦しい現実に踏みとどまり続けることを支える力なのではないでしょうか。

 また、私たちは苦しい時だけに祈るのではありません。私たちが捧げる「感謝の祈り」は、究極的には「今、ここにあること。今、生かされていることへの感謝」です。破壊的カルトのマインドコントロールだけでなく、美容や健康業界、はたまた教育の世界にまで、わたしたちの社会には「ダメな今を脱してよりよい未来へ」との掛け声にあふれていますが、現状の否定や自己憎悪から未来を目指すのではなく、存在の肯定・命への祝福こそが、本当の意味での「まだ見ぬ未来=よりよい未来」を創り出す土台となっていくのではないでしょうか。

 どんな人生も、絶えず「途上」であり続けるのは宿命です。また、過去は現在の積み重ねであると同時に、未来もまた現在の積み重ねによって形づくられていきます。すべては「今」からはじまるのです。祈りと共に生き、今を生きる事、途上に耐えることを大切に歩んでいきたい、と願っています。

07/10/2022

「宗教と人権」
    新潟教会牧師 長倉望

 安倍晋三元首相が7月8日の選挙応援演説中に銃弾に倒れ死亡するという衝撃的な事件。犯人の母親が、破壊的カルト宗教の信者であり、その恨みによる犯行であったことから、政治とカルト宗教との関係・癒着について連日報道されています。今回の出来事を通して巷には「宗教はこわい!」という風潮もあるかもしれません。けれども、破壊的カルト問題に取り組む人たちが指摘する問題点は、「何を信じているのか」という点にではなく「何を行っているのか」という点に絞られているということに注目する必要があります。つまり「宗教」の問題ではなく「人権」の問題であり、「カルト化」というのは、宗教だけでなくあらゆる団体に潜む危険性なのです。(ただし宗教がカルト化しやすい体質を内包している点は十分注意が必要です)。

 カルト対策先進国であるフランスでは、公的機関が、要注意団体について「精神の不安定化」「法外な金銭的要求」「従来の環境からの断絶」「身体的完全性に対する攻撃」「子供の勧誘」「反社会的言説」「公序良俗の撹乱」「重大な法的紛争」「通常の経済回路からの逸脱」「公権力への侵入の企て」という10の項目を基準にチェックしているそうです。フランスの面白いところは「カルトとは何か」という定義すらない点です。「自由の国フランス」では「何を信じるのか」という思想信条の自由は保障されなければならない一方で、「何を行っているのか」という逸脱行為は、人の自由と人権を侵すものとして決して許さない、というスタンスが徹底しているのです。さらにフランスは、2001年に「反セクト(カルト)法」と呼ばれる「無知脆弱性不法利用罪」を成立させました。この法律は、信者となった人がたとえ「本人の意志で行った」かに見える献金や不法行為でも、破壊的カルトが相手の無知を利用してだまし、相手の弱さに付け込んで「マインドコントロール」した結果として理解し、破壊的カルト団体の犯罪性を問うことができる法的根拠となっています。

 「日本脱カルト協会」がこの法律を起草した国会議員の一人であるピカール氏を招いて、日本で講演会を行ったことがあるそうです。講演後の質疑応答で「日本にもこのような法律が必要だと思います。この法律を成立させるためにどれくらいの期間がかかったのですか。」との質問に返ってきた答えが「4世紀です」というものだったと聞きました。つまり、人権意識の芽生え、フランス革命とフランス人権宣言、そこから続く歴史的な営為の中で、絶えず「人権とは何か」ということを問い続け、「人権が守られる社会を実現していく努力」をし続けてきた、その延長線上にこの法律があるのだ、というのです。日本社会の人権意識が問われています。

 破壊的カルト問題の切なさは「加害者にさせられるという被害」を受ける点だと思っています。自分の大切な人を、善意から自分の属する破壊的カルトに引き込んでしまうのです。逆に言えば破壊的カルトから脱会することは、自分は被害者であるということを認識すると同時に自分の加害性を自覚してしまう、という複雑で悲しい出来事でもあります。一度受けたマインドコントロールからの解放がどれだけ大変なのかということも、友人を通して見続けてきました。命を傷つけ人生を食いものにする破壊的カルトの恐ろしさと、自分たちの所属する団体が陥ってしまうかもしれない「カルト性」について、自戒の念を込めて改めて思い巡らしています。

参考)東洋経済オンライン
「フランス『40年前の統一教会事件』が社会を変えた~日本とは大違い『カルト規制』の厳しい中身」〈https://onl.bz/b1jHdK1〉

新潟地区被災支援担当として、8月3日の記録的短時間大雨によって被災した村上周辺を訪問した報告です。--------8月7日(日)に被災支援担当のT牧師と神崎牧師、そして現地のI牧師の案内で、8月3日に新潟県を襲った「記録的短時間大雨」によっ...
09/08/2022

新潟地区被災支援担当として、8月3日の記録的短時間大雨によって被災した村上周辺を訪問した報告です。

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8月7日(日)に被災支援担当のT牧師と神崎牧師、そして現地のI牧師の案内で、8月3日に新潟県を襲った「記録的短時間大雨」によって被害を受けた村上周辺の地域を、特に高根集落を中心に問安しましたので、報告いたします。

日程と参加者は上記の通り、道程は以下の通りです。

【行程】村上教会礼拝出席→新潟教会員宅訪問(新潟教会員と懇談)→高根集落(村上いずみ園保育士と懇談)→東岸寺(野田尚道和尚と懇談)→坂町集落

【村上教会と認定こども園】村上教会とこども園の建物、教会員宅に大きな被害はありませんでした。(断水が続いている地域にある教会員のお宅もありましたが、幸い家に井戸が4か所もあり、近隣の方たちに水を自由に使ってもらっておられました)ただ、付属のこども園「村上いずみ園」の職員の方たちのお宅(3名、保育士、調理員、バス運転手)と園児のお宅(1名)が浸水被害を受けました。

【新潟教会員宅訪問】 笹川流れに通じる海沿いの道を通り、馬下にいらっしゃる新潟教会員宅を訪問しました。河川が近くにない場所でしたが、水害というよりは土砂崩れの心配から、集落一帯で、8月3日は近隣の小学校に避難して一晩を過ごしたとのこと。 また、今回の水害の特徴ですが、短時間に大量の雨が降ったために、河川の氾濫だけでなく、山の森林も水を受け止めきれず、山側からも鉄砲水のように水が襲ってきたとのこと。馬下の海岸道路では、山からの洪水を受けて、海に面した道路わきの防波堤が、海側に剥がれ落ちて崩落しているのを目撃しました。(※写真あり)(他の地域でも同様に山からの洪水被害の話を伺うこととなりました。)

【高根集落】 役員会を終えたI牧師と合流し、被害を受けたこども園職員のうちの2名の方がお住まいの、村上市中心部から20キロほど北東の山間部にある「高根集落」を訪問しました。メディアなどでは荒川の氾濫が取り上げられる一方、山間部の朝日地区は注目されていないものの、高根集落では断水が続き復旧のめどが立たない、また、(マスコミなどで注目されている)荒川河口の坂町駅周辺には社協のボランティアが入り始めたが、高根集落はかなり山間にあるために村上市のボランティアがあてにできず、集落独自でボランティアセンターを開設している、との話を受けての訪問でした。

 高根集落でもやはり、高根川の氾濫と山からの水による被害があったとのこと。床上浸水している家からは、畳や荷物が運び出され積み上げられていました。また、もうこの集落に住んでいない空き家も、集落の人たちが協力して畳や濡れた家具等が運び出されていました。(※写真あり)

  村上いずみ園の保育士さんのお宅に10リットルの水を10袋お届けしました(「大洋盛」という日本酒で有名な大洋酒造が仕込みのために使っている水が普段から無料で給水できるようになっているため、その仕込み水をお持ちできました)。生活用水としては山から水が常時流れ出る貯水マスのようなものがお宅のすぐわきにありましたが、飲用には適さないので、断水で困っているとのこと。役場(実は、行政の役場ではなく、地域の公民館)に給水車が来るものの、独り暮らしのお年寄りの方たちにとっては、そこから自宅に水を運び、家に上げるのも困難だ、とのこと。お渡しした水については「この水、近所の高齢の方のお宅や、役場にもっていって、みなさんにもお分けしていいですか?」と喜びと共にご提案くださいました。(※写真あり)

集落で立ち上げたボランティアセンターをお尋ねして、センター長の方のお話を伺ったところによると、このあたり一帯は高根川の伏流水をくみ上げて山の上にあるタンクに上げ、そこから各家庭に水道水として配給しているが、高根川の氾濫により吸水施設が破壊されてしまい、断水が起こっている。施設復旧については、数か月先になる恐れもある、とのことでした。お話を伺った後、わざわざ破壊された吸水施設までご案内くださいました。施設どころか、川岸の形がかわるくらいごっそり削られていました。(※写真あり)

 また、このボランティアセンターは、土日祝日のみ9時~16時に働きを限定しているとのこと。今の懸念は、側溝などあらゆるところが泥で埋まっているため、また雨が降ったときに、水をはけることができず洪水状態が再現することだ、とのことで、被害を受けた家の片づけの他、集落の側溝などの泥かきをしているとのことでした。(※写真あり)

 さらに、被害としては、沢から水を引いていた、集落の周囲の水田(棚田)への水の供給が途絶えてしまっているとのこと。稲にとって一番水が必要な時期なだけに、大変心配されていました。

 ただ、先ほどの「このお水を分けてもいいですか?」との保育士さんの発言が象徴するように、集落自体が、高齢者だけでなく、若い人たち、小さな子供たちもおり、お互いに協力し合って、生き生きしている感じが姿が印象的でした。 自分たちで観光用PRサイトも運営しており、この集落に対する愛着を感じられます。( https://takane-net.jp/ )。このサイトを見て、「自分たちでボランティアセンターを立ち上げるのも、納得!」とそのバイタリティに感動しました。実際に、I牧師もツイッターを通して高根集落のボランティアセンターの働きを知ったとのこと。I牧師は8月11日(休)にボランティアに応募されています。
 
余談ですが、災害時は突然すごい働きができるようになるわけではなく、普段からの繋がりが、災害時に力を発揮するのだということを、被災支援を通してずっと教えられ、それゆえに新潟地区の交わりを深めていきたいと願ってきましたが、まさに高根集落は普段から地域の支え合いがあり、今回もその力が発揮されているのだと感じました。

【東岸寺】 高根集落を後にし、荒川氾濫の被害の大きかった坂町にある東岸寺をお尋ねしました。野田尚道和尚とは、新潟キリスト者平和の会で、以前からつながりがあったためです。 東岸寺のある地域一帯も、床上浸水、床下浸水、車の水没などの被害を受けました。東岸寺は床下浸水ですんだとのこと。けれども車3台が水没被害を受けておられます。野田和尚も快くお話を聞かせてくださり、8月3日はお寺の前が池のようになっていた写真や、水が引いた後、池の鯉が側溝で困っているのを子どもたちが発見し、救出した写真などを見せてくださいました。(※写真あり) また、東岸寺よりも山側にある檀家さんのお宅がひどい被害を受けたのは、山からの洪水被害だったとのこと(先にも書きましたが今回の水害の特徴だと思います)。河川氾濫の水害を避けるために低地から山側に引っ越されたのに、山からの洪水の被害にあわれたことに心痛めておられました。

【坂町駅周辺】 時間の関係で、坂町駅周辺は、車で通過して様子を拝見するだけとなりましたが、いままで観てきた水害地域(水海道や愛媛、広島など)を思い起こさせる光景が広がっていました。この地域へは社協のボランティアが入っていくようです。(※写真あり)

【瀬波温泉】 帰りに温泉に立ち寄りましたが、被災地域、断水地域から、バスが仕立てられて(自家用車が水没された方も多かったためと思われます)、大勢の方たちが温泉に入りに来られていました。村上が温泉地でよかったなと思いました。

【同行したT牧師の印象に残ったこと】
以下、T先生の感想です。
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「水源の復旧の遅れが地域の復旧を長引かせている。そうでなければここまで大変ではなかった」とのボランティアセンター長の言葉。
→その前に水を配ったり山からの水が流れ溜められている様子を見てきただけに、飲料水にはならなくとも水が涌き出ていたり飲料水としての水が届いたりしてもやはりライフラインの重要性を改めて痛感させられた。それだけに復旧の目処が立てば少しは安心出来るだろうがそれが立たないことは大きな精神的負担の1つだろうと思わずにはいられない。そして被災支援として関わる者のちっぽけさを改めて痛感させられる。それでも覚えている人がいるとのメッセージだけは何とか伝えることが出来れば…そんなことを思った。
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【今後のことについて】
 以上が報告となります。今回の水害の支援については、村上市や高根集落が募集しているボランティアに有志が応募する形が望ましいと思います。
 現地のボランティアに関する情報については、村上教会I牧師にお問い合わせください。
 また、I牧師と連絡を取り合いながら、村上いずみこども園の職員の方を通じて、高根集落の被災状況の変化を把握し、その時に応じた必要な支援のリクエストがあれば、それに応え支えていきたいと思います。

トップ - 新潟県村上市高根集落のメディアサイト

18/06/2022

新潟教会報448号(2022年6月19日)巻頭言
「死者の声を聴く」
牧師 長倉望

今から20年以上前、連れ合いのご家族に、結婚のご挨拶に行ったときのことを印象深く覚えています。大分の片田舎にある連れ合いの実家は、「親せき共同体」が、当時まだ色濃く残っている感じで、生まれた時から牧師館暮らしの私にとっては、まるで「世界ウル〇ン滞在記」のような異文化体験でした。中でも驚いたのは、“仏壇”です。

仏教のご家庭では“あたりまえ”のことかもしれませんが、連れ合いの母が毎日仏壇に小さなご飯をお供えするのはもちろんのこと、近所に住む親せきの方が、連れ合いの実家にくると、まず初めに、仏壇に手を合わせに向かい、亡くなられた方たちにご挨拶を済ませた後、連れ合いの母と談笑を始めるのです。また、別な親せきのお宅にご挨拶に伺った際、わたしが座る場所を間違えたのですが、「仏壇にお尻を向けて座るもんじゃない」と、ご指導いただいたこともありました。それらのことを通して、非常にリアルに感じたのが、「亡くなられた方たちも、この親せき共同体の“現役メンバー”なんだ」ということだったのです。

理学部卒業で牧師という、ちょっと変わった経歴からか、数年前から某大学の応用生命学部で生命倫理の講義の担当をさせて頂いています。生命倫理とは、遺伝子レベルでさまざまな操作ができるほど高度に発達した科学技術と、科学至上主義が浸透してきた社会の中で、放っておけばどんどん“モノ”のように扱われていってしまう命の尊厳や命の意味を問い直し、それらを取り戻していく営みだと感じています。自分自身が学びながら、講義の準備をしているのですが、その中で気づかされたのは、“倫理観”というのは「死者の声を聴く」ところから生まれるのであって、それゆえ自然科学そのものには、そもそも倫理観は内在していないのだ、ということです。

そのことに気づかされたのは、批評家の若松英輔さんが『死者との対話』という本の中で「死者と科学」について触れられた、次の文章を読んだからです。

「死者をありありと感じる一群の人々がいて、彼らがそれを真摯に語ったとしても、それにふさわしい態度で受け入れることが少ない、それが現代です。現代が死者を封じ込めてきたのは、科学がその存在を証明できないからです。しかし、よく考えてみると、科学的証明が可能か、という問い自体が間違っていることに気が付きます。科学はもともと『死』を境に、その線を越えた領域を自らの守備範囲にしないと宣言している、ある一つの考え方に過ぎません。科学が不完全であることは、日々、進歩していることからも明らかです。完全なものは進歩しません。ですから科学が死者の存在を証明できないということは、それが存在しないこととは全く関係がありません。」(『死者との対話』p.24)。

科学技術発展の歴史は、戦争兵器の進歩の歴史と表裏一体です。原爆死没者慰霊碑に刻まれた「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」という言葉が象徴的ですが、傷つけられた命の声、亡くなられた方たちの無念の声が、平和を求め命の尊厳を守ろうとする倫理観の源泉であり、生命倫理を生み出した土壌です。一方、自然科学は『死者の声』を決して扱わない/扱えないがゆえに、自然科学に没頭し自然科学的探究心だけで突き進む歩みには、倫理観が芽生えようがないのだ、ということに気づかされたのです。

新潟教会にいらしたMさんが作詞された賛美歌「花彩る春を」(讃美歌21-385番)が鮮やかに描き出すように、教会もまた天に召された人たちの眼差しに励まされて歩む共同体です。そのことの豊かさと大切さを、改めて感じています。

イースターおめでとうございます。
17/04/2022

イースターおめでとうございます。

24/12/2021

2021 聖書朗読とオルガン演奏による
クリスマスイブ・キャンドルサービス

前奏  Lani Smith“O Come, O Come, Emmanuel”
--------------------------《預 言》-----

聖書  イザヤ書60章1-3節(栄光と救いの到来)
賛美  229「いま来たりませ」(1,3,5節)
     [アドベントクランツ点火]
聖書  イザヤ書55章8-11節(御言葉の力)
オルガン演奏  J. S. Bach“Lobt Gott, ihr Christen allzugleich”BWV732

--------------------------《降 誕》-----

聖書  マタイによる福音書1章18-25節(イエスの誕生)
オルガン演奏  J. S. Bach “Vom Himmel hoch, da komm ich her” BWV606
聖書  マタイによる福音書2章1-6節(東方の占星術師たち)
オルガン演奏  José Lidón“Cuatro Piezas para la Misa, Elevación”  

聖書  マタイによる福音書2章7-12節(星に導かれて)
オルガン演奏  Marcel Dupré “In dulci jubilo”

聖書  ヨハネによる福音書1章14,16-18節(言が肉となって)
オルガン演奏  José Lidón“Seis Piezas o Sonatas sueltas, Largo – Yntento”

----------------------《メッセージ》----
説教               長倉望牧師
黙祷
賛美   271「喜びはむねに」(1,3,4節)

----------------------《奉献/派遣》----

聖書   ヨハネの手紙(一)4章7-12節(神の愛がわたしたちの内に)
献金   J.Brahms “Es ist ein Ros’ entsprungen”

賛美   259「いそぎ来たれ、主にある民」(1,4節)
祝福  
後奏  J.Pachelbel “Vom Himmel hoch da komm ich her”

住所

中央区営所通2番町709/2
Niigata-shi, Niigata
951-8114

営業時間

月曜日 09:30 - 16:00
火曜日 09:30 - 16:00
水曜日 09:30 - 16:00
木曜日 09:30 - 16:00
金曜日 09:30 - 16:00
土曜日 09:30 - 16:00
日曜日 09:30 - 16:00

電話番号

+81252223420

ウェブサイト

アラート

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