01/02/2026
迷惑をかけない、という安心
「迷惑をかけたくないんです。」
最近、この言葉をよく耳にする。
葬儀の相談の場でも、日常の会話の中でも、まるで合言葉のように。
とてもやさしく、きれいで、
相手を思っているように聞こえる言葉だ。
けれど私は、そのたびに、
ほんの少し胸の奥がざわつく。
本当に、人は迷惑をかけずに生きられるのだろうか。
人は生まれた瞬間から、
誰かの手を借りて生きている。
抱かれ、食べさせてもらい、
待ってもらい、許されて、
やっと一人前になる。
それなのに、いつの間にか私たちは、
「人に頼らないこと」を美徳のように覚えてしまった。
迷惑をかけない。
空気を乱さない。
それは立派に見えるけれど、
実はとても静かな孤独でもある。
葬儀の場でも同じことが起きている。
「家族だけでいいです」
「簡単で構いません」
「誰にも知らせなくて」
理由を聞くと、たいてい返ってくるのは、
「迷惑をかけたくないから」という言葉だ。
けれど、葬儀とは本来、
人に迷惑をかけるための時間だったのではないかと思う。
仕事を止めてもらい、
足を運んでもらい、
涙を見せ、
別れを分かち合う。
迷惑をかけることで、
人は「ひとりではない」と確かめてきた。
もし迷惑をかけないことだけを選び続けたら、
死は静かになり、
関係は薄くなり、
記憶は軽くなる。
きれいだけれど、少し切ない。
「迷惑をかけない」は、
やさしさの顔をして、
実は関係を閉じる言葉でもある。
本当のやさしさは、
迷惑をかけないことではなく、
迷惑を分け合うことなのかもしれない。
泣いてもいい。
頼ってもいい。
集まってもいいじゃない。
人生の終わりくらい、
少しだけ人に迷惑をかけていく。
それは弱さではなく
人としてとても自然な姿なのだと思う
それは弱さではなく、
人としてとても自然な姿なのだと思う。