The Cloud Church

The Cloud Church 2021年4月からスタートした宮崎県小林市にあるプロテスタントのキリスト教会です。(ホームページもあります)心から歓迎します。

2026.5.24ペンテコステ礼拝メッセージ要約「聖霊の力」高森基信使徒の働き2章1~4節イエス様が天に上げられてから弟子たちは迫害を恐れて生活していました。復活を見て、天にあげられたイエス様を見ても心は弱っていたのです。しかし、彼らの良か...
31/05/2026

2026.5.24ペンテコステ礼拝メッセージ要約
「聖霊の力」高森基信
使徒の働き2章1~4節

イエス様が天に上げられてから弟子たちは迫害を恐れて生活していました。復活を見て、天にあげられたイエス様を見ても心は弱っていたのです。しかし、彼らの良かったところは、イエス様の約束を守り、エルサレムに留まっていたことでした(使1:4)。そして、集まることを止めずに協力して生活していたのです。そして、時が来て五旬節の日に、集まっていた者の上に分かれた舌の様な炎がとどまり、聖霊に満たされました。

○すべての人に注がれる(ヨエル2:28・29)
この現象は預言者ヨエルを通して語られていたことでした。
「わたしはすべての人にわたしの霊を注ぐ。」神様の霊は、老若男女、身分の違いも問わず注がれるというのです。この預言を聞いた当時のユダヤ人は信じることができなかったはずです。私たちも自分の弱さを見て「こんな何も持たない者に」などと卑下することがあるでしょう。しかし、神の約束は変わることはありません。聖書に記されているのならば自分が何者であろうが、神様の約束は成就するのです。

○弱きところが変えられる
聖霊の満たしと同時に、弟子たちが他国の言葉で福音を語りだしたことに私たちは驚きます。口は私たちが一番制御するべき器官ですが、それを制御することは難しく、不平不満をこぼしたり、人を傷つけたりするものです。しかし、聖霊に満たされる時に神様の霊がこの唇を支配してくださり、語るべき言葉を語らせてくださいます。人の弱さが現れる器官を神様の栄光を現わす尊い物へと変えて下さるのです。
また、弱かった弟子たちがこの時から大胆に語り出し、主の御業を行う者へとなりました。弱さを感じるならば聖霊の満たしを求めていきましょう。
大宣教命令(使1:8)も聖霊の働きなしには実行することはできません。このペンテコステの日をいつも思い返し、主のすべての人に注がれている聖霊の力を頂いて遣わされていきましょう。

※本日(5/31)礼拝後、教会員の方々と草刈り
をしました。教会員のご主人も駆けつけてくださり、あっと言う間に綺麗になりました。汗をかいた後の皆さんで食べるお昼ごはんは格別に美味しかったです。感謝

2026.5.10母の日礼拝要約メッセージ「母に宿った信仰」髙森基信第二テモテの手紙 1章5節保育士、看護師、料理人、カウンセラー、教師、マネージャー、清掃スタッフなどなどの仕事をこなす人がいます。そして、定休日もなく病気の時も気軽に休めま...
17/05/2026

2026.5.10母の日礼拝要約メッセージ
「母に宿った信仰」髙森基信
第二テモテの手紙 1章5節

保育士、看護師、料理人、カウンセラー、教師、マネージャー、清掃スタッフなどなどの仕事をこなす人がいます。そして、定休日もなく病気の時も気軽に休めません。この職業は母親です。アメリカの調査では計算すると年収1000~3000万円の仕事だというのですから驚きです。また、それを無償で提供していると思うと母の愛に感謝しかないでしょう。また、母にしかできない働きでもあります。父親にはこのような能力は備わっていません。実体験ですが、十月十日子どもを胎内に宿して来た母親と父親では愛情のスタート地点が格段に違うのです。ですから、父親は生まれた後に積極的に子育てに参加しない限り、愛情の成長はありません。
 ジョン・ウェスレーというメソジスト運動(信仰覚醒運動)の指導者の母スザンナは19人の子どもを育てました。あわただしい一日の中でゆっくり祈りの時間をとる余裕もありませんでしたが、台所で一人エプロンを捲し上げて頭に被り、祈る時間を持っていたそうです。その時は子ども達は「今はお母さんが神様と向き合っている時間だ」と待っていたそうです。その姿を見ていたジョンは偉大な指導者となり、弟のチャールズは千曲超える讃美歌を残しました。
 テモテも祖母や母の信仰者としての姿を見て育ちました。私自身も母の信仰の姿勢を見て育ってきた者です。母親の役割は重要です。現代は、母親の働きが軽く扱われる時代かもしれません。しかし聖書は、家庭の中にある信仰の姿が、次の世代を形作ることを教えています。
 母親の祈りは決して無駄にはなりません。祈る姿、神様に信頼する姿勢、赦し愛する心を子どもたちは学んでいくのです。
そして、母は神様の慰め主なる性質を現わしています(イザヤ66:13)。多くの時間を子どもと過ごし、見守る母親は信仰の継承に大切な役割を果たすことができるし、母親にしかできないことがあるのです。
私たちはその働きに感謝し、力が与えられるように祈っていきましょう。

※故高森久美子牧師は信仰と祈りと愛の人、素晴らしい母であり女性でした。天に凱旋し20年経ちますが、久美子師の祈りの実が次世代に豊かに継がれていることを感謝し、主をほめたたえます!

2026.5.3礼拝メッセージ要約 「何にも染まらない信仰」髙森基信ダニエル書1章1~21節ダニエルたちは、バビロン捕囚という大変な時代の中で信仰を守り通しました。祖国を失って、異教の文化に囲まれる中で、彼らは神様への忠実を失いませんでした...
10/05/2026

2026.5.3礼拝メッセージ要約 
「何にも染まらない信仰」髙森基信
ダニエル書1章1~21節

ダニエルたちは、バビロン捕囚という大変な時代の中で信仰を守り通しました。祖国を失って、異教の文化に囲まれる中で、彼らは神様への忠実を失いませんでした。その姿勢は、現代を生きる私たちにとっても模範となります。
彼らは王の食事や教育に対して、「身を汚すまいと決心し」(ダニエル1:8)、王ではなく神様に従う道を選びました。どんなに環境が変わっても、信仰の軸を守ることの大切さがここに示されています。パウロも「この世と調子を合わせてはいけません」(ローマ12:2)と語り、私たちに同じ姿勢を求めています。
特に目を留めていきたいことは、ダニエルは誠実な歩みの中で神様の恵みを受けたということです。彼は信仰を守るだけでなく、日々の務めにも忠実であり、その結果、異邦の王たちからも信頼される存在となりました。「彼のうちにすぐれた霊が宿っていた」(ダニエル6:3)とあるように、その生き方そのものが証しとなっていたのです。イエスも「あなたがたの光を人々の前で輝かせなさい」(マタイ5:16)と教えられました。信仰は生活の中で現れ、周囲に影響を与えるものです。
その力の源は「祈り」でした。祈ることが禁じられる状況においても、彼は「一日に三度、祈り、神に感謝していた」(ダニエル6:10)のです。問題が起こった時だけではなく、日常で神様と交わり続けていたからこそ、試練の中でも揺ぐことがありませんでした。新約聖書も「何も思い煩わないで…神の平安が心と思いを守る」(ピリピ4:6-7)と語ります。私たちが聖霊によって祈る時に、祈りは問題を取り去るだけでなく、私たちの力となるのです。
ダニエルの歩みは、特別な人の物語ではなく、日々神を選び続ける信仰の姿です。私たちもまた、それぞれの置かれた場所で、祈りをもって歩むとき、聖霊様が力を与えて下さり神の栄光が現すことができるのです。

※5/10母の日礼拝🌼
いつもたくさんの愛とお祈りを感謝します。
礼拝の中では、お母さんたちの祝福の祈りを持ちました。
母を与えてくださった恵み深い神に感謝します。ピンク色のカーネーションの花言葉は“感謝”です🌷

2026.4.19礼拝メッセージ要約「全てに働かれる」髙森基信ローマ人への手紙8章28節「神を愛する人たち、すなわち、神のご計画に従って召された人たちのために、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。」(ローマ人への...
26/04/2026

2026.4.19礼拝メッセージ要約
「全てに働かれる」髙森基信
ローマ人への手紙8章28節

「神を愛する人たち、すなわち、神のご計画に従って召された人たちのために、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。」(ローマ人への手紙8章28節)
私たちの人生には、「なぜこの出来事が起こるのか分からない」と感じる時があります。祈っても答えが見えず、努力しても実を結ばない。むしろ状況が悪くなるようにさえ思えることもあります。そのような時、私たちは神のご計画が見えなくなり、不安や疑問に心を支配されてしまいます。
ルツ記に登場するナオミなどもそうです。彼女の名前は本来「喜び」を意味しますが、異国の地で夫と息子たちを失った彼女は、自分を「マラ(苦しみ)」と呼んでほしいと語りました。それほど彼女の現実はつらく、祝福を感じることのできない状況にあったのです。
しかしその背後で、神のご計画は静かに進んでいました。異邦人の嫁ルツが彼女に従いついていきます。ルツはただ生きるために落ち穂を拾っていましたが、その一歩一歩が導かれ、ボアズとの出会いへとつながります。やがて結婚し、オベデが生まれました。
その背景にはナオミがモアブの地においても真の神を礼拝し、その背中をルツが見ていたことや、実生活において信仰者として生きていたという要因もあるかもしれません。ルツの行動も実生活の中において忠実に仕えていた姿が伺えます。神様を愛する人の行動をとっていたのです。そして、彼女たちの系図が救い主イエス・キリストへと続いていきます。ナオミが「苦しみ」としか思えなかった人生は、神の大きな救いの計画の中に確かに組み込まれていたのです。
同じように、エステルもまた民族を滅びから救うという神の目的がありました。「この時のためではないでしょうか」という言葉の通り、彼女の人生は決して偶然ではありませんでした。
新約聖書に、生まれつき目の見えない人の出来事があります。人々はその苦しみを罪の結果と考えましたが、イエス様は「神のわざが現れるため」であると語られました。使徒パウロは、投獄という不自由の中に置かれました。しかし彼の書簡は多くの人に読まれ、現代においても福音の前進につながっています。人間の目には妨げに見えることも、神の視点では前進の手段となるのです。
そして何よりも、イエス・キリストの十字架こそ、人知れぬ神の計画の最も大きな現れです。弟子たちには絶望と敗北にしか見えなかった出来事が、復活によって救いの完成であったことが明らかになりました。私たちは今、「途中」を生きているので、そのすべてを理解することはできません。しかし神は、確実にご計画を進めておられるのです。その時まで、見えなくとも信じて何事にも忠実に歩む信仰が、私たちに求められているのです。

※4/25土曜日第一回レディースタイムを持ちました。賛美し、みことばから共に分かち合い、祝福された時でした✨
今後も定期的に開催していきます。

2026.4.12礼拝メッセージ要約「触れることさえできれば」髙森基信マルコ5章25~34節12年も長血を患った女性の物語は、単なる癒しの奇跡ではなく、私たちの救いそのものを映し出しています。彼女は十二年間苦しみ、「汚れた者」とされ、人との...
19/04/2026

2026.4.12礼拝メッセージ要約
「触れることさえできれば」髙森基信
マルコ5章25~34節

12年も長血を患った女性の物語は、単なる癒しの奇跡ではなく、私たちの救いそのものを映し出しています。彼女は十二年間苦しみ、「汚れた者」とされ、人との交わりからも礼拝からも遠ざけられていました。それはまさに、罪によって神から離れていた私たちの姿です。聖書は「すべての人は罪を犯した」(ローマ3章23節)と語り、誰一人例外なく神の前に立てない存在であることを示しています。
しかし彼女は、「この方に触れれば救われる」と信じ、恐れながらもイエス様に近づきました。この行動には、沢山の医者に頼った結果、12年もの苦しみの中にあり、イエス様の噂を聞いた彼女の中に、「この方にしか救いはない。」という最後の望みがありました。それこそが信仰だったのです。衣の裾に触れられたイエス様は、力が出ていくのを感じました。許可なく触った彼女をイエス様は責めることなく、「娘よ、あなたの信仰があなたを救った」と語られました。ここに福音の核心があります。救いは人の努力によってではなく、イエス様への絶対的な信頼によって与えられるのです。
さらに主は「安心して行きなさい」と言われました。彼女は単に病が癒されただけでなく、「娘」と呼ばれ、神との関係の回復へと導かれました。これは私たちにも与えられている恵みなのです。「キリストにあるなら、その人は新しく造られた者です」(第二コリント5章17節)。私たちはもはや罪に定められる者ではなく、神の子とされたのです。
かつては神に近づけない存在であった私たちが、今は大胆に神のもとに出ることが許されています。この救いは決して当たり前ではありません。長血の女性が感じた喜びと平安は、今も信じる者に与えられています。
「主にあっていつも喜びなさい」(ピリピ4章4節)。
この恵みを覚え、救われている喜びの中を歩んでいきましょう。

※当教会は、イエス・キリスト福音の群れに属しています。4/13〜15宮城県大衡村にある通称ゴスペルタウンにて、イエス・キリスト福音の群れ教職者会議・拡大宣教学院始業礼拝が行われ、牧師夫妻が出席しました。
福音の群れ・拡大宣教学院の働きの祝福、今後の導きのために祈ります。

2026.3.29礼拝メッセージ要約「目を覚まして祈る」髙森基信マタイの福音書26章36~45節レント最週を迎え、私たちは主イエス・キリストの十字架を覚えつつ、自分自身の信仰の現実にも向き合わされます。祈ろうとしても祈れない時、御言葉を開こ...
05/04/2026

2026.3.29礼拝メッセージ要約
「目を覚まして祈る」髙森基信
マタイの福音書26章36~45節

レント最週を迎え、私たちは主イエス・キリストの十字架を覚えつつ、自分自身の信仰の現実にも向き合わされます。祈ろうとしても祈れない時、御言葉を開こうと思っても心が向かない。そのような経験はないでしょうか。もしかすると重荷や疲れの現れなのかもしれません。
ゲツセマネの園において、主が苦しみの中で祈られていたとき、弟子たちは眠り込んでしまいました。ルカの福音書は、彼らが「悲しみの果てに眠り込んでしまった」と記しています(ルカ22:45)。主はその姿を責めるのではなく、「心は燃えていても肉体は弱いのです」(マタイ26:41)と言われました。ここに、私たちの弱さを知っておられる主のまなざしがあります。聖書は、「御霊ご自身が、言いようのないうめきをもって、とりなしてくださる」(ローマ8:26)と教えます。祈れないときであっても、聖霊様が私たちを助けて祈らせてくださるのです。肉体に縛られている私たちは聖霊様の助けなしには祈り続けることは不可能です。
イエス様はただ一人祈り続けられました。イエス様の祈りは「わたしの願いではなく、御心のままに」(マタイ26:39)と、どんなに困難であろうとも、神様の計画に従うという信仰でした。
主が「目を覚まして祈っていなさい」と言われたのは、完全な祈りを求めているのではなく、主から離れないようにという招きであり、どんな時にも神様から目を離さないようにとの命令です。たとえ言葉が出なくても、忍耐の限りを尽くし、聖霊様に助けを求めて祈りの姿勢を続けること、主の教えに耳を傾けるという歩みが大切なのです。
レント最週のこの時、私たちは自分の弱さを隠すのではなく、そのまま主のもとに持っていきましょう。私たちのために祈りとりなし続けてくださる主イエス・キリストを見上げつつ、主に信頼し歩んでいきましょう。

2026.3.22礼拝メッセージ要約 髙森基信「神を恐れよ」伝道者の書12章13~14節「結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。」(伝道者の書12章13節)現代の信仰の姿...
28/03/2026

2026.3.22礼拝メッセージ要約 髙森基信
「神を恐れよ」伝道者の書12章13~14節

「結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。」(伝道者の書12章13節)
現代の信仰の姿は、オレンジジュースにたとえることができます。果汁100%は、神の言葉に立ち、イエス・キリストを救い主として信じる純粋な福音です。しかし時代を経る中で、人の考えや価値観が混ざり、果汁50%、果汁0%のオレンジ風味ジュース、そして、信仰は少しずつ薄められ世界はオレンジの存在すら否定する「神を前提としない」考え方を推し進めようとしています。
しかし、この流れは新しいものではありません。聖書のはじめから人間たちは「神のようになろう」(サタンの誘惑 創3:5、バベルの塔 創11:4)とする誘惑に直面してきました。現代では科学技術やAIの発展により、人間の可能性が大きく語られています。神を恐れる心を失うとき、人は方向を見失ってしまいます。
実際、情報過多やデジタル依存によって、集中力や思考力の低下、孤独や不安の増加が指摘され、外面的には進歩しているようでいて、内面はむしろ弱さを抱えているのが現代の姿です。サタンは私たちの信仰を弱らせようと策を練って来ているのです。
だから、今こそ私たちは「神の武具」(エペソ6:10~18)を身に着ける必要があります。神の言葉に立ち、キリストを信頼し、聖霊の導きに従うことです。人が神になろうとする時代にあって、私たちは神を神として恐れ、従う者として歩み続けたいのです。
どれほど時代が変わっても、「神を恐れよ。神の命令を守れ。」これこそが人間にとってすべてです。今一度、純粋な福音に立ち返りましょう。

https://thecloudchurchjp.com/ようやくホームページができました。
22/03/2026

https://thecloudchurchjp.com/

ようやくホームページができました。

宮崎県小林市にあるプロテスタントのキリスト教会

2026.2.20(金)当教会牧師の実兄髙森恒喜(こうき)牧師(日南チャペル)をお迎えし、特別集会が行われました。お馴染みの牧師の次男によるミニコンサートもあり、みなさんの心に響くみことばと賛美が捧げられました。はじめて教会に来られた方、は...
22/02/2026

2026.2.20(金)
当教会牧師の実兄髙森恒喜(こうき)牧師(日南チャペル)をお迎えし、特別集会が行われました。お馴染みの牧師の次男によるミニコンサートもあり、みなさんの心に響くみことばと賛美が捧げられました。

はじめて教会に来られた方、はじめて聖書の話しを聞く方がいる中で、ストレートに福音が語られました。福音の種が心に留まり、実を結びますように祈ります。

当教会はますますこの福音宣教の働きを、この地域に根ざし、前進していきたいと祈らされました。
派手な豪華な集会は出来ませんが、この小さな一つ一つの働きさえも主の憐れみと助けの中で祝福してくださることを感謝します。

2026.2.15礼拝メッセージ要約「目を離さない」高森基信マタイの福音書14章22~34節本箇所は、主イエスが湖の上を歩かれ、ペテロもまた水の上を歩いた出来事を記しています。嵐のただ中で起こったこの出来事は、信仰の本質を私たちに教えていま...
22/02/2026

2026.2.15礼拝メッセージ要約
「目を離さない」高森基信
マタイの福音書14章22~34節

本箇所は、主イエスが湖の上を歩かれ、ペテロもまた水の上を歩いた出来事を記しています。嵐のただ中で起こったこの出来事は、信仰の本質を私たちに教えています。福音書を見ると、ペテロは情熱的で大胆ですが、しばしば思慮に欠ける面もあります。しかし主は、その未熟さをも含めて用いられました。この場面でも、彼はイエス以外で初めて水の上を歩いた人物となりましたが、途中で沈みかけます。けれどもその一連の姿勢の中に、私たちが主に向き合う上で大切な信仰の態度が示されています。

○ 神の御業は人の理解を超える
弟子たちは湖上で強い向かい風に苦しみ、夜通し漕ぎ続けても前に進めませんでした。ガリラヤ湖に慣れた漁師であったペテロにとっても手に負えない状況だったことでしょう。そのとき、主は湖の上を歩いて彼らのもとへ来られました。極度の疲労と恐怖の中にあった弟子たちは、それを幽霊だと思って怯えます。
 しかし主は、「しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはない」(14:27)と語られました。神のなさることは、私たちの経験や常識を超えます。理解できなくても、まず主ご自身の言葉に耳を傾けることが信仰の出発点です。

○ 主の言葉に従って踏み出す
ペテロは「主よ。あなたでしたら、私に命じて、水の上を歩いてあなたのところに行かせてください」(14:28)と願いました。これは無謀な挑戦ではなく、主の言葉に基づいて行動したいという姿勢でした。主が「来なさい」と言われたとき、ペテロは舟から出て水の上を歩きました。信仰とは、自分の確信や勢いではなく、主の御言葉に応答して一歩踏み出すことです。私たちの信仰生活も同じく、主の語りかけを求め、それに従う歩みであるべきです。

○ 主から目を離さない
ところがペテロは、風の強さを見て恐れ、沈みかけました(14:30)。嵐そのものが問題だったのではなく、主から目を離したことが恐れを生みました。しかし沈みながら彼はすぐに、「主よ、助けてください」と叫びます。主はただちに手を伸ばして彼をつかまれました(14:31)。信仰が揺らぐことがあっても、主に叫ぶ者を主は見捨てられません。

住所

Kobayashi-shi, Miyazaki

ウェブサイト

アラート

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