06/08/2026
2026年8月2日 8月第一主日礼拝
「ますます、いよいよ」
• さて、ヤコブと共に、おのおのその家族を伴って、エジプトへ行ったイスラエルの子らの名は次のとおりである。すなわちルベン、シメオン、レビ、ユダ、イッサカル、ゼブルン、ベニヤミン、ダン、ナフタリ、ガド、アセルであった。ヤコブの腰から出たものは、合わせて七十人。ヨセフはすでにエジプトにいた。そして、ヨセフは死に、兄弟たちも、その時代の人々もみな死んだ。けれどもイスラエルの子孫は多くの子を生み、ますますふえ、はなはだ強くなって、国に満ちるようになった。ここに、ヨセフのことを知らない新しい王が、エジプトに起った。彼はその民に言った、「見よ、イスラエルびとなるこの民は、われわれにとって、あまりにも多く、また強すぎる。さあ、われわれは、抜かりなく彼らを取り扱おう。彼らが多くなり、戦いの起るとき、敵に味方して、われわれと戦い、ついにこの国から逃げ去ることのないようにしよう」。そこでエジプトびとは彼らの上に監督をおき、重い労役をもって彼らを苦しめた。彼らはパロのために倉庫の町ピトムとラメセスを建てた。しかしイスラエルの人々が苦しめられるにしたがって、いよいよふえひろがるので、彼らはイスラエルの人々のゆえに恐れをなした。エジプトびとはイスラエルの人々をきびしく使い、つらい務をもってその生活を苦しめた。すなわち、しっくいこね、れんが作り、および田畑のあらゆる務に当らせたが、そのすべての労役はきびしかった。(出エジプト記第1章1~14節)
今日の聖書、名前があがっている人々は創世記につながっています。
出エジプト記を開くとき、心に留めたいのは名前。
出エジプト記はギリシャ語の書名。元々のヘブル語での書名は初めに。
出エジプト記の書名は「これらの名前」。名前の書となっています。
たまたま始めの一言が名前の書。
出エジプト記で神様の名前が初めて明らかにされます。
名前がいろいろ並んでいて「合わせて七十人」
注目したいのは「人」、人の数をあらわすときの「人」がついているわけではありません。
ヤコブの腰から出たものは、合わせて七十。ほとんどはこう言う風にあらわしています。
今日の「人」、意味をあらわすと「命」
ヤコブの腰から出たものは、合わせて七十の命。
70の命がそこにある。特別な表現です。
命の出来事が創世記からつながっています。
大きなつながりをおぼえるのは「ますます。いよいよ」「ふえる」「満ちる」
ここで私たちは創世記の伏線回収となります。
• 神はまた言われた、「地は生き物を種類にしたがっていだせ。家畜と、這うものと、地の獣とを種類にしたがっていだせ」。そのようになった。神は地の獣を種類にしたがい、家畜を種類にしたがい、また地に這うすべての物を種類にしたがって造られた。神は見て、良しとされた。神はまた言われた、「われわれのかたちに、われわれにかたどって人を造り、これに海の魚と、空の鳥と、家畜と、地のすべての獣と、地のすべての這うものとを治めさせよう」。神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。神は彼らを祝福して言われた、「生めよ、ふえよ、地に満ちよ、地を従わせよ。また海の魚と、空の鳥と、地に動くすべての生き物とを治めよ」。(創世記第1章24~28節)
ここでいよいよ、ますます、増し加えるがあります。
神様が命を造って下さるその場面。
「いよいよ、ますます、増し加える」
その伏線を今日、出エジプト記で回収しています。
神様の祝福が出エジプト記にもありました。
いよいよ、ますまし、増していく、増える、ひろがる。
天地創造の命のわざから始まっています。
そこに私たちが生かされています。
ここでは神様の祝福が逆転されています。
ここに、ヨセフのことを知らない新しい王が、エジプトに起った。
ここで天地創造の命の出来事にストップがかかりました。
この8節を境に辛さが。労役が、ますます増えていきます。
神様の祝福のますますが、苦しみのますますに変わっていきます。
創世記からのつながりが切れてしまった…
ヨセフとエジプトの関係の一コマ。
• ヨセフはパロに言った、「パロの夢は一つです。神がこれからしようとすることをパロに示されたのです。七頭の良い雌牛は七年です。七つの良い穂も七年で、夢は一つです。あとに続いて、上がってきた七頭のやせた醜い雌牛は七年で、東風に焼けた実の入らない七つの穂は七年のききんです。わたしがパロに申し上げたように、神がこれからしようとすることをパロに示されたのです。エジプト全国に七年の大豊作があり、その後七年のききんが起り、その豊作はみなエジプトの国で忘れられて、そのききんは国を滅ぼすでしょう。後に来るそのききんが、非常に激しいから、その豊作は国のうちで記憶されなくなるでしょう。パロが二度重ねて夢を見られたのは、この事が神によって定められ、神がすみやかにこれをされるからです。それゆえパロは今、さとく、かつ賢い人を尋ね出してエジプトの国を治めさせなさい。パロはこうして国中に監督を置き、その七年の豊作のうちに、エジプトの国の産物の五分の一を取り、続いて来る良い年々のすべての食糧を彼らに集めさせ、穀物を食糧として、パロの手で町々にたくわえ守らせなさい。こうすれば食糧は、エジプトの国に臨む七年のききんに備えて、この国のためにたくわえとなり、この国はききんによって滅びることがないでしょう」。この事はパロとそのすべての家来たちの目にかなった。そこでパロは家来たちに言った、「われわれは神の霊をもつこのような人を、ほかに見いだし得ようか」。またパロはヨセフに言った、「神がこれを皆あなたに示された。あなたのようにさとく賢い者はない。あなたはわたしの家を治めてください。わたしの民はみなあなたの言葉に従うでしょう。わたしはただ王の位でだけあなたにまさる」。パロは更にヨセフに言った、「わたしはあなたをエジプト全国のつかさとする」。そしてパロは指輪を手からはずして、ヨセフの手にはめ、亜麻布の衣服を着せ、金の鎖をくびにかけ、自分の第二の車に彼を乗せ、「ひざまずけ」とその前に呼ばわらせ、こうして彼をエジプト全国のつかさとした。ついでパロはヨセフに言った、「わたしはパロである。あなたの許しがなければエジプト全国で、だれも手足を上げることはできない」。パロはヨセフの名をザフナテ・パネアと呼び、オンの祭司ポテペラの娘アセナテを妻として彼に与えた。ヨセフはエジプトの国を巡った。(創世記第41章25~45節)
一言でまとめてしまうと、ヨセフはエジプトを大飢饉から救った人。
神様が共におられることによってエジプトをききんから救いました。
ヨセフを知らない新しいパロが登場することによってそれが苦しみに変わりました。
歴史を知らない、歴史を学ばない新しい王。
私たちは出エジプト記を読み進めるうちにいよいよますますの伏線回収をしています。
名前が並んでいることで伏線回収をしています。
今日の聖書にある名前について、のちの伏線回収があります。
「見よ、イスラエルびとなるこの民は、われわれにとって、あまりにも多く、また強すぎる。
さあ、われわれは、抜かりなく彼らを取り扱おう。彼らが多くなり、戦いの起るとき、敵に味方して、われわれと戦い、ついにこの国から逃げ去ることのないようにしよう」。
ヨセフのことを知らない王がこう言っています。
出エジプト記に貫く言葉があります。
「逃げ去る」この言葉が伏線回収されたとき、別の言葉になっています。
• わたしは下って、彼らをエジプトびとの手から救い出し、これをかの地から導き上って、良い広い地、乳と蜜の流れる地、すなわちカナンびと、ヘテびと、アモリびと、ペリジびと、ヒビびと、エブスびとのおる所に至らせようとしている。(出エジプト記第3章8節)
ここで導き上るが今日の逃げ去ると同じ言葉。
それでわたしはあなたがたを、エジプトの悩みから導き出して、カナンびと、ヘテびと、アモリびと、ペリジびと、ヒビびと、エブスびとの地、乳と蜜の流れる地へ携え上ろうと決心した」と』。(出エジプト記第3章14節)
ここでは導き出すが同じ言葉が使われています。
「導き出す」今日私たちが読んだのは「逃げ去る」それが神様によって導き上るとなります。
今日、苦しみなやむかもしれない、でも神様によって導き上るに伏線回収されていきます。
私たちを名前で呼んで下さる主が伏線回収によって、私たちを名前で呼んで、愛して下さり、命を与えて下さる。
神様によって伏線回収して下さることをワクワクした待つ私たち。
神様が私たちを数で把握命として覚えて下さっている。
逃げ去るを導き上るに変えて下さる神様。
名前を呼んで命としてその導きを握りしめて今週も歩んでいけることに感謝します。