本庄市&児玉郡

本庄市&児玉郡 本庄市・児玉郡の寺社・文化財・史跡や名所などを紹介していきます。

成就院です(本庄市児玉町)成就院は真言宗智山派の寺院で、下浅見地区に位置しています。八幡山と号し、本尊は大日如来になります。1675年に元広が開基し、頼元が開山となり創建されたといわれています。延宝年間〜元禄年間(1673〜1704年)には...
21/08/2026

成就院です(本庄市児玉町)

成就院は真言宗智山派の寺院で、下浅見地区に位置しています。

八幡山と号し、本尊は大日如来になります。

1675年に元広が開基し、頼元が開山となり創建されたといわれています。

延宝年間〜元禄年間(1673〜1704年)には、特に新義真言宗は手厚い加護を受けてきたといわれています。

江戸時代には、地内の下浅見八幡神社の別当を務めていたといわれています。

現在の本堂は平成6年に再建されたものになります。

また、境内に建立されている聖観世音菩薩像は、その胸に幼い子供を抱きしめる「水子観音」として、多くの人々に親しまれています。

渡船場跡です(上里町)渡船場跡は長浜地区に位置しています。神流川の長浜地区河川敷には「水天宮」の石碑が建立されています。その先に昔の藤岡道があり、神流川を渡るための渡船場がありました。当初、両岸の長浜村と小林村(藤岡市)で働き手を出し、人や...
14/08/2026

渡船場跡です(上里町)

渡船場跡は長浜地区に位置しています。

神流川の長浜地区河川敷には「水天宮」の石碑が建立されています。

その先に昔の藤岡道があり、神流川を渡るための渡船場がありました。

当初、両岸の長浜村と小林村(藤岡市)で働き手を出し、人や荷物などを運んでいたといわれています。

しかし、大名などの通行が多くなったため、両村が勘定奉行に願い出て、1827年からは歩行渡船1艘と2疋立馬渡船1艘を造り、渡船を始めたといわれています。

川の両岸に大きな杭を3本立て、そこに綱を張り、手繰って船を渡す「綱繰り船」だったといわれています。

渡船費用は1人につき5文、馬1疋につき10文だったといわれています。

その後、昭和9年には木橋が架けられ、昭和32年には改修され、現在の藤武橋となりました。

龍泉寺です(本庄市児玉町)龍泉寺は臨済宗妙心寺派の寺院で、下真下地区に位置しています。1185年に天台宗真光寺と称し、藤原鎌足の遠孫である武蔵権守家行(児玉家行)の弟・真下太郎藤原基行の隠寮であったと伝えられています。1199年の藤原基行没...
07/08/2026

龍泉寺です(本庄市児玉町)

龍泉寺は臨済宗妙心寺派の寺院で、下真下地区に位置しています。

1185年に天台宗真光寺と称し、藤原鎌足の遠孫である武蔵権守家行(児玉家行)の弟・真下太郎藤原基行の隠寮であったと伝えられています。

1199年の藤原基行没後に、基行の守り本尊であった観音菩薩像を本尊とし、「龍泉庵」と改称したといわれています。

その後は、基行並びに部下士卒の各霊のため、追善回向に務めてきた寺院であったと伝えられています。

1638年には、意應高順禅師大和尚を開山として、臨済宗妙心寺派に属して「龍泉寺」と改称したといわれています。

明治30年には火災に見舞われ、諸堂・庫裡・宝蔵・その他が焼失してしまいましたが、かろうじて博書・釈迦如来座像・観音菩薩像・過去帳が廃仏毀釈の嵐もくぐり抜けて保管することができました。

昭和18年の児玉飛行場建設の際には、移転を余儀なくされましたが、昭和62年にはこの地に戻ることができました。

その際に、本堂・書院・庫裡・地下納骨堂・無量光などの諸堂を耐火で守るために鉄筋コンクリートで建設されました。

泉徳寺です(神川町)泉徳寺は曹洞宗の寺院で、池田地区に位置しています。1598年に、甲斐武田家旧臣の松本左京大夫が開基し、永源寺13世學翁関益大和尚が開山となり創建されたといわれています。寛文年間(1661〜1673年)には、左京の子孫であ...
31/07/2026

泉徳寺です(神川町)

泉徳寺は曹洞宗の寺院で、池田地区に位置しています。

1598年に、甲斐武田家旧臣の松本左京大夫が開基し、永源寺13世學翁関益大和尚が開山となり創建されたといわれています。

寛文年間(1661〜1673年)には、左京の子孫である松本六兵衛が寺門を復興し、中興開基となり、佛法宣揚の道場としたといわれています。

その後、明治11年には落雷の被害に遭い、同年には檀信徒の志しを合わせ再建されました。

なお、現在の本堂は、老朽化のため昭和61年に再建されたものになります。

八王子神社です(神川町)八王子神社は、上阿久原地区の「カタクリの花としだれ桜の里」内に鎮座しています。創建は1851年で、林地区17戸の守護神として祀られています。末社は、稲荷社・壹岐天手長男社・蚕影山大神・産泰社になります。毎年11月23...
24/07/2026

八王子神社です(神川町)

八王子神社は、上阿久原地区の「カタクリの花としだれ桜の里」内に鎮座しています。

創建は1851年で、林地区17戸の守護神として祀られています。

末社は、稲荷社・壹岐天手長男社・蚕影山大神・産泰社になります。

毎年11月23日には例大祭が行われています。

また、3月下旬になるとカタクリの花に囲まれ、訪れた多くの人々の信仰を集めています。

児玉夏祭りです(本庄市児玉町)児玉夏祭りは、「八坂の祇園祭」とも呼ばれ、児玉市街地を8基の神輿が練り歩く児玉の夏の風物詩になります。最大の見どころは、2〜3基の神輿がぶつかり合う「けんか神輿」は関東随一になります。2026年度は7/19に行...
19/07/2026

児玉夏祭りです(本庄市児玉町)

児玉夏祭りは、「八坂の祇園祭」とも呼ばれ、児玉市街地を8基の神輿が練り歩く児玉の夏の風物詩になります。

最大の見どころは、2〜3基の神輿がぶつかり合う
「けんか神輿」は関東随一になります。

2026年度は7/19に行われました。

菅原神社です(神川町)菅原神社は原新田地区に鎮座していて、祭神は菅原道真公になります。創建に関しては不詳ですが、当初は「天神社」と呼ばれていたといわれています。1828年完成の武蔵風土記稿には、原新田村の鎮守として祀られていて、村持(家数3...
17/07/2026

菅原神社です(神川町)

菅原神社は原新田地区に鎮座していて、祭神は菅原道真公になります。

創建に関しては不詳ですが、当初は「天神社」と呼ばれていたといわれています。

1828年完成の武蔵風土記稿には、原新田村の鎮守として祀られていて、村持(家数38)だった旨が記されています。

明治5年の神仏分離の際に村社となり、その際に社名を「菅原神社」へと改称しました。

明治末期から行われた神社整理に伴い、大正3年に大字元阿保の阿保神社に合祀されました。

以来、氏子総代は阿保神社の例大祭に参列し、玉串を捧げ拝礼を行ってきました。

この間、昭和17年の児玉飛行場建設にあたり、集落はこの地に移転しました。

そして、阿保神社へ合祀してから60年、村人の希望によりこの地にお宮が移され、昭和48年に遷座祭が行われました。

以降、氏子総代をはじめ、地域の人々が参列しての例大祭が毎年3月19日に行われるようになりました。

一之神社です(本庄市)一之神社が鎮座する田中地区は、真近に烏川、利根川が流れる氾濫原に開けた集落で、寛永年間(1624〜1644年)に烏川の瀬替えにより、上野国那波郡より武蔵野国に所属変更したといわれています。一之神社の創建年代に関しては不...
10/07/2026

一之神社です(本庄市)

一之神社が鎮座する田中地区は、真近に烏川、利根川が流れる氾濫原に開けた集落で、寛永年間(1624〜1644年)に烏川の瀬替えにより、上野国那波郡より武蔵野国に所属変更したといわれています。

一之神社の創建年代に関しては不詳ですが、往古の利根川大洪水の際に、上野国・一の宮貫前明神の御神体が流れてきて、当地川岸に打ち寄せられていたのを村人により発見されたと伝えられています。

村人により小祠が作られ、御神体を「一宮明神」と称して鎮祭したのが始まりだと伝えられています。

以後、田中村の鎮守として祀られてきたといわれています。

化政年間(1804〜1830年)には、隣接する医王寺の境内に祀られていたといわれています。

また、社頭に掲げられている江戸期の社号額には、「正一位稲荷大明神・一宮大明神」と2社が併記されています。

しかし、明治初年の書き上げの際に、「一宮明神社」の社名では、本社の一宮貫前明神に対して恐れ多いとの村人からの意見もあり、「一之神社」に改称したといわれています。

上松寺です(上里町)上松寺は真言宗智山派の寺院で、本尊は馬頭観世音で、児玉三十三霊場・第25札所になります。1661年に松原権右衛門尉重房が開基し、廣重上人が開山し、廣祐法印が準開山となり創立されたと伝えられています。鎌倉街道の要塞として、...
03/07/2026

上松寺です(上里町)

上松寺は真言宗智山派の寺院で、本尊は馬頭観世音で、児玉三十三霊場・第25札所になります。

1661年に松原権右衛門尉重房が開基し、廣重上人が開山し、廣祐法印が準開山となり創立されたと伝えられています。

鎌倉街道の要塞として、神流の渡しを眼下に、武州上州の国境を護る馬頭観世音として長い間、人馬に憩の庭を提供していたといわれています。

また、上松寺が位置する長浜の地は、新田義貞にまつわる諸々の口碑が残されていたり、旅行く人々が馬に対する愛着を観世音と祀った往時が偲ばれる寺院になります。

また、本堂は老朽化により令和2年に建て替えられました。

前堀田・諏訪神社です(本庄市)諏訪神社が鎮座する堀田の地は、古くは滝瀬村に属していたといわれています。堀田地域は、前堀田と北堀田の2つの地区に分かれ、いずれも鎮守として諏訪神社を祀っています。その昔、甲斐の国士・逸見義左衛門は、信濃国の諏訪...
26/06/2026

前堀田・諏訪神社です(本庄市)

諏訪神社が鎮座する堀田の地は、古くは滝瀬村に属していたといわれています。

堀田地域は、前堀田と北堀田の2つの地区に分かれ、いずれも鎮守として諏訪神社を祀っています。

その昔、甲斐の国士・逸見義左衛門は、信濃国の諏訪大社を深く崇敬していたといわれています。

1567年に逸見家が没落した際に、その一族が武蔵国に来て、前堀田の地に土着したといわれています。

逸見家が崇敬する諏訪大社の分霊をこの地に勧請して、一族の祈願所としたのが諏訪神社の創建の由来だといわれています。

以来、武門の崇敬を集めましたが、永い年月を経て衰退してしまったといわれています。

その後、1749年には前堀田の氏神として再興し、遷座祭を執行したといわれています。

この時、逸見郷右衛門・粂原友之丞・荻野万兵衛・内田清兵衛・田沼四郎衛らが世話に当たったといわれています。

明治初年の社格制定に際しては、古くから滝瀬村の鎮守であった滝瀬社(旧聖天社)が村社となり、当社は無格社とされました。

また、明治27年には幣殿増築ならびに、本殿修繕が行われました。

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