本庄市&児玉郡

本庄市&児玉郡 本庄市・児玉郡の寺社・文化財・史跡や名所などを紹介していきます。

新井・稲荷神社です(本庄市)稲荷神社が鎮座する新井の地は、昔は上野国那波郡に属していましたが、1625年の利根川大洪水による烏川の流路変更により、武蔵国の所属に変わったといわれています。そのため、旧家には上野国と関わりの深い家が多く、氏子の...
29/05/2026

新井・稲荷神社です(本庄市)

稲荷神社が鎮座する新井の地は、昔は上野国那波郡に属していましたが、1625年の利根川大洪水による烏川の流路変更により、武蔵国の所属に変わったといわれています。

そのため、旧家には上野国と関わりの深い家が多く、氏子の中で最も多い「境野」姓の本家も、上野国芝根村からこの地に来たといわれています。

稲荷神社は、その境野氏により明徳年間(1390〜1394年)に創建されたといわれています。

新井村の鎮守として信仰され、江戸時代には真言宗清淵寺が別当として祭祀を行っていたといわれています。

また、1750年9月に京都の神祇官令長上吉田家から受けた幣帛が安置されています。

明治初期の神仏分離により、清淵寺の管理を離れ、明治5年に村社となりました。

その後、政府の合祀政策に伴い、明治45年には字御陣場の村社・稲荷社を合祀しました。

また、同年に近隣3社を境内に移転し、これらを境内社として祀るようになりました。

智方神社です(本庄市)智方神社は小島地区に鎮座しています。その昔、聖護院門跡道興が東国巡遊の旅に出て、北陸から上野国を経て武蔵国に入り、「けふ爰におしまか原をきてとへはわか松しまは程そ遥けき」と詠んだのは、1486年のことでありました。この...
22/05/2026

智方神社です(本庄市)

智方神社は小島地区に鎮座しています。

その昔、聖護院門跡道興が東国巡遊の旅に出て、北陸から上野国を経て武蔵国に入り、「けふ爰におしまか原をきてとへはわか松しまは程そ遥けき」と詠んだのは、1486年のことでありました。

この歌にある「おしまか原」と伝えられてきたのが、智方神社が鎮座する字小島であり、その地名については、村が幾つかの川に囲まれ、島のような形であったことが由緒だと伝えられています。

創建については詳しいことは伝えられていませんが、一説によれば、字万年寺の茂木家が下野から当地に移住してきた際に建立し、以来、同家の氏神として祀られていたと伝えられています。

それが村の発展に伴い、字全体で祀るようになっていったと考えられています。

境内には、樹齢700〜800年と伝えられる欅の御神木を有することから、古い創建であると考えられています。

また、江戸時代には正一位の神階を受け、本殿に安置されている白幣の幣串には、「正一位智方大明神」と記されています。

風土記稿には、「智方明神社 村民持」と記されていますが、古くはこの地内には万年寺という寺があり、その寺の持ちであったという伝えもあります。

字の名称の起こりにもなっている万年寺については、どこにも記載がなく詳細は不明ですが、当社と深い関係があったことが推測されています。

新町地蔵尊です(本庄市児玉町)新町地蔵尊は、1762年11月吉日にこの地に祀られたといわれています。このお地蔵様には、「油地蔵尊」「子育て地蔵尊」「火伏せ地蔵尊」と、3つの名前があります。油地蔵尊このお地蔵様は体全体に油が塗られています。拝...
15/05/2026

新町地蔵尊です(本庄市児玉町)

新町地蔵尊は、1762年11月吉日にこの地に祀られたといわれています。

このお地蔵様には、「油地蔵尊」「子育て地蔵尊」「火伏せ地蔵尊」と、3つの名前があります。

油地蔵尊
このお地蔵様は体全体に油が塗られています。
拝みに来る人は、自分の身体の悪い部分にお地蔵様の油をいただいて塗ります。
そして、「治りますように」と願をかけます。
治ったときには、お礼参りとしていただいた油を倍ぐらいにして塗って返します。

子育て地蔵尊
「子供を授かりますように」「子供が健やかに育ちますように」と、お地蔵様の頭に赤い頭巾、胸にはお掛けをしてお祈りします。

火伏せ地蔵尊
古くから児玉は、「こだまの大火」として火災が多い地だったといわれています。
お地蔵様は、いつしか火伏せ地蔵として「火災が起こらないように」と拝まれるようになったといわれています。

このような新町地蔵尊の霊験を信じて、江戸時代〜昭和20年頃まで、毎月24日の夜が縁日とされ、各地から多くの参拝者が列をつくるほど賑わったといわれています。

伊勢大神社です(神川町)伊勢大神社が鎮座する二ノ宮萩平地区は、その昔、児玉郡阿保領に属していたといわれています。江戸時代初期までは幕府領でしたが、1646年〜幕末までは、旗本・室賀氏の知行地であったといわれています。また、萩平の鎮守は隣接す...
08/05/2026

伊勢大神社です(神川町)

伊勢大神社が鎮座する二ノ宮萩平地区は、その昔、児玉郡阿保領に属していたといわれています。

江戸時代初期までは幕府領でしたが、1646年〜幕末までは、旗本・室賀氏の知行地であったといわれています。

また、萩平の鎮守は隣接する新里村の白岩明神社で、2村の鎮守であったといわれています。

その後、明治5年に金鑽村と合併して二ノ宮村になりました。

伊勢大神社の創建に関しては不詳ですが、往古は萩平村と池田村の村境に祀られており、共に祭りを執行していたといわれています。

その後、明治維新の際に現在地に移転し、萩平村民の崇敬するところになりました。

以来、萩平の鎮守として位置付けられるようになりました。

元来、伊勢大神社・伊勢大神宮と称していましたが、昭和19年に神明神社と改称をしました。

しかし、太平洋戦争直後から旧名に復したいという氏子の希望により、昭和56年に伊勢大神社に社名を復しました。

社殿は明治維新後に移転改修、大正3年に改築、昭和58年に本殿修理、平成元年に拝殿改修が実施されています。

長光寺です(本庄市)長光寺は、小和瀬地区にある真言宗豊山派の寺院で、本尊は不動明王になります。1247年(宝治元年)の開山で、総本山は奈良県桜井市の長谷寺で、大本山は護国寺になります。本堂には、小和瀬出身の日本画家・星野邦男画伯の天井画「瑞...
01/05/2026

長光寺です(本庄市)

長光寺は、小和瀬地区にある真言宗豊山派の寺院で、本尊は不動明王になります。

1247年(宝治元年)の開山で、総本山は奈良県桜井市の長谷寺で、大本山は護国寺になります。

本堂には、小和瀬出身の日本画家・星野邦男画伯の天井画「瑞龍」「地域の花々」と、深谷市の彫刻家・根本慶峰師作の6枚からなる欄間「弘法大師行状絵図」があります。

また、現在の本堂は昭和57年に建て替えられたものになります。

久々宇・稲荷神社です(本庄市)稲荷神社が鎮座する久々宇地区は、元来は上野国に属していましたが、烏川の変流により寛永年間(1624〜1644年)から武蔵国に所属するようになったといわれています。この辺りは、中世には群馬県伊勢崎市が本拠の那波一...
24/04/2026

久々宇・稲荷神社です(本庄市)

稲荷神社が鎮座する久々宇地区は、元来は上野国に属していましたが、烏川の変流により寛永年間(1624〜1644年)から武蔵国に所属するようになったといわれています。

この辺りは、中世には群馬県伊勢崎市が本拠の那波一族の流れを汲む久々宇氏の在所でありましたが、度重なる川の氾濫で地形さえも変わっているためか、同氏に関する資料などは残されておりません。

このような土地柄であったためか、稲荷神社の創建に関する資料も現存せず、口碑なども伝わっておりません。

しかし、祭神が五穀の祖神とされる宇迦之御魂命であり、久々宇村の鎮守で、村持として村民から大切に祀られてきたことが「風土記稿」に記されています。

そのような事から、村の開発を行った草分けの人々が、村の発展を願って勧請したものだと考えられています。

明治5年には村社となり、明治40年には政府の合祀政策により、字榎下の6社を合祀しました。

なお、現在の社殿は平成7年に改修されたものになります。

旧七本木小学校跡です(上里町)旧七本木小学校跡地は、現在は上里町七本木メモリアル公園となっています。明治6年3月8日に開校した七本木小学校は、開校153年で上里町で最も古い小学校になります。明治5年の学制発布により、開校当初は隣地の法泉寺に...
17/04/2026

旧七本木小学校跡です(上里町)

旧七本木小学校跡地は、現在は上里町七本木メモリアル公園となっています。

明治6年3月8日に開校した七本木小学校は、開校153年で上里町で最も古い小学校になります。

明治5年の学制発布により、開校当初は隣地の法泉寺にて創設されましたが、後に西福寺に移転します。

当時は、寺の住職が教師として任用され、児童数は95人ほどであったといわれています。

そして、明治16年3月にこの地に新校舎を建築し移転しました。

その後、新学令などにより幾度か名称を変えながらも、昭和51年に上越新幹線通過に伴い廃校となりました。

廃校後は、上里東小学校と現七本木小学校に分かれて現在に至ります。

現七本木小学校は、旧跡地より北西方面に移転しました。

また、日本初の女性パイロットとして有名な西崎キク女史は、七本木小学校の卒業生で、後に教師としても七本木小学校で活躍しました。

西富田・金鑽神社です(本庄市)東富田と西富田は古くは1つの村でしたが、中世の末期に別れたと考えられています。西富田・金鑽神社は、栄地区に鎮座していますが、古くから西富田の鎮守として祀られてきたといわれています。創建は、鎌倉時代に児玉党の支族...
10/04/2026

西富田・金鑽神社です(本庄市)

東富田と西富田は古くは1つの村でしたが、中世の末期に別れたと考えられています。

西富田・金鑽神社は、栄地区に鎮座していますが、古くから西富田の鎮守として祀られてきたといわれています。

創建は、鎌倉時代に児玉党の支族・富田三郎近家(親家)が勧請したと伝えられています。

近家は富田村に居を構えていたといわれ、平安時代〜鎌倉時代にかけて築造されたと推定される屋敷跡は村の中央にあります。

今では空堀の1部が残存するのみですが、かつては水堀が残されていて、女堀川の北側には「堀ノ内」の地名があります。

また、当社には新田義純の後裔・岩松満次郎が江戸時代に書いた石額が現存しています。

石額の表面には「金鑽大明神」と記されており、当時、京都吉田家から大明神号を受けていたと考えられています。

カタクリの花としだれ桜の里です(神川町)この里は上阿久原地区にあり、平成8年に飯盛山の麓で偶然に発見されました。当初は1アール(100平方メートル)ほどのカタクリの群生地でした。その後、地元の有志の人々が保護と育成を目的に「飯盛山しだれ桜・...
03/04/2026

カタクリの花としだれ桜の里です(神川町)

この里は上阿久原地区にあり、平成8年に飯盛山の麓で偶然に発見されました。

当初は1アール(100平方メートル)ほどのカタクリの群生地でした。

その後、地元の有志の人々が保護と育成を目的に「飯盛山しだれ桜・カタクリの会」を結成して里づくりを始めました。

平成12年には、地元の企業や森林サポーターズの協力もあり、1ヘクタールの群生地へと発展しました。

また、毎年地元の小学生により、種蒔きや種の袋掛けが行われ、3月下旬〜4月上旬には数千株の花を咲かせて見頃をむかえます。

児玉千本桜です(本庄市児玉町)児玉千本桜は、本庄市で有名なお花見スポットになります。本庄市児玉町を流れる小山川の両側5kmにわたり、約1,100本の桜が植栽されています。この桜は、昭和40年代に地元の有志の人々が植樹をはじめ、各種団体などの...
01/04/2026

児玉千本桜です(本庄市児玉町)

児玉千本桜は、本庄市で有名なお花見スポットになります。

本庄市児玉町を流れる小山川の両側5kmにわたり、約1,100本の桜が植栽されています。

この桜は、昭和40年代に地元の有志の人々が植樹をはじめ、各種団体などの協力を得て大切に育てられました。

また、開花に合わせて高柳地区の約500mの区間では、夜間にはライトアップされ、夜桜を楽しむ人々で大変賑わいます。

住所

Honjo-shi, Saitama

ウェブサイト

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