03/08/2026
本を読むのは映画を観るのと同じで基本は娯楽だと思う。こう言うと「本を読むのは特別な体験」と感じている人は怒るかも知れない。でも映画もまた特別な体験になる事はあると思うのである。つまり相殺される。
ニュースもまた娯楽になり得る(これも怒る人はいるかも知れない)。と言うかほぼ娯楽だろう。ノンフィクション的で(必ずしもノンフィクションではないと思う)はあるけれど、注目するニュースもあれば注目されないニュースもある。本質的価値とは別に。
同情したり義憤に駆られたり忙しいけれど消費してるだけじゃないか?と感じる事がある。最初の印象が、徐々に明らかになる報道で変化していく事もあるだろうか。大抵は知ってみれば納得の話で、更に言えばその可能性は十分考えられたであろうけれど先入観が邪魔をしたって感じだろうか。撒き餌に飛び付いてしまって全体像を見失う様な感じか。そして何度失敗しても学ばない。
本も映画も2度3度見返して新たな発見がある事もあるだろうし、高尚な哲学書だけが示唆に富む訳じゃない。幾ら高尚な哲学書を読んだところで他人の考えであり、それをそのまま手に入れられる訳でもない。先入観が邪魔するのでね。
仏教書でも同じ事で読んだら読んだだけ賢くなるとは限らない。"なんだか先入観を補強してるなぁ"と思う事もある。
問題は幾ら読んだかではなくどう読むかにある。同じ文章が全く異なる意味に受け取れるものだろう。