イエズス会社会司牧センター(Jesuit Social Center Tokyo)

イエズス会社会司牧センター(Jesuit Social Center Tokyo) ★イエズス会社会司牧センターの公式Facebookページです。 Many of such institutions were established by religious groups, called religious congregations of the Catholic Church.

カトリックの国際団体であるイエズス会は、日本で教育事業や教会運営を行っている。そのメンバーには日本人の他20か国の外国籍の会員がいる。そして学校や教会に加えて、社会問題を専門的に取り扱う4つほどのセンターも運営している。その一つに東京の「社会司牧センター」がある。その他に、大阪釜ヶ崎の「旅路の里」や下関の「労働教育センター」、そして上智大学内の「グローバル・コンサーン研究所」というセンターもある。

1962年~65年に世界のカトリック教会は、第二バチカン公会議を開き、信仰と社会正義を結びつけ、社会問題に積極的に取り組むための新しい体制を取ることを決めた。イエズス会社会司牧センターもそうした取り組みの一つとして生まれたもので、現在日本のイエズス会の社会問題担当窓口となっている。事務所は東京・四ツ谷駅の直ぐ近くにある麹町カトリック教会敷地内の岐部ホールにあり、4人のスタッフと数人のボランティ

アが働いている。

The Catholic Church in Japan serves people through a wide network of institutions: Churches, Schools, from Kindergarten to Universities and Centers, and social-welfare Institutions, from children’s Homes to Hospitals, or Homes for senior citizens. Most of these Congregations have members who run institutions in many countries of the world. The Jesuits are one of those congregations specialized in education and pastoral activities.In the year 2012 there were 220 Jesuits from more than 25 countries dedicated to educational work as well as pastoral activities, in Japan.They also run four social centers, two of them located in Tokyo, one at Sophia University and our social center here; one in Osaka and another in Shimonoseki. After Vatican II (1965), Jesuits all over the world built up new systems for the promotion of Christian faith and social justice. This Social Center was established in 1981. It is the liaison office for social commitments of the Jesuits in Japan. One Jesuit with two full-time lay staff and a Jesuit seminarian, plus several volunteers, work together in the Center. The Center is located in the 4th Floor of the Jesuit headquarters, called Kibe Hall, by Yotsuya JR station.

10/06/2026
10/06/2026

시노달리타스 여정이 ‘이행 단계’에 들어선 가운데, 한국 천주교회가 무엇을 실천해야 할지 모색하는 자리가 마련됐다.6월 6일 열린 콜로키엄 \"시노드 이행단계, 한국천주교회는 무엇을 할 것인가?\"...

10/06/2026

✨回勅『マニフィカ・フマニタスーーAI時代において人間の尊厳を守り抜くことについて(仮邦題)』【簡易要約】の紹介📗

ラウダート・シ・アクション・プラットフォーム記事の訳です。(回勅日本語訳の刊行に向け、カトリック中央協議会では、現在邦訳作業中)

下記のPDF版はLS部門サイトに掲載➡ https://laudatosi.jp/

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【簡易要約】
 AI時代において、人類は一つの選択を迫られています。文明構築の原理をもっぱらテクノロジーと進歩のみに置くのか、それとも人間の尊厳を中心に据え、技術的進歩を手段として位置づけるのかという選択です。教皇レオ14世は、このことを説明するのに、2つの聖書のイメージを用います。バベルの塔の建設と、エルサレムの再建です。

 「正しい」道を選ぶには、ダイナミックなアプローチ――第二バチカン公会議の教えに従って、教会の社会教説を軸とする――が必要です(第1章)。すなわち、福音の光のもとでわたしたちの時代に耳を傾け、それ[時のしるし]を識別し、解釈することによって、現代のことばを用いて、啓示された真理を人類にあらためて示すのです。

 わたしたちの時代の「新たな課題(res novae)」を、人間の尊厳の観点からよりよく理解するためには、教会の社会教説の基礎と原理がわたしたちを助けてくれます(第2章)。基礎を成すのは人間です。人間は三位一体の神の似姿であり、それゆえ、すべての人が不可侵の権利を有し、本性に根ざす尊厳を備えています。原理とは、共通善、財貨が万人のためにあること、補完性、連帯、そして社会正義です。これらが社会関係の礎石として据えられれば、それらはパウロ6世が初めて人類の全人的発展(integral human development)という概念としてまとめ上げたものへと帰着します。

 そうして、主題の核心へ、すなわち技術-権力-人間の関係性へとたどり着きます(第3章)。教皇レオは、技術開発を人間の創造性の表れとして評価する一方で、それが判断の絶対的な基準となる危険性に警鐘を鳴らします。AIは、諸経験、価値観、感情を欠いているため、人間の知性に代わって責任を担うことも、その上位に立つこともできず、またそうすべきでもありません。

 ですから、この危険を回避するには、変容の中で人間性を守り抜くこと(safegurding)が必要です(第4章)。第一に向き合うべき領域は真実です。あらゆるものが操作されうる時代においては、真実と虚偽とを見分けることを可能にする批判的教育を維持することが求められます。第二は労働です。効率性が支配的な価値基準になると、労働に本来備わる人間的・関係的な価値が損なわれるおそれがあります。第三の領域は自由です。大量のデータ収集を伴うデジタルへの依存が脅威となる中、自由を守るには、公正なルール、責任の共有、そして教育が不可欠です。真理に開かれ、尊厳にかなう労働を営み、真の自由を生きることのできる、真に人間らしい生を支える条件を守り抜くには、合唱のような(=訳注:一人ひとりが自分のパートを担い、全体で調べを響かせる)努力が欠かせません。

 教皇レオは回勅のこの箇所で、AIが戦争にも、しばしば深刻な影響を及ぼしていることを思い起こさせます。技術革新は防衛手段をより効率的にすることにとどまらず、生と死にかかわる判断を自動化し、人格的関与(訳注:人間の良心と責任)から切り離してしまう危険をはらんでいます。本来、そのような判断には倫理と道徳的責任が求められるはずです。これが力の文化であり、愛の文明に対置されるものです(第5章)。道徳的判断よりも手段の有効性が優先され、人命の保護よりも軍事的成果が重視される風潮が広がるなかで、救いへの唯一の道筋は、正義、兄弟愛、対話に基づく文明です。愛の文明においては、一人ひとり皆が、自分の役割を果たすことができます。出発点は、まず自分のことばを武装解除することです。そして、正義を実践し、被害者の視点に立ち、対話をはぐくみ、理想主義に逃げ込むことではなく、健全な現実主義を信頼することです。これら善なる実践のすべては、その活力を祈りから受け取るのです。

 結びの章では、霊的および神学的な次元を扱います。歴史全体を通じて、神のいつくしみは受肉の神秘を中心に据えてきました。神は人となり、真の人間性とは何かをわたしたちに示し、もっとも小さき者を心に留めることを教えてくださいました。人間存在の偉大さが輝くのは、テクノロジーの力にではなく、自由と、愛と、恵みのうちにおいてなのです。排除を生み出す時代にあって、わたしたちは「キリストにおける一つのからだ」に結ばれた兄弟姉妹として、とりわけ連帯と、もっとも弱い人たちへの配慮とを通して、さまざまなつながりを守り続けるよう求められています。

 ですから、AI時代にあって人間性を守り抜くことは、皆で担うべき共通の責任です。最初に示した、バベルの塔と聖都との対比のイメージに戻ります。わたしたちは、いったいどちらを築こうとしているでしょうか。わたしたちが真理に忠実な「賢明な設計者」と大工となって、かかわりを守り抜き、教育のために惜しみなく尽くし、正義と平和を愛する者となるならば、人類はその本来のすばらしさを失うことはありません。だからこそ大切なのは、諦めた傍観者であってはならず、むしろ、マリアと同じ信頼をもって、希望を織りなす職人であり続けることなのです。謙遜のうちに生きたマリアは、異国の支配のもとにあって、蔑まれ分断された民衆とともに、目には見えない神の救いをもたらすわざを見いだすことができたのです。

【テレメンタリー】「被爆者のかたわらで~揺れる非核三原則~」テレビ朝日:2026年6月13日(土) 4:50 〜 5:20広島出身の高橋悠太さん(25)。大学を卒業後、核廃絶を目指す法人を立ち上げ「核兵器の恐ろしさを伝える出前授業」を全国の...
10/06/2026

【テレメンタリー】
「被爆者のかたわらで~揺れる非核三原則~」
テレビ朝日:2026年6月13日(土) 4:50 〜 5:20

広島出身の高橋悠太さん(25)。
大学を卒業後、核廃絶を目指す法人を立ち上げ「核兵器の恐ろしさを伝える出前授業」を全国の学校で始めた。
しかし、高校生からは「日本にも核兵器が必要」との声も上がる。
核兵器をめぐる国際情勢が大きく変化する中、日本でも安全保障のあり方をめぐる議論が広がっており「非核三原則」も論点の一つとなっている。
核廃絶に吹く逆風…声を届けるために、どう行動していくべきなのか―
核廃絶の理想と現実の狭間で悩む若者の姿を追い、被爆地・広島からその現状を見つめた。

広島出身の高橋悠太さん(25)。大学を卒業後、核廃絶を目指す法人を立ち上げ「核兵器の恐ろしさを伝える出前授業」を全国の学校で始めた。...

10/06/2026

京都司教区聖書委員会より、聖書講座シリーズ16「人はなぜ病み、苦しむのかー聖書からの問いー」の書籍が発行されました。
割引価格にてお分けいたします。ご希望の方は聖書委員会までご連絡ください。実費にて郵送も承ります。

10/06/2026
09/06/2026

ダブルスタンダードな家父長制への気づきを
――「姦通告発の罠」の物語を読む――

753そして、人々はそれぞれ自分の家に帰って行った。81さて、イエスはオリーヴ山に行った。2だが、夜が明けると、再び彼は神殿に行った。すると、全ての民が彼のもとに来た。そこで、彼は座って、彼らを〔いつものように〕教えた。3だが、律法学者たちとファリサイ派の者たちが姦通の現場で取り押さえられたひとりの女を連れて来て、彼女を真中に立たせ、 4彼らは彼に言う、「先生,この女は姦通をしているときに現行犯で取り押さえられました。5さて、律法ではわたしたちにモーセはこのような女たちは石打ちにするよう命じました。では、あなたでしたら、何とおっしゃいますか」。6だが、このことを彼らが言ったのは、彼を告発することができるよう、彼を罠にはめるためだったのである。だが、イエスは屈んで指で地面に落書きをしていた。7さて、彼らは彼に問い続けた。彼は顔を上げて、彼らに言った、「あなたたちのなかで罪のない者が真っ先にこの女の人に石を投げたらいいよ」。8そして、再び彼は屈んで地面に書き始めた。9だが。〔このやり取りを〕聞いていた者たちは、ひとり、またひとりと、年長の者たちから始めて、〔次々と〕立ち去って行った。すると、彼だけが残され、そして真中にその女も〔残されて〕いた。10そこで、イエスは顔を上げて彼女に言った、「女よ、あの人たちはどこにいるのですか。あなたを断罪する人は誰もいないのですか」。11そこで、その女は言った、「誰もいないのです、主よ」。すると、イエスは言った、「わたしだってあなたを断罪なんてしませんよ。行っていいですよ。[そして]今からはもう二度と罪を犯してはいけませんよ」。
(ヨハネによる福音書7章53節−8章11節[私訳])

 ヨハネ福音書7章53−8章11節は元々はヨハネ福音書には含まれてはいませんでした。後代の写本を通してヨハネ福音書に入れられるようになったものです。みなさんの読んでいる聖書(口語訳、新共同訳、新改訳2017、協会共同訳など)がこの箇所を〔 〕括弧に入れているのはそのためです。この物語が聖書正典には含まれていなかったにもかかわらず、〔 〕括弧つきであるとはいえ、ヨハネ福音書のこの場所に置かれてきたのは、この物語の内容が教会でとても好まれてきたからです。つまり、罪の女がイエスに赦され、もう二度と罪を犯してはならないと命じたイエスの言葉に従って生きるようになった改心(悔い改め)の物語として重宝されてきたということです。
 しかし、さすがにこの物語が改心(悔い改め)を主題にしているとするのには無理があります。というのは、6節で「だが、このことを彼らが言ったのは、彼を告発することができるよう、彼を罠にはめるためだったのである」とわざわざ注釈が入れられていることからも明らかなように、この物語は権力者たちがイエスを罠にはめるために仕組んだものとして描かれているからです。したがって、この物語を「罪の赦し」や「改心」(悔い改め)の物語として理解したりすることは適切ではありませんし、この物語に「姦通の女」(共同訳,新共同訳)や「姦淫の女とイエス」(協会共同訳)といった表題をつけるのも誤りです。このテクストに表題をつけるとするならば、「姦通告発の罠」の物語とでもするのが相応しいからです。
 この「姦通告発の罠」の物語において、イエスは権力者たちのあまりのやり方の汚さに嫌気が差しつつも、自分を陥れる策略のために、この女性をこんな目に遭わせてしまって申し訳ないと思いながらこの女性を助けます。ここで言う権力者たちのやり口のあまりの汚さとは、とりわけこの女性がひとりだけ捕まえられているところに露わになっています。というのは、3節の「姦通の現場で」と4節の「姦通しているときに現行犯で」と繰り返されているように、この女性は姦通の真最中に取り押さえられていますので、当然のことながら相手となる男性も現行犯で一緒に取り押さえられていたはずなのです。しかしながら、ここに相手の男はいません。一緒に連れて来られてはいないのです。また、それと同様の権力者たちの手口の汚さが露呈しているのは、5節の「さて、律法ではわたしたちにモーセはこのような女たちは石打ちにするよう命じました」という聖書引用の仕方です。なぜなら、権力者たちが引き合いに出すモーセ律法はレビ記20章10節と申命記22章22−27節であり、双方のテクストは姦通をした男性と女性の双方を一緒に死刑にするよう命じていますので、女性のみを断罪の対象としているかのような聖書の引用と解説はご都合主義の誹りを免れません。……続
全文はホームページをご覧ください。
https://uccj.org/kobeya

#日本基督教団 #日本キリスト教団

09/06/2026

【今週木曜日開催】第119回 オリエンス・セミナーのご案内(参加者受付中)

仏教者とキリスト者の合同瞑想会を通じた自己探求
講師:柳田敏洋(イエズス会司祭)
日時:2026年6月11日(木)18:30~20:30
場所:オリエンス宗教研究所(京王線「明大前駅」下車徒歩5分)
https://www.oriens.or.jp/kenkyu/kenkyu.html
 

 イエズス会修練長やイエズス会霊性センター「せせらぎ」の所長をつとめ、キリスト教的ヴィパッサナー瞑想の指導、黙想指導に携わってきた柳田敏洋師が、日本の伝統的大乗仏教(仏教1.0)と上座部仏教(仏教2.0)の資産を生かしつつ、問題点を克服する仏教3.0を提唱する仏教僧山下良道師との合同瞑想会での体験や対話の実りを、キリスト教霊性と東洋の霊性の統合という観点から考察したことを紹介します。

柳田敏洋師著作
『私とは何者かーキリスト教の視点から』(教文館)
『神を追いこさないーキリスト教的ヴィパッサナー瞑想のすすめ』(教文館)
『日常で神とひびく』『日常で神とひびく2』 (ドン・ボスコ社)

柳田敏洋師訳書
ティム・ステッド・著、柳田敏洋・伊藤由里訳『マインドフルネスとキリスト教の霊性 神のためにスペースをつくる』(教文館)

山下良道師著作

藤田一照・山下良道『アップデートする仏教』(幻冬舎新書)
藤田一照・永井均・山下良道『〈仏教3.0〉を哲学する』『〈仏教3.0〉を哲学する バージョンⅡ』(春秋社)
藤田一照・山下良道・ネルケ無方・永井均『哲学する仏教』(サンガ)

09/06/2026
09/06/2026

住所

麹町6-5-1-4F
Chiyoda-ku, Tokyo
1020083

営業時間

月曜日 09:00 - 17:00
火曜日 09:00 - 17:00
水曜日 09:00 - 17:00
木曜日 09:00 - 17:00
金曜日 09:00 - 17:00

アラート

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