茗荷谷キリスト教会

茗荷谷キリスト教会 プロテスタント・バプテスト教会 東京メトロ丸ノ内線茗荷谷駅から徒歩1分にあるアクセスの便利なところで、毎週日曜日に行う礼拝をはじめ、平日の様々な集会を行っています。お気軽にお越しください。お待ちしております。

07/06/2026
06/06/2026

聖書の言葉から 2026/6/7 牧師 平尾輝明

「あの日を思い起こす」
こうして、あなたはエジプトの国から出た日を生涯思い起こさねばならない。申命記16: 3

 イスラエルの民にとって忘れてはならない日。それは、エジプトの奴隷状態から解放された日、神様に救い出された日です。神様は、イスラエルの民がエジプトの国から出た日を生涯思い起こすために毎年過越祭を祝うことを求めています。
 イスラエルの民は、長らくエジプトで奴隷とされて苦しんでいました。その苦しみの叫びを神様が聞き入れ、神様はエジプトにモーセを遣わしました。イスラエルの民を解放するようにモーセを通してエジプトに様々な災害を起こしますが、エジプト王はなかなか受け入れませんでした。神様は最後の災い、エジプトの家のすべて初子、最初の子が死んでしまう災いをくだしました。その災いをくだされる前に、神様の言葉に従ったイスラエルの民は、小羊を屠り、その血を戸口に塗りました。神様は、その血が戸口に塗られている家を過ぎ越されました。血が塗られていないエジプトの家は過ぎ越されず、その家の初子は死んでしまいました。エジプト王の初子である王子も死んだのです。この災いによって、エジプト王はようやくイスラエルの解放を認めました。過越祭で、過越のいけにえを屠り、酵母を入れないパンを食べることによって、エジプトから救い出された恵みを毎年思い起こし、神様に感謝するのです。
 過越の救いは、十字架と復活のイエス様の救いと重ねられます。イエス様ご自身が、まさに過越の小羊として十字架で死なれます。イエス様の血というしるしによって、すべての人が罪の奴隷状態から解放されているのです。イエス様の復活によって、喜びの永遠の命に生かされ、復活を約束されています。私達は主の晩餐でイエス様の血と体をいただき、救いを喜び祝うのです。過越祭において覚えられ、記念されている救いの出来事は、十字架と復活のイエス様の救いに重ねられるのです。

30/05/2026

聖書の言葉から 2026/5/31 牧師 平尾輝明

「救いは一生もの」
悔い改めなさい。めいめい、イエス・キリストの名によってバプテスマを受け、罪を赦していただきなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます。この約束は、あなたがたにも、あなたがたの子供にも、遠くにいるすべての人にも、つまり、わたしたちの神である主が招いてくださる者ならだれにでも、与えられているものなのです。使徒2:38-39

 人生の中で、最後まで変わらない、失われないものはあるのでしょうか。救いとは、イエス様の十字架の死によって罪の赦しが与えられ、イエス様の復活によって、日々新たな喜びの永遠の命を体験していくことです。 聖霊の働きによって、神様の方に向き直ること、悔い改めが求められています。バプテスマは、神様から離れていた古い自分が水に沈められて十字架のイエス様と共に死に、水から上げられて、復活のイエス様と共に新しく生きていくしるしです。神様が与えてくださる救いを体験していくしるしです。十字架と復活のイエス様の名によってバプテスマを受けることを求められています。
 人は自分で罪を償うことはできません。神様が赦してくださるのです。イエス様は、人の罪を無かったことにされません。神様に背を向けた罪の状態にあった私達が、イエス様を十字架につけたのです。そして、イエス様は三日目に神様によって復活させられました。もしイエス様が死んで終わりなら、イエス様は死んだままで希望はありません。イエス様の復活によって、神様が罪と死の力に打ち勝つ方であることを示されています。神様は命へ導かれる方です。救いは、肉体の死を越えて続きます。救いは一生ものという言葉でも足りません。神様の救いは、永遠に続くものです。聖霊は特別な人だけに与えられるものではありません。すべての人に与えられます。聖霊は、一度だけ働かれる方ではありません。いつまでも、永遠に続くものです。イエス様を信じ続ける力も、聖霊を通して神様が与えてくださるのです。それは聖霊が私達といつも共にいてくださるから実現していることです。

23/05/2026

聖書の言葉から 2026/5/24 牧師 平尾輝明

「恵みを与えられて」
あなたがたはそれぞれ、賜物を授かっているのですから、神のさまざまな恵みの善い管理者として、その賜物を生かして互いに仕えなさい。 1ペトロ4:10

 神様から愛されて、それぞれに特別な賜物が与えられているという意識がないならば、人の評価によって振り回されるのは当然です。私達は神様のさまざまな恵みの善い管理者として期待されているのであって、私達は恵みの所有者、支配者ではありません。
 自分のために賜物を生かすのではありません。相手を支配するために生かすのでもありません。互いに仕えるために賜物を生かします。互いに仕える。それは互いに神様に愛されていることを認め、受け入れることです。自分に与えられているものはすべて自分のものではなく神様のものです。神様が望まれるように、神様のために用います。神様の計画によって、それぞれにふさわしい賜物が与えられています。
 私達は、ただ恵みを受けていることに気づき、感謝します。それなのに、人からの評価が低いと、自分には神様から賜物が与えられていないと自分の限界を自分の考えで勝手に決めてしまいます。一方、自分で何でもできると傲慢になることもあります。私達が不安定になるのは神様を全面的には信頼していないところから始まっています。その信頼しきれないところに私達の限界と罪深さがあります。
 私達に対する神様の最大の恵みは、十字架と復活のイエス様です。神様はひとり子イエス様を与えるほどに私達を愛されています。その愛に気づかずに、神様の目的から外れた生き方、的を外した罪の状態に陥ります。その罪の奴隷状態から解放するために、罪の代価をイエス様の命で払われたのです。それがあの十字架の死です。イエス様によって代価を支払われたものは、神様のものです。神の子です。すべてのことにおいて、イエス様を通して、神様の栄光を現すのです。一人ひとりに恵みを与えられて、賜物を授けられ、神様から期待されています。

17/05/2026

聖書の言葉から 2026/5/17 牧師 平尾輝明

「命の光を持つ」
わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ。 ヨハネ8:12

 私達は、イエス様が世の光であるという言葉を信じて歩みます。イエス様こそ、この世の暗闇を照らす光として遣わされた神の子です。イエス様に従うなら、暗闇の中を歩くことはありません。命の光を持って生きていくことができるのです。イエス様に従うとは、イエス様とともに生きることを示します。命の光とはイエス様そのものです。暗闇の中では、何も見えません。不安も恐怖もあります。それに対して、イエス様と共に生きるなら、歩む道が照らされ、よく見えます。平安と希望が与えられます。命の光であるイエス様がともにおられるのです。また、イエス様とともに生きる者は、この世を明るく照らすことができます。世の光であるイエス様を他の人に知らせることができます。希望を失った者を慰めることができます。励ますことができます。世の光であるイエス様に、照らされていることにまだ気づいていない人も、既に照らされているのです。
 イエス様が世の光であり、私達が命の光を持つようになるには、イエス様に従うこと、共に生きることが求められています。イエス様のことを知らされても、そんなことあるのかと考えているだけでは、いつまでたってもイエス様が世の光であることを受け入れられません。イエス様に従って生きていることの中で、私達は命の光に照らされている体験をするのです。神様の救いの恵みが働かれたうえで、自分の努力が生かされます。自分の努力だけでなんとかなると思っているから、神様の恵みを受けようとしないのです。自分の常識やプライドにとらわれて、既に備えられている救いを体験できないのです。イエス様は、自分の命をなげうって、全てを与えて、私達を罪の奴隷状態から解放するためにあの十字架にかけられました。そして三日目に復活させられ、今も私達と喜びの永遠の命をともに生きておられます。

10/05/2026

聖書の言葉から 2026/5/10 牧師 平尾輝明

「神の恵みが働かなければ」
働いたのは、実はわたしではなく、わたしと共にある神の恵みなのです。 1コリント15:10

 神の恵みとは、受ける資格のない者に、神様が一方的に与えてくださるよいものです。ですから、神の恵みは私達の努力に対するご褒美ではありません。神様の愛によって私達に注がれるものです。そして、神の恵みそのものが、受けた人の中で働き続ける力になります。神の恵みは、十字架と復活のイエス様によって与えられ、働きます。神様は最初にイエス様を復活させられました。そして、私達にもこの復活の約束を与えられています。イエス様に出会った人、イエス様を信じる人は、この事実を確信します。
 なぜ神の恵みは、人を変え、人を立たせ、人を用いることができるのでしょうか。もしイエス様が十字架で死んだままであったなら、そのような力は働きません。イエス様の復活は、神様の力が死の力を打ち破っていることを示しています。その復活の力が、そのあり得ない力が、イエス様に出会った人の中で働いているのです。イエス様と出会うことによって、神様に敵対するという的外れな生き方、罪の奴隷状態から解放され、神様に仕える生き方に変えられます。神様は、私達の救いのためにすべてを備えてくださっています。復活のイエス様との出会いによって恵みに満たされます。イエス様の十字架の死と復活によって、人の償いによってはなしえない罪の赦しと、死に勝利する新しい命の恵みを与えられています。その恵みによって新しく生かされているのです。
 新しく生かされていくのは私達だけではありません。まだイエス様のことを知らない方へ、また私達に預けられる子どもたちへ、証しし、伝えていくのです。イエス様の愛を伝えようとしても、なかなか相手に受け入れられず、諦めかけてしまうことがたびたびあります。そのとき大切なのは、働くのは自分自身ではなく、自分に与えられている神の恵みであることをわきまえることです。

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