日本バプテスト連盟 東山キリスト教会

日本バプテスト連盟 東山キリスト教会 東山教会は、バプテスト派のキリスト教会です。1962年4月1日、星崎礼司・あさの宣教師夫妻たちによって種蒔かれ、誕生した教会です。

06/06/2026

6/6(土) Ns一日一章 ホセア11章
「ああ、エフライムよ、お前を見捨てることができようか。」(8節より)

 幼きイスラエルの歩みを見守り、その成長を喜び楽しまれた神様は、或る時から、胸を痛め、頭を悩まされるようになります。

 何度も、私の方へ帰って来なさい。戻って来なさいと声をかけても、耳をふさぎ、心を閉ざし、傷だらけになっていくこの姿を見て見ぬ振りなどできない。

 ひそかに癒し、「愛のきずな」で彼らを癒し、うえ渇くことのないように食べ物を与え続けてきた。これが1~7節までの内容です。

 それでも背く彼らに向けて、8節以降、「ああ、エフライムよ」と愛のメッセージを語られる主なる神様のお姿に、心が揺さぶられます。

 神様の憐み、深い愛、これを受けたならば、立ち帰らずにはおられません。神様、あなたのもとへ参ります。どうぞ受け入れて下さいと、言わずにはおられません。

 今日も、神の愛に生かされている私たち。神様、本当にありがとうございます!

05/06/2026

6/5(金)Ns一日一章 ホセア10章
「恵みの業をもたらす種をまけ」(12節より)

 あれほど裁きのメッセージが続いていたのに、ここで神様は種をまけ、愛の実りをかり入れよと命じられます。

 裁きは救いに、絶望は希望へと変えられる。導かれるのです。

 今日も主にありて恵みの日、そして、救いの一日。神様に感謝、希望は主にありますから。

03/06/2026

6/4(木) Ns一日一章 ホセア9章
「預言者はわが神と共にあるが」(8節より)

 北イスラエル(南ユダも)のこれからの行く末について、哀しみの預言が続きます。

 唯一と言ってもよい希望の言葉、それが8節前半の言葉です。国が滅びに向かいつつある。それを自覚しているのは、神に仕える預言者と霊の人たちのみ。

 王から庶民にいたるまで、まことの神から心が離れ、この世の権力、権威にのみ、まなこを注いでしまっている。

 それでも、神に仕える者たちが神様へと心を注ぎだしている。彼らを迫害する者が身近にいても、まことの神から離れない。

 神様はもはや北イスラエルを愛さない。そう宣言されながらも、荒野で実り豊かなぶどうの木を見い出したような最初の思い出を語られます。愛してやまない北イスラエルが、離れて行く悲しみ。滅びを余儀なくされるつらさ。

 神様の愛がある限り、そして、神様の愛を信じて従う人々がいる限り、この世の救いは消えない。必ず、滅びから再生・復興がもたらされることを信じます。

02/06/2026

6/3(水) Ns一日一章 ホセア8章
「イスラエルはその造り主を忘れた。」(14節より)

 イスラエル(これは、南ユダと北イスラエル全体)は、「恵みを退けた。」(3節)という言葉と共に、14節の神の御言葉は衝撃的です。

 王を立て、偶像を造り、宮殿を次々建設し、強大な国と手を結んだ。彼らは神を忘れ、神の恵みをいらない、必要ないと退けてしまった。

 主なる神様にとってこれほど悲しいことはありません。彼らは敵に追われるがよい。彼らのなすことは、風の中で種を蒔き、嵐の中で刈り取るような虚しいものになってしまえばよい。

 8章の中では、憐みの思いはどこかに忘れられたかのようです。しかし、10章12節には、一瞬、神様の愛と憐みの思いが火花のように燃え上がります。神の憐みは尽きることがありません。

 どうか、今日この日一日、私たちが神様の愛と恵みを心に置いて、何があっても、神様にお従いすることができますように。

01/06/2026

6/2(火) Ns一日一章 ホセア7章
「なんと災いなことか。」(13節)

 イスラエル(エフライム、サマリアとも)の罪、悪、それは、彼らが秘められたところで悪事をなすこと。そして、その罪とは、高慢であること。

 神様は、すべてご存じです。人の心のうちに秘められた罪なる思い。神など必要とはしない。「心からわたし(=神様)の助けを求めようとしない」という傲慢さを。

 神様は、人間の罪や悪を為してしまう弱さを、心から憐み、同情し、何と哀しいものであるのかと嘆いておられます。

 だからこそ、人間自らが救い得ない存在を救うため、愛する御子を世に送って下さったのです。この御子は、すべての人を罪の縄目から解き放ち、救う力をお持ちの方です。

 今日、改めて、御子イエスの救いを心から願い、求めたいと思います。どうか、私たちすべての者を救って下さい。主にありて アーメン

31/05/2026

6/1(月) Ns一日一章 ホセア5,6章
「わたしは立ち去り、自分の居場所に戻っていよう。」(5章15節より)
「さあ、我々は主のもとに帰ろう。」(6章1節より)

 今日もまたまた一日二章!
 5章の終わりは、主なる神様の御言葉で閉じられ、6章の始まりは、イスラエルの応答になっています。

 5章では、エフライム(北イスラエル)とユダ(南ユダ)への裁きの言葉が続きます。神様の裁きの言葉は、神様の悲しみの思いがこもっているように感じてなりません。

 「彼らが罪を認めて、わたしを尋ね求め 苦しみの中で、わたしを捜し求めるまで」、わたしは、しばらく間、姿を隠しておこう、というのが、5章の終わりの言葉。

 御自分の元に、悔い改めと共に立ち帰るのを待っているのだよ、という親御心にも似た神様の思いが語られる時、イスラエルの民は、「立ち帰ろう!神様のもとへと」と応えるのです。

 これは本心であって、偽りではありません。「我々は主を知ろう。主を知ることを追い求めよう。」(3節)本気で神様を求める心であるのです。

 しかし、この決心が長続きせず、すぐに曲がってしまうことを、神様はよく分かっておられます。

 きっと、このつまづきやすい人間の弱さを、深い憐みの心で見守って下さっているからこそ、「わたしが喜ぶのは愛であっていけにえではなく 神を知ることであって」(6節)と語られるのだと、今日、しみじみと思わされたのです。

 神様、ありがとうございます。どうかわたしを憐れんでください。そして、私たち人間を、どうか救って下さい。主にありて

30/05/2026

5/30(土) Ns一日一章 ホセア4章
「悟りのない民は滅びる。」(14節終わり)

 3章とはうって変わり、主の裁きのメッセージが続きます。

 つくづく、聖書とは一か所だけ、自分の心に響く言葉ばかりをえり好みするように読むのではなく、通読で読むことが大事なのだと思わされます。

 強弱、裁きと救いの連続性のある神様のメッセージを読むことで、私たちの心の向けどころが見えてくる、浮かび上がってくるように思われるのです。

 4章のメッセージは、徹底して罪の告発が続くのですが、その根底に、神様の愛が流れています。聞き従おうとしない民に、どうして、裁きを語り続けることなど出来るでしょう。

 帰ってきてほしい。神様の方へと、戻ってきてほしい。そう願うから、耳をふさぐかもしれない民に、語り続けるのだと、ふっと気が付きました。

 今日も、青空が広がっています。心開かれて平安に、明日の主日に向けて、準備を重ねていきましょう。

29/05/2026

5/29(金) Ns一日一章 ホセア3章
「その後、イスラエルの人々は帰って来て、彼らの神なる主と王ダビデを求め」(5節より)

 ホセアの預言には、希望があります。神様の人間に対する深い愛と憐みが込められた希望です。 

「終わりの日に、主とその恵みに畏れをもって近づく」(5節続き)ような奇跡は、必ず、神様によって実現して頂くことが出来る。
 この希望は、消えることはありません。

 さて、ホセアと妻ゴメルの夫婦関係は、裏切りと和解を繰り返しながらも、なんとか続いていきます。現実の出来事として見る時、これは決して簡単なことではありません。

「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」(新約・ヨハネ13:34)にある主イエスの御言葉を、美しく、きれいな言葉として聞こえる、けれども、現実には実現不可能です。と軽く聞き流してはいけません。

 苦しみつつも、愛にとどまる努力が大切なのです。神様は、この留まる愛をあきらめない方です。この神様に希望をおいて、今日も歩んでまいりましょう。

27/05/2026

5/28(木) Ns一日一章 2章
「あなたたちは、(略)「生ける神の子ら」と呼ばれる。」(1節終わり)

 1章と2章は対(つい)になっています。

 ホセアの子たちにつけられた不名誉な名前は、イスラエルの民の不信や背きの罪を告発する神様の哀しみの表れです。

 しかし、これらの名前は、時が来れば、すべて名誉の回復が行われる。ロ・アンミ(わが民でない者)やロ・ルハマ(憐れまれぬ者)、「アンミ(わが民)」や「ルハマ(憐れまれる者)」という名前に変えられる。「イズレエル(神が種を蒔く)」という地名は、本来の名誉ある名として称される日が来る。

 必ずその日が来るのだと、神様が宣言されているのです。

 イスラエルの民の不信は、神様への信頼へと変えられ、神様はそれにお応えになり、民と新たな契約を結び、土地は豊かな実りを結び、人々の口には、「わが神よ」との賛美がのぼる。

 必ずや、素晴らしい救いの日は来ます。私たちは、その日を待ち望み、今日という日を丁寧に生きてまいりましょう!。

26/05/2026

5/27(水) Ns一日一章 ホセア1章
「彼は行って、ディブライムの娘ゴメルをめとった。」(3節より)

 ホセアは、北イスラエルの堕落に心痛める預言者でした。

 ホセアと妻ゴメルの関係が、そのまま神様とイスラエルの民の関係として表されることは、すでに1章からはっきりしています。

 ゴメルは神殿娼婦でした。ホセアは妻を深く愛し、ゴメルも夫を深く愛した。それゆえ、イズレエルとロ・ルハマ、ロ・アンミという子どもたちが与えられた。

 この子たちの名は、ホセアがつけた名であり、いずれも地名であったり、実に不名誉な名前でした。

 ホセアの家族関係は、預言者ゆえというのか、神の御言葉に仕える者ゆえの重さと言えるでしょう。

 ホセア書において、神様とイスラエルの関係は、複雑な愛憎模様を描いています。

 神様はイスラエルを愛し、御自分の方へと立ち帰ってほしい。一方、イスラエルは時に神様に立ち帰り、また、離れてしまう。実に不確実な状況に生きています。大国の庇護をもとめて、揺れ動いてしまう。

 現代を生きる私たちも、この不安定さを抱えています。神とこの世の価値観の間にぶれてしまうのです。

 ホセア書を通して、神に信(しん)を置いて生きる人の生き方を学んでいきたいと願います。

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