天理教大路分教会

天理教大路分教会 病気で心を治します。悩みや苦しみの中から喜びを見つけます。

元旦に大きな地震がありました、ああいうことがある度に、「神様は一体何をお考えになって、あんなことをなさったんだろう」と思ってしまいます。しかし人間には神様のお考えなどわかるはずもなく、考えても仕方がないと思えます。実際人間にとって大事なのは...
05/02/2024

元旦に大きな地震がありました、ああいうことがある度に、「神様は一体何をお考えになって、あんなことをなさったんだろう」と思ってしまいます。しかし人間には神様のお考えなどわかるはずもなく、考えても仕方がないと思えます。実際人間にとって大事なのはことが起こってからどうするかということだと思うです。

 レスキュー隊や消防隊、ボランティアなどで人命救助や、人助けをされている方がいる反面、人の弱みにつけ込んで、火事場泥棒や寄付金詐欺などをしている悪い輩もおります、どちらも神様から同じように体をお借りをしているのに、まるで180度違う動きをするのは、心の違いからくるのだと思います。

 人助けをされている人は、何か起こった時だけそうされているのではなく、日頃から、人助けの心で通っておられるのだと思うのです。また悪いことをする人は日頃からも空きがあれば何とかしようという、悪い心で通っていっているのだと思うのです。
やはり日頃の心遣いが大事になってくると思います。

 いつも申し上げている通り、人が見ているところで人助けをし、人が見ていなければ人助けをしない、また人が見ていたらしないが、人か見ていないところでは悪い事をする、それでは真実とは言えません。我々は人が見ていようが、見ていなかろうが、「どんな時でも神様が見ておって下さる」事を心に置いて、通らせて頂くことが大事になってくると思います。

 大きな震災を見せていただき、何をなすべきかと思うところではありますが、我々にできるのは、神様を箒として、自分の心を綺麗にしておく、そしてその綺麗な心で判断することだと思います。

07/09/2023

人は、目に見えるものしか信じにくいものですが、たまには、目をつぶってみて、見えないものを感じてみてはいかがでしょうか。

教祖は世界たすけの道を、ひながたを通してお教え下さり、先人先輩方もそのことを私達に繋いでくださいました、今度は私達の番です。その信仰を受け継ぎ、親から子、子から孫へと引き継いでいく一歩一歩の積み重ねが、末代へと続く道となるのである。どんなに...
14/08/2023

教祖は世界たすけの道を、ひながたを通してお教え下さり、先人先輩方もそのことを私達に繋いでくださいました、今度は私達の番です。
その信仰を受け継ぎ、親から子、子から孫へと引き継いでいく一歩一歩の積み重ねが、末代へと続く道となるのである。
どんなに広くて綺麗な道路でも、先が行き止まりになっていては、良い道とは言えません。
それとは逆に車一台が通るのがやっとな道でも、多少曲がりくねっていても、先に続いている道が良い道なのです。
この道にお引き寄せ頂く道の子一同が、教祖の年祭
を成人の節目として、世界たすけの歩みを一手一つに力強く推し進め、御存命でお働き下さる教祖にご安心頂き、お喜び頂きたい。これが、諭達の目的であります。
因縁あってこの信仰をさせて頂いている道の子お互
いは、教祖の年祭活動を我が心の成人となるように真剣に通らせて頂きましょう。
どんな時も教祖ならどうお考えになり、どうなさる かに想い巡らせるようにすることが、ひながたを辿る事であり、心の成人となるのです

教祖の五十年のひながたを、一言で言うのはとても難しいのですが、大きく分けると前半と後半で二つのことにこだわって通られています。 前半は人助け、後半は、お勤めです。今回出された、諭達はその中でも、おたすけに重点を置かれて、お話下されていると思...
23/07/2023

教祖の五十年のひながたを、一言で言うのはとても難しいのですが、大きく分けると前半と後半で二つのことにこだわって通られています。
 前半は人助け、後半は、お勤めです。
今回出された、諭達はその中でも、おたすけに重点を置かれて、お話下されていると思います。
 まず貧に落ち切るのひながたです。教祖は、困っている人に施しをする所から始められました。これは物欲を捨てることだけが目的ではありません。というのも、このことを自分の身になって考えてみればわかりやすいです。自分が困って人に相談をする時、何もかも結構、体も元気、病気一つしたことがない、お金も裕福で家庭も円満という人に相談に行くでしょうか。そんな人に何を言われても「そりゃあんたは結構やもんな!」と思うのが関の山です。やはり相談に行くなら、いろんな困難や辛い目に会われたのに、それを乗り越えそれでも勇んで生活を送っておられる方に相談するのではないでしょうか。そういう点から考えても、貧に落ちきるとは、難儀、苦労をして初めて、本当に困っている者の気持ちがわかるという観点に立たれて、なされたのではないでしょうか。
 続く、水を飲めば水の味がするというくだりも、「枕元に山ほど食べるものを積んであっても、喉を起こすにこせん、食べるに食べれんものがいる、それを思えばわしらは結構や、水を飲めば水の味がする」と親神様からご守護を頂き、体を壮健に使わせていただいてるからこそ、物の味が分かることを教えて下さり、明日食べる米がない事態になっも、不足は言うのやない、水を飲めば水の味がすると、辛い時の通り方を教えられたのではないでしょうか。
 最後に人を助けて、我が身助かるです。これは、見返りを思わないことです。本当に相手の事だけを考え、自分のことや自分の損得は脇において、本当に純粋に「その人のためだけに何かできないかなぁ」と考えるのです。そういう所から少しづつでも、ひながたに近づいていけば良いと思うのです。

教組のひながた 教祖の五十年のひながたを、一言で言うのはとても難しいのですが、大きく分けると前半と後半で二つのことにこだわって通られています。 前半は人助け、後半は、お勤めです。今回出された、諭達はその中でも、おたすけに重点を置かれて、お話...
17/06/2023

教組のひながた
 教祖の五十年のひながたを、一言で言うのはとても難しいのですが、大きく分けると前半と後半で二つのことにこだわって通られています。
 前半は人助け、後半は、お勤めです。
今回出された、諭達はその中でも、おたすけに重点を置かれて、お話下されていると思います。
 まず貧に落ち切るのひながたです。教祖は、困っている人に施しをする所から始められました。これは物欲を捨てることだけが目的ではありません。というのも、このことを自分の身になって考えてみればわかりやすいです。自分が困って人に相談をする時、何もかも結構、体も元気、病気一つしたことがない、お金も裕福で家庭も円満という人に相談に行くでしょうか。そんな人に何を言われても「そりゃあんたは結構やもんな!」と思うのが関の山です。やはり相談に行くなら、いろんな困難や辛い目に会われたのに、それを乗り越えそれでも勇んで生活を送っておられる方に相談するのではないでしょうか。そういう点から考えても、貧に落ちきるとは、難儀、苦労をして初めて、本当に困っている者の気持ちがわかるという観点に立たれて、なされたのではないでしょうか。
 続く、水を飲めば水の味がするというくだりも、「枕元に山ほど食べるものを積んであっても、喉を起こすにこせん、食べるに食べれんものがいる、それを思えばわしらは結構や、水を飲めば水の味がする」と親神様からご守護を頂き、体を創健に使わせていただいてるからこそ、物の味が分かることを教えて下さり、明日食べる米がない事態になっも、不足は言うのやない、水を飲めば水の味がすると、辛い時の通り方を教えられたのではないでしょうか。
 最後に人を助けて、我が身助かるです。これは、見返りを思わないことです。本当に相手の事だけを考え、自分のことや自分の損得は脇において、本当に純粋に「その人のためだけに何かできないかなぁ」と考えるのです。そういう所から少しづつでも、ひながたに近づいていけば良いと思うのです。

(前回の続き)さらに「人救けたら我が身救かる」とは、届かぬながらもひたすらに、人だすけに歩む中に、いつしか願う者の心が澄み、そのことで救われていくとお教え下され、今は辛くとも親神様の思召に添いきる中に、必ず成程という日をお見せ頂けると教えら...
16/03/2023

(前回の続き)さらに「人救けたら我が身救かる」とは、届かぬながらもひたすらに、人だすけに歩む中に、いつしか願う者の心が澄み、そのことで救われていくとお教え下され、今は辛くとも親神様の思召に添いきる中に、必ず成程という日をお見せ頂けると教えられたのです。まさにひながたこそが陽気ぐらしへと進むただ一筋の道なのです。
世の中には、自分さえ良ければ良い、今さえ良ければ良いと考えている人が、大勢います。その考えが、他人への思いやりを欠いた言動や、一時の快楽を得るための安易な行動に繋がります。そしてその言動や行動により、却って自分自身の心を見失わせています。
親神様はそんな人間の心得違いを改めさせようとの思いから、身上や事情にしるしをつけられたり、自然災害や疫病の世界的流行としてみせられるのです。
しかし、すべては私たちに心の入れ替えを促されるてびきであります。てびきとは、子供の手を引いて導いて下さることで、そこには、子供可愛い親心が込められているのです。ですから私達は、この親心に添い、世界人類が兄弟姉妹であるとの自覚に基づいて、人々が互いにたすけ合う生き方をしなくてはなりません。
 よふぼくであるお互いは、教会に足を運び、ひのきしんに励み、身近な人に親神様のご守護を伝えましょう。そして悩んでいる人々には、親身になって寄り添い、病む人にはおづけを取り次ぎ、お願いつとめで治りを願い、真にたすかる道があることを伝えていきましょう。親神様は願う者の真実の心を受け取って、必ず自由の御守護をお見せ下されます。
 この道にお引き寄せ頂いた我々は、教祖お一人から始まったこの教えを、親から子、子から孫へと引き継ぐ努力を怠らず、人たすけの歩みを一手一つに力強く推し進める事で、御存命でお働き下さる教祖にご安心頂き、お喜び頂きましょう。
 これが、諭達に込められた思いであります。

(前回の続き)続いてのおさしづには、ひながたの道を通らねば、ひながた要らんの(略)のあとにこう続きます、「まあ五十年三十年も通れと言えばいこまい。二十年も十年も通れと言うのやない。まあ十年の中の三つや。三日の間の道を通ればよいのや。僅か千日...
13/03/2023

(前回の続き)続いてのおさしづには、ひながたの道を通らねば、ひながた要らんの(略)のあとにこう続きます、「まあ五十年三十年も通れと言えばいこまい。二十年も十年も通れと言うのやない。まあ十年の中の三つや。三日の間の道を通ればよいのや。僅か千日の道を通れと言うのや。千日の道が難しいのや。ひながたの道より道が無いで」となります。
教祖がお通りになられた、ひながたは五十年でしたが、我々一般の者には五十年を通ることは到底出来ないだろうから、三年の道を通ることで五十年として受け取ってやろうという親心から出たおさしづなのです。
要するに教祖の年祭を迎える、三年前からの千日が我々にとって、ひながたの道を辿る事になるのです。

教祖はひながたの道を、まず貧に落ちきるところから始められました。その真意は先ずは物質的な欲を捨て去る事で陽気ぐらしへの道が開ける、そして貧に落ち切る事で初めて本当に苦しんでいる者の心が分かる様になるとの思いからではないでしょうか。そして
「水を飲めば水の味がする」と、どんな中でも親神様の御守護に感謝することを教えられました。又「ふしから芽が出る」のふしは身上・事情の事です。普通なら辛く悲しいばかりの身上・事情も、すべては人々を成人へとお導き下さる親神様のお計らいであると教えられました。

(前回の続き)教祖ご在世当時は明治天皇の時代でしたから、明治天皇は神様で、それ以外の神様は、天理教だけでなく、他の宗教も弾圧をされていました。そんな中、親神様はおつとめを急き込まれました。しかし、おつとめをすると、九十歳になるご高齢の教祖が...
27/02/2023

(前回の続き)
教祖ご在世当時は明治天皇の時代でしたから、明治天皇は神様で、それ以外の神様は、天理教だけでなく、他の宗教も弾圧をされていました。そんな中、親神様はおつとめを急き込まれました。しかし、おつとめをすると、九十歳になるご高齢の教祖が投獄され、冷たい板の間に入れられてしまいます。当時の人々は、親神様のおっしゃるつとめを、手控えたり、こっそりとおつとめを勤めていました。こんな事では子供の成人がおぼつかないと、教祖は二十五年の寿命を縮めて、御身をお隠しになられました。それは、自分が身を隠せば、警察も捕まえることが出来ず、人々も気兼ねなくおつとめを勤められるという思いからでした。御身をお隠しになった時、お傍に居た人はとても落胆をしました。しかし、「教祖は、姿を隠してからも、一列たすけのために、元のやしきに留まり、存命のままお働き下さる」と聞いてみんなは、安堵します、そして正に今も世界たすけの先頭に立ってお働き下されているのです。この事が教祖の年祭を勤める意義です。十年ごとにおつとめを勤める事を急込れ、子供の成人を急込れた、教祖の親心にお応えをして、ようぼく一人ひとりが、それぞれの出来る限りの成人を、しなくてはならないのです。

教祖は、世界一列をたすけるためにおつとめを教えられました。また、陽気ぐらしへの手本としてひながたを示されたのです。ひながたの道中は、まさにご苦労の連続でした。教祖は、親神様の思し召しにより、家財道具を始め、田地田畑から家までも、売り払って施...
21/02/2023

教祖は、世界一列をたすけるためにおつとめを教えられました。また、陽気ぐらしへの手本としてひながたを示されたのです。ひながたの道中は、まさにご苦労の連続でした。教祖は、親神様の思し召しにより、家財道具を始め、田地田畑から家までも、売り払って施されました。そして人助けを始めていかれたのです。
最初は気の違い、狐憑きだと言われ、初めて四合の米を持って参拝に来られる人が出たのが、十数年経ってからのことでした。そして、生き神様のうわさが広がれば、妬みや嫉みに合い、つとめを教えれば、迫害干渉・投獄にあわれたのです。また、自分の子供さんを全て先に亡くされ、最終的に残ったのは孫が二人だけという人生を通られたのです。
そして明治二十年陰暦正月二十六日に御身を隠されてしまいます。それまでの神様のお言葉の中に、百十五歳が寿命と聞かされておりました。その残り二十五年の寿命を縮めてまでも、急込まれたのがおつとめです。
(続きは次回)

自分が困って人に相談をする時、何もかも結構な人に相談に行くでしょうか。やはり、いろんな困難や辛い目に会われたのに、それを乗り越えそれでも勇んで生活を送っておられる方に相談するのではないでしょうか。教祖の苦労や秀司様の足の病気は、いんねんが悪...
20/02/2023

自分が困って人に相談をする時、何もかも結構な人に相談に行くでしょうか。やはり、いろんな困難や辛い目に会われたのに、それを乗り越えそれでも勇んで生活を送っておられる方に相談するのではないでしょうか。

教祖の苦労や秀司様の足の病気は、いんねんが悪かったり、心得違いがあったからではなく、話の台のためです。

つまり、病気や事情は、難儀している人の心がわかるために与えられる場合もあるわけです。

姿、形は同じでも、心の向きが違います。父親の事情で、お道を信仰しましたが、相変わらず状況は同じでした。しかし、心は神さん目標に通りました。運命は、人間心だといんねん通りに苦しみます。親神様に心を向けるといんねんを果たす道になります。信仰して...
18/02/2023

姿、形は同じでも、心の向きが違います。

父親の事情で、お道を信仰しましたが、相変わらず状況は同じでした。しかし、心は神さん目標に通りました。
運命は、人間心だといんねん通りに苦しみます。
親神様に心を向けるといんねんを果たす道になります。
信仰して約30年目にして、両親と一緒に暮らせる日がきました。

私の父親は、博打好きのため家庭を壊しました。そんな父を持った私は天理教と出会い、今では私の家族を含め両親と仲良く暮らしています。私のように、なぜこんな目に遭うのだろうか?こんな病気になるのだろうか?と悩んでいる方がおられると思います。それは...
16/02/2023

私の父親は、博打好きのため家庭を壊しました。そんな父を持った私は天理教と出会い、今では私の家族を含め両親と仲良く暮らしています。
私のように、なぜこんな目に遭うのだろうか?こんな病気になるのだろうか?と悩んでいる方がおられると思います。
それは運命です、と言えばこれほど可哀想なことはないと思います。私のように、運命を変える道を天理教は教えてくれます。
自分の力ではどうしようもなく悩んでおられる方ご連絡ください。たすかる道があります。

住所

兵庫県
兵庫県, Osaka
669-4265

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